第2章 水竜の贈りし者のこと 2-2
ニニカは茫然として海を眺めていた。
思い描いていた冒険を軽く越えてくる出来事があったのだ。
しばらくの間、心の翼を充分に広げて空想の世界の住人と化していたのも仕方のないことだっただろう。
もう一度、竜が戻ってきてニニカと友達になってくれるんじゃないかとか、大きな背中に乗せてこの窮屈な世界から連れ出してくれるんじゃないかとか、あらぬ妄想を繰り広げ一人にやけていたニニカだったが、十分以上も海を見つめ続けて、ようやく神獣が戻っては来ないのだと悟ったようである。
落胆の大きなため息をついて、諦めをつけるかのように左右に頭を激しく振った。
(あ・・・、舟!)
気を取り直したニニカは砂浜に打ち上げられた小舟のことを思い出した。
振り返ってみると、舟はニニカのいる方とは逆に傾いて止まっており、見えるのは舟底ばかりで何を運んでいたものか分からない。
秘密基地の一部ともいえる砂浜に打ち上げられた小舟に、脅威となるようなモノが乗っていないかどうか、どうしても確認しておく必要があった。それでなければ、安心して過ごせないからだ。
ニニカは砂を蹴って駆けだした。
どんな危険が潜んでいるかも分からないので、直接小舟には向かわない。
大きく迂回して反対側に回り込んだ。
ところが反対側からでも舟の内部は見えなかった。
大きく硬そうな布のようなモノが、ほぼ全体に亘って覆っていたからである。後になってそれが布ではなく「ゴザ」と呼ばれる藺草を編んだ敷物だと知ることになるのだが、まだその知識はニニカの中にはない。
(どうしようか・・・)
しばらく見守っていたが、舟に掛けられた布は動く様子もない。
ニニカは「ちらり」と後ろの岸壁に眼をやった。
降りてきた場所からは離れているが、ニニカならここからも登って行ける。崖を登る道はひとつではないのである。いざという時の逃げ道はあるということだ。
続いて何か使えそうな物はないかと周りをに視線を走らせた。
すぐに数歩先の砂の上に十センチほどの長さの木の枝が落ちているのを見つけて拾い上げると、舟に向けて放り投げた。
小枝は緩やかな放物線を描いて宙を飛ぶと、狙いを過たずゴザの上に「ぽとり」と落ちた。
何かあればすぐに退避できるように身構えて見守っていたが、舟には全く動きがない。
次の手に迷っていたのは、ほんの僅かな時間である。すぐに意を決して、舟へと足を踏みだした。
ニニカは優柔不断ではないが、決して軽率なタイプではない。
少しずつ慎重に接近していく。そこに油断はない。何かしらの危険を感じれば、すぐに踵を返せるように準備はしている。
しかし舟に動きはない。
ニニカは極力音を立てないように、用心深く距離を詰めていった。
途中で足元にあった全長五十センチほどの木の枝を拾う。枝や手に付いた砂を払い落している間も視線は舟から外さない。
たった九歳ながら、一瞬の油断が命取りになることを理解しているのだ。
結論から言えば、ニニカが恐れていたようなことは、何も起こらなかった。手を伸ばせば触れるほど舟に近付くまで、たっぷりと時間を使ったが、舟の中のモノは微動だにしなかったのである。
ニニカは「ゴザ」の下に「そっ」と木の枝を差し込んで、ゆっくりと捲り上げてみた。
中は見えない・・・。
もう少し上げてみる。
(え?ひと?)
最初に見えたのは筋肉質の太い腕だった。
認識した瞬間に枝から手を放し飛び退いていた。すぐに逃げられるように身構えて様子を覗う。
そのまま五分ほど待ってみたが、再び「ゴザ」に覆い隠された舟の中に動くモノはない。
少し迷った末に、とても怖かったが再度近付いてみることにした。
お気に入りの場所の真下に
(こんな不気味なモノを放ったらかしにしといたら、安心して寛げないじゃん)
というのが、決定打となった理由である。
ニニカは、慎重に近付いていくと「ゴザ」を手でつかんで一気に撥ね上げた。
同時に大きく後方に飛び退る。
何事も起こらないまま宙を舞っていた「ゴザ」だけが砂浜に落下した。
そろり・・・。そろり。
意を決してニニカは這うように身を屈めながら、再び小舟へと近付いていく。
そおっと頭を上げて覗き込む。
舟の中には、男が一人横たわっていた。
ニニカは、今度は逃げなかった。といっても用心を怠ったわけではない。異変を感じたら、すぐに逃げ出せる準備はしている。
ニニカは舟の男を観察した。
大人の男性だ。
両手を胸の辺りにのせたまま、全く動かない。呼吸すらしていないようだ。
見慣れない変わった衣服を着ている。前合わせの紺色の衣とゆったりとした同色のズボン。親指とそれ以外の物を区別して納めるように先端が二股に別れた紺色の靴。
(異国人!)
初めて見た。
顔立ちを見てみると、低い鼻や丸みを帯びた顎、固く閉ざされた目にはあまり奥行きがないようである。決して太っている訳ではないが、顔のパーツがコンパクトにまとまっているせいか輪郭が丸く見える。
(子供みたいな顔・・・)
それはニニカの知る大人の顔と比較して、立体的な顔立ちではないということであった。
(死んでるの?)
死体を見るのは初めてだが、思ったより怖くない。
ニニカは砂浜に目をやると、先ほど放り捨てた木の枝を見つけて拾い上げた。




