第2章 水竜の贈りし者のこと 1-5
「もう行ってもいい?あたし忙しいの」
捨て台詞を残してニニカが姿をくらますと、シータは眉をひそめて立ち尽くした。
二人きりの家族だ。ニニカの親代わりとなって正しく導いてあげたいのに、なかなかその気持ちは届かず上手くいかない。
シータことシータロッテ・ノックスは十六歳。
トロメス市内にインガル兵が大挙して押し寄せてきた五年前のあの日に、二親とは生き別れてしまった。トルキアという国が帝国の支配下に置かれ、情報も操作されてしまったのだろうか?どこかで生きているとは思いたいが、両親の消息は、まるで聞こえてこない。
「あなたの妹を守って」
母の切なる願いを受けて、当時十一歳だったシータは、誕生日を迎える直前の四歳の妹の手を引いて、トロメス城から逃亡する一団に加わった。
ここは彼らが建てた隠里なのである。
魔の森を抜けアイゼニア王国を目指していたはずの総勢六十人余りのグループが、なぜここに隠れ住むようになったのか、詳しい経緯は子供だったシータは知らない。
大人達は木を切って粗末な家を建て、切り倒して外皮を剥いだ丸太の壁で周辺を囲って野獣避けの防壁とした。
里の始まりである。
防壁の中で畑を作って作物の種をまき、家畜を育て始めた。
外へ外へと囲いを伸ばして里を拡張してきた。
どこからか偵察隊が見つけてきた避難民も加わり、今では百名を越える規模となった。ここで生まれた子供もいる。
みんな必死で働いて森を開墾した。
シータも、できることは何でも手伝った。
それは今も続いている。
両親のいない子供二人が、毎日食べさせて貰っている。その感謝の想いで懸命に働き続けたシータの掌には、透き通るような肌には不似合いな固いタコができている。
藁で編んだ風通しの良い帽子の中に、肩甲骨の辺りまで伸ばした艶のある銀色の髪の毛を納めて、畑仕事に出るのが毎日の日課である。
美しいシータが畑に出ると、彼女に熱を上げる男の子達が集まってきて手伝いだす。最近の里で良く見られる光景だ。宿敵(とニニカは思っている)のケンもその一人である。
「大丈夫かい?ニニカもいつか分かってくれるさ」
「ケン・・・」
いつの間にか近寄ってきたケンが、優しく声を掛けた。
ケンの本名はケネス・ロギンズ。シータより一つ年下の十五歳だ。
偵察隊に選ばれたのが近頃の自慢の種だった。里の中ではほとんど必要となる場面はないのだが、隊に所属する証として与えられた剣を、見せびらかすように剣帯に吊ったままどこにでも行く。それがニニカには、たまらなく鼻に付くという訳だ。
「今度、森で見かけたら必ず捕まえるよ。本人のために、ね。この森は小さい子には危険なんだ」
「ありがとう」
愁いを帯びたシータを見ていると胸が苦しくなる。
「任せて。・・・心配ないよ。もしも森で危ないことがあったら、ニニカはオレが守るから」
力強く胸を叩いて言う。
「うん・・・」
俯くシータの横顔を見詰めて、
(綺麗だ・・・)
と見惚れたケネスの顔が真っ赤になった。
「ニニカが生意気でごめんなさい。あと・・・、いつも手加減してくれてありがとう」
最近、妹が何かとケンに突っかかているのを知っている。ニニカが手を出した時、ケネスがわざと負けてくれているのも分かっている。
「子供に本気なんか出せないよ」
シータの妹だから・・・という理由は呑み込んで、ケネスは頭を掻いた。
「オレ、もっと強くなるよ。誰にも負けないくらい強くなって、シータのお父さんとお母さんを探し出してみせる」
「ありがとう」
シータは微笑んだ。たまらなく可愛い。ケネスの紅潮した顔が戻る暇もない。
「そろそろ行くよ」
そっぽを向いて誤魔化すように言って、ケネスは踵を返して大股で立ち去っていった。
それを見送ったシータが鍬を持って振り返ると、聞き耳を立てていた年頃の四人の男子が慌てて野良仕事に戻る。
ケネスを含めた彼等の気持ちを、ちゃんとシータは分かっている。嬉しいと思う反面、実は困惑もしている。どう考えても彼等に対して恋愛感情が湧いてこないからである。
好きか嫌いかと問われれば、全員好きの部類に入るだろう。でも恋しているかどうかといえば、はっきりと「否」と答えられる。
このまま何事もなく年齢を重ねていけば、いづれは彼らの内の誰かと結婚するのかもしれない。そのまま平穏な暮らしを続けていければ、相手が誰であっても、家族としての愛は育まれていくのかもしれない。でもそこには、身を焦がすような想いはない。
誰か一人を選ばないと、全員を不幸にさせてしまうのではないかとは思うものの、選ぶことはできない。彼等に対する「好き」には優劣がないからである。
(私は、ニニカをちゃんと育てないと・・・)
シータは恋愛できない理由を、そう言い訳する。
日が暮れてきた。そろそろ夕食の準備を始めないといけない。
(この畝だけ仕上げたら、今日は終わりにしよう。夕食の後で、ニニカともう一度話してみようかな)
シータは畑に戻り鍬を振るい始めた。
「こらぁ!ケン!あんたでしょ!」
ケネス達四人の背後からニニカが突進してくる。
「おっと」
身を躱したケネスが、
「何のことだよ」
訊いた。
「あたしが森にいたってシータに言ったの、あんたでしょ!」
「いや、オレは知らないぜ」
「あんた達しかいないんだよ!」
ニニカが殴り掛かる。
「おっと」
その手を払い除けてケネスが言った。
「オレ達じゃねぇよ。お前、もしかしてホントに森に行ってたのか?」
「・・・。行ってない!」
一瞬、妙な沈黙を挟んだ後、ニニカは大声で否定して再び殴りかかろうとする。
「お前、無実の人間を攻撃するのかよ」
実際のところ、密告したのはケネスなので、けして無実ではない。
真実はこうである。
森に狩りに出ていた偵察隊の内の数名が、小さな影が木から木へ飛び移って見た。それは一瞬で視界から消え去ってしまったため、良く確認する暇もなかった。
子供のようにも見えた。しかし人間業とはとても思えなかったため、他の隊員達は猿だと結論付けた。
ただケネスだけは、ニニカではないかと感じた。つまり確証があったわけではないということだ。それをシータにさも見たかのように告げてしまう辺り、ケネスも褒められたものではない。
「森は危ないんだぞ。シータを心配させるんじゃねぇよ」
「行ってない!」
当然、これは嘘である。
ニニカは拳を振り回し続ける。ケネスは身を躱したり、腕を払ったりしながら避け続けていたが、ついに腹部にいいパンチをもらってしまった。
子供が相手とは言えども、本気の拳は相当に痛い。
「うっ・・・」
腹を抑えてよろめいてしまう。
「今度くだらない嘘をシータに吹き込んだら、こんなもんじゃ済まないからな!」
勝利を収め、敗者を指差して言い捨てたものである。ニニカは大いに憤慨しながら踵を返し去っていく。
いつもケネスが反撃してこないことには気づいていないのだった。




