第1章 アイゼニアの姫のこと 14-4
(思った以上にキツイ)
ウォルフは内心焦っている。
三種類の魔法を維持することが、である。
浄化付与とサイズ違いの浄化之矢がふたつなので、厳密には二種類の魔法ということになるのかもしれない。しかし同じ魔法といっても威力の異なるモノを制御するには、それぞれに別の指令回路を作らねばならない。その並列進行が難しい。
これも「慣れ」なのだろうとは思うが、今コントロールを失えば、自分ばかりでなく三人全員の命が危うくなるに違いない。
ウォルフは右手の魔法を乱射し始めた。
左手の浄化付与は解くわけにはいかないので、速射用の浄化之矢を使い切るつもりなのである。
「兄さん?」
動きの変わった兄の様子を心配してナッシュが声を掛けた。
「大丈夫だ」
答えた頃には、速射タイプの方は全て使い切っていた。百発余りを使い切るのに数秒しかかかっていない。その代わりに新たに貯めているのは、威力重視の浄化之矢である。十個ほど作ったところで制御が難しくなってきた。
込める魔力の量が大きいのでコントロールの負荷もそれなりにかかる。増強している左手の浄化付与と合わせると、今のウォルフには十個以下が妥当なラインのようだ。
「走れますか?」
豪胆に剣を振りながらナッシュが訊いてくる。
一対多の戦闘の場合、なるべく早く包囲網から脱出しなければ体力が持たない。足を止めれば数の力で磨り潰されてしまう。
多勢に無勢であっても相手が感情を持つ生物であれば、個人の圧倒的な武力で威圧すれば、あるいは相手の心を挫くこともできたかもしれない。しかし死霊兵には当てはまらない。
「行こう!」
ウォルフが答えた。一番体力のない自分が答えるべき質問だと思ったからだ。
賛同の意味を込めてティアナも頷く。
「行きます!」
気合と共にナッシュが駆けだした。
大振りを止めコンパクトに右へ左へ兜割を繰り出しながら、立ち塞がる相手だけを確実に仕留めていく。
左手はほとんど剣の峰の中腹辺りを握ったままになっている。バスタードソードの長すぎる剣身を細かく正確に扱うためにである。短く持てば制御もし易いし、勢いを付けなくても峰を押す力を強い攻撃力に変えられる。
だから兜割は片刃の剣なのである。
ナッシュの後ろをティアナ。彼女を守るようにして最後尾にウォルフが続く。
しかし・・・。
「ナッシュ、待って!もう少しゆっくり!」
十メートルも進まない内に、後ろからティアナの声がかかった。
振り返ってみれば、早くもウォルフが遅れ始めている。
体力不足であることは否めない。だがそればかりとも言い切れなかった。
「兄さん?」
ナッシュは迫ってきた敵兵の兜に剣を突き込みながら疑問を呈した。力押しではいづれ破綻する。それは分かっていたが、あまりにも早すぎる。
それだけにナッシュには何が起こったのか理解できなかったのだが、その理由を率直に言えば、ウォルフにかかる負荷が大きすぎたということである。
それには、よっつの要因が考えられるだろう。
ナッシュが前方に集中しているのに対して、ウォルフは左右、さらに後方にも気を配らなくてはならなかった。全方位に気を配らなければならなかった事、それがひとつ目の理由である。
走りながら呪文を唱え魔法を構築するのは、魔術師の戦闘に於いて必須の技術ではあるのだが、実はウォルフはそれを不得手としていた。実際には、ほとんどの魔術師よりもうまくこなせるので、苦手意識があると言い換えた方が正確かもしれない。それがふたつ目の理由。
みっつ目としては、戦闘経験が不足していることが上げられる。未熟であれば必然、動作に無駄が多くなる。そしてそれは、命を賭した戦闘の中では想像以上に体力をすり減らしてゆく。
最後に魔法の威力を上げるために呪文の詠唱時間が伸びたことがある。それはウォルフの心の余裕を奪ってしまった。敵の数が多すぎて魔法構築のスピードが間に合わない。焦りが生まれた。それは状況を悪化させる。
その結果、僅か数十メートルも進まぬ内に行き詰まってしまったのである。
自滅とも言える。
(このままじゃダメ!)
それに一早く気付いたティアナがナッシュに声を掛けたのだった。
かくいうティアナも、自身にもどかしさを感じている。
レイピアでは完全武装の敵兵には、必殺のダメージを与えられない。魔法は、と言えば、まず詠唱速度が遅い。あまつさえ唱え間違いが多く、発動自体が運を天に任せる博打のようである。
もっと真面目に練習しておけば良かったと数日前の自分に後悔するも、それは先に立たずである。
「ウォルフ、無理をしないで!」
ウォルフは自分を守ろうとしている。それは痛いほど分かる。しかし、一口に「守る」と言ってもその内容は様々である。
(この「守る」はダメ!)
それを理解させなくてはならない。
ウォルフは、兄弟でティアナを挟んで敵を近付けさせないようにしている。それでは戦士二人と荷物がひとつだ。ティアナは、そんなことは望んでいないのだ。
「私も闘える!」
力強く言い切ってティアナは、付与魔法が切れかけた細剣を構えてウォルフの前に出た。
互いの背中を「守る」でなくては、ここは切り抜けられない。戦士二人と半人前が一人。それが正しい闘い方だと直感していた。
「付与魔法をちょうだい」
「あ・・・・」
言われて初めてウォルフは、付与の効果が切れかかっていることに気付いた。それほど余裕を失っていたのだ。
左手の浄化付与をナッシュとティアナへ解き放つ。二人の剣に強い白光が戻った。
ティアナに二体の死霊兵が迫る。
ウォルフの右手には、もはや浄化之矢は残っていない。慌てて呪文唱え始めるウォルフへ振り返ったティアナは大胆にも微笑んだ。それを見たウォルフが呆気にとられるほど、戦場には似つかわしくない微笑であった。
手にしたレイピアが弧を描くように動く。
それからの動作は、まるで熟達した演舞でも見せられているかのようだった。ティアナの華麗で滑らかな所作にウォルフは眼を奪われた。
最初の一体が突き出した剣をレイピアで受け流す。そのまま体勢を崩した相手の足を払って転倒させる。続く二体目の首元に刺突を放つが、これは分厚い兜に阻まれて弾かれる。
やはり細剣は鎧とは相性が悪い。だがそれは覚悟の上である。
首を突かれて上体が起きた敵兵の足を掛けて刈り取った。二体の死霊兵が折り重なるようにして倒れ込んだ。
全ては一瞬の出来事である。
「私も闘える」
ティアナは茫然とするウォルフを横目で見ながら、先刻と全く同じ台詞を今度は静かに、しかし断固たる決意を秘めて告げたのだった。




