第2章 水竜の贈りし者のこと 1-4
「ニニカベルテ!また森に行ってたのね!」
里に戻ったニニカを出迎えたのは、姉の怒声であった。
シータが愛称で呼ばない時は、かなり怒っているということだ。
(マズイ!)
ニニカは、と首をすくめてそそくさと逃げ出そうとした。
「こらあ!逃げるな!そこにいなさい!」
思わず後退りしようとしたニニカを大声で制して、シータが鍬を片手に「つかつか」と近付いてくる。
農作業中だったようである。
里の人々が興味津々ながらも遠慮がちに送ってくる視線に耐えながら、ニニカは「気を付け」の姿勢のまま待っている他なかった。
「あんた、里を抜け出したのね!森は危険だって言ったでしょ!」
今や目の前まで近付いたシータは左手を腰に置いて、右手の人差し指でニニカの胸の辺りを突きながら叱り始めた。
「また家の蝋燭を持って行ったね!いったい何に使ってるの!」
浴びせられる怒声に眼を瞑りながらニニカは直立の姿勢を崩せない。
できることなら目ではなくて耳を塞ぎたい・・・。
「森が火事にでもなったらどうするのよ!」
薄目を開けて「ちらっ」と周囲を見れば、ケンと彼の取り巻き三人衆が口に手を当てて笑っている。
(ちくしょう!あいつ等、後でぶん殴ってやる!)
みんな男で年上だが、喧嘩なら負けやしないのだ。
「ちゃんと聞いてるの!」
「う・・・・」
「森で何をしてたか、ちゃんと言いなさい!」
「それは・・・」
「何をしてたの!」
そんなに捲し立てられては、答えたくとも答える暇もない。
「さ、里にいたもん!」
やっとのことで言葉をねじ込んだ。
「嘘吐き!里のどこにいたのよ!」
「秘密の場所だもん!教えられない!」
「森であんたを見たって人がいるのよ!猿みたいに木から木へ飛び移ってたって!」
ニニカは少し言葉に詰まった。その行動は身に覚えがある。
「・・・そんなの知らない。あたしじゃない!」
「嘘吐け!どうやって里から抜け出したのよ!」
シータの弱い点はここにある。
里の全周を囲む巨大な丸太の防壁は、当然のことながら里へ侵入する獣を阻むために建てられている。人間が、ましてや子供が簡単に乗り越えられるような代物ではない。普通の子供であったら、の話ではあるが・・・。
門には必ず二人以上の門番が常駐しているから、見られずに外に出ることは不可能に近い。ニニカのような子供が一人で外に出ることを、見逃してくれるはずもないのだ。
シータには妹が里を抜け出した方法が、全く分からないのである。
「森になんて行けるはずないじゃん!どうやったら里から抜け出せるのか、こっちが効きたいよ!」
ニニカは本当に木登りが得意なのである。外皮を剝いでつるつるになった丸太だろうが、僅かな出っ張りに指を掛けて登ることなんてことは朝飯前なのだ。人目に付かない所で「ささっ」と乗り越えてしまう。「猿みたいに・・・」とは言い得て妙だ。
最近はあまり使ってはいないが、秘密の通路もある。
水車小屋の床下から土の中を通って塀を越え、森まで通じる道だ。木の板で蓋をした出口は藪の中にあり、外から見ても分からないようになっている。
二人の足元を二匹の森兎が駆け抜けていく。
野生の森兎である。防壁に囲まれた里の中に、作物を狙って野生の森兎が出るのだ。どこから入り込んでくるのか?その答えがニニカの秘密の通路である。
誰にも言っていないが、ニニカは里にある森兎の巣穴を四つ知っている。誰も知らない巣穴である。恐らくそのどれもが外に通じているであろう。
これが里の中に野生の森兎が出没する理由であった。狙いは農作物である。
ちなみに里に出没する森兎ならば狩りの収穫として持ち帰っても、森にいたことはバレない。だからニニカは森兎を狙うのである。
話は戻るが、四つの巣穴の内のひとつ、ニニカが最初に発見したモノが水車小屋の床下にあった。泥だらけになりながら、何日もかけて自分が通れる太さにまで拡張してみた。すると里の外の藪の中に出たのである。
人間の匂いが付いたためか、森兎は寄り付かなくなったから、その穴はニニカ専用の秘密通路となった。
まだ丸太の壁を乗り越えられなかった頃、最初にニニカを里の外へと導いてくれた大切な道である。今でも時折メンテナンスはしている。
ニニカは秘密は誰にも話さない。心を許した子分達(と、ニニカは思っている)にも、である。まだ九つなのに、友達にだって口を滑らせてしまえば、いずれ大人にもバレてしまうことを経験から良く理解していたのである。
バレてしまえば取り上げられてしまう。大人とは、そういう生き物だ。秘密の通路なんて、すぐ塞がれてしまうだろう。
だから丸太登りのやり方だって、誰にも教えない。だから森に行く時はいつも一人なのだ。
この口の堅さが、大勢の子供達の命を救うことになるのだが、それはまだ先の話である。
とにかく今のニニカには里を抜け出すなんてことには、何の苦労もないのである。でもその方法は誰も知らない。だからシータは確信を持って叱れないのだ。
「門にはジゼルさん達がいるのに、あたしなんて通してくれるワケないじゃん!」
里に一か所しかない閉ざされた門を指差す。それ様子がどこか得意気であることが、シータには腹立たしい。
「森になんて行けるワケないもーん」
ちなみにジゼルというのは、監視塔の上にいる小太りの壮年の男のことである。特別なことではなく里で農作業に従事する男衆は、交代で警備も担当する。
「じゃあ、今までどこにいたのよ!」
「だから秘密基地だってば!秘密だから秘密基地って言うのよ」
ニニカのペースになってきた。
「教えちゃったら、秘密じゃないじゃ~ん」
「うるさい!森であんたを見たって人がいるのよ!それはどうなのよ!」
「あたしに似た猿かなんかでしょ?あたしは森になんて行ってないもん」
「森は危険なの!何で分からないのよ!」
「だから、あたしは森になんて行ってないってば!」
ニニカが嘘を吐いてるだろうことは、里中の誰もが何となく感じている。でも証拠がない。
「どうしても、あたしが森に行ってるって言いたいのなら、森であたしを捕まえることね。無理だと思うけど・・・。だって行ってないも~ん」
そもそもの前提が間違ってはいるが、道理にかなった主張である。
なんで野生の猿みたいなすばしっこい妹に育ったのか、まるで分らない。大人が本気になって数人で取り囲んだってニニカを捕まえるのは困難だ。
でもイライラするが大切な妹には違いない。シータの心の底には、確かに愛情があった。




