第2章 水竜の贈りし者のこと 2-3
拾った枝の先端で軽く男を突いてみる。
・・・・・。
反応は、全くない。
少し躊躇した後に棒を投げ捨てて、今度は直接、男の腕に触れてみた。
筋肉が動く様子はない。
ただ男の肌は、ニニカの体温よりは少し冷たいようだった。
(動かないな・・・)
だんだん大胆になって顔を近付けてみたが、別段、腐臭などの嫌な匂いはしない。
鼻の下に指をかざしてみた。
(あれ?息してない?)
ニニカは首を傾げた。呼吸が起こす風の流れが感じられない。
(やっぱり、死んでる?)
人間の死体を見るのは初めてだ。
(病気か何かで死んで海に流されたのかな?)
そういう風習がある国も存在するらしいと聞いたことがある。
見えるところに大きな外傷はないようだった。だから死因は病だと思ったのである。
ニニカは舟内に視線を走らせた。
足元には、サンダルが左右並べて置いてある。
身体の左脇には、二本の剣が置いてあった。全長一メートル強の長いモノと七十センチ程の短いモノである。黒を基調とした鞘や柄の装飾はシンプルではあるが美しく、二振り揃ったものが施されており一体感がある。
柄下地である鮫革を所々見せるように等間隔にひし形の空間を作りながら柄全体に赤い紐を巻き付けてあるのは、滑り止めのためだろうか?あるいは強度を増すためであろうか?
握りと刃の分かつ部分には円形の鍔が嵌められており、番の鳥が彫り込まれている。
思わず目を奪われてしまうほど美しい細工であった。
ニニカは手を伸ばし、長い方の剣を手に取った。
トルキアの剣に比べると幅は狭いが、それでもずっしりとした重量感がある。
鞘と柄を掴んで左右に広げるように力を籠めてみる。
強い抵抗がある。それでも力を入れ続けると、ある一点を境に身が滑るように姿を現した。
緩やかな反りのある片刃の剣である。
(綺麗・・・)
刃物を見て美しいと思ったのは初めてだ。
ニニカは時間が経つのも忘れて食い入るように陽光に輝く刃を見詰めていた。
(もっと見ていたい・・・)
しかし、そうしても居られなかった。
(また、後で・・・)
名残惜しくはあったが剣を鞘に戻そうとする。しかし、これがなかなかに難しかった。そもそも、その剣はニニカには長過ぎるし、重過ぎたのだ。
悪戦苦闘の末に、何とか鞘に納めて、一旦、舟の中に戻そうとする。
剣の脇に一本の木の棒があるのを見つけた。先程の剣のような形に削り整えられた棒である。しかし、ニニカの食指は特に動かない。
木の棒の脇に先程の剣を並べて置いた。
(死体は、埋めてあげた方がいいのかな?)
そうは思っても、一人では、とても持ち上げられそうもない。ぼんやりと死体を眺めながらどうするべきか考えていると、男の手が紙を握っているのに気が付いた。
何か文字のようなモノが書いてあるように見える。
(なんだろう・・・)
気になって、紙を摘まんで手の中から引き抜いた。
すると突然、一陣の風が吹いてニニカの手から紙片をさらっていった。
「あっ!」
予期せぬ出来事に思わず声が漏れる。
風に運ばれてきた爽やかな香りが、ニニカを包んだ。心が癒されるような香りである。しかし心地良く浸っていられたのも束の間のことだった。
舟の中から伸びた武骨な手が縁を掴んだのを見て、ニニカは大きく飛び退いた。
縁に掛けた手を支えにして、ニニカが遺体だと判断した男が半身を起こす。
異国の男は死んでいなかったのである。
男は口を半開きにして首を巡らせた。海を、空を、崖を確認する。それから砂浜を見て、ニニカを見つけ、破顔した。
全く邪気のない笑みである。警戒心の強いニニカにしては全くあり得ないことだが、その笑顔を見た瞬間に、無条件に男を信用していた。
ひきこまれて自然とニニカも笑う。
微笑みながら男が話しかけてくる。
ニニカは首を傾げて、肩をすくめてみせた。全く意味が分からなかったからだ。男が話した言語は、ニニカが知っているものではなかったのである。
男は自分を指差しながら、また何かを話している。
何度も、何度も同じ言葉を繰り返しているようだが、ニニカには聞き取れない。
長過ぎるのだ。
「バナ・・・?」
どうにか聞き取れた言葉を繰り返すと、男は一瞬呆気にとられたような顔をしたが、すぐに自分を指差して言った。
「バナ!」
快活に笑う。
そしてニニカを指差した。ニニカは首を傾げると、男は再び指先を自分に向けて、
「バナ!」
と、言った。そして促すようにニニカに手を差し出す。
「バナ?」
ニニカが指差すと、男は微笑みながら大きく頷く。
「ニニカ」
戸惑いながらも自分を指し示して名乗ってみた。
「ニ、ニ、カ?」
確かめるように繰り返す男へ、今度はニニカが頷いた。
「ニニカ!」
男が言うと、
「バナ!」
ニニカが返す。男が終始笑顔なので、ニニカもつられて笑う。無邪気な笑顔とは、人間関係を良化させる最高のエッセンスである。
二人は繰り返し互いの名を呼び合って笑いあった。それだけで、すぐに打ち解けたのである。




