第1章 アイゼニアの姫のこと 14-3
「要するに慣れだよ、ウォルフ」
亡き師の言葉が蘇る。それは決まって、限界まで耐え抜いた先にほんの一ミリの成長があるのだ、と続く。その一ミリを積み重ねることを鍛錬と呼ぶのだ、と・・・。
「諦めず、投げ出さず、己の限界と向き合い続ければ、お前はそう遠くない未来に儂などは及びもつかない程の大魔法使いになれるだろう」
繰り返し聞いた言葉だ。
いつも微笑みを含んだ優しい眼差しでウォルフを見詰めながら、ユリウスは言うのだった。
だがウォルフ自身は、そんな日が来ると思えたことは一度たりともない。自分の限界と向き合うというよりも、偉大なる師の模倣をし続ける日々だった。
無防備になった瞬間の弟の左右に迫る死霊兵に魔法を放ちながら、新しい魔法陣を貯めていく。そんなウォルフの姿を他の魔導士が見たら「なんと器用な・・・」と驚嘆するに違いない。
闘いのさなかにありながら、そんなことをふと考えた。
それに対して自分はどう返答するだろうか?その返答に対して思考がおよんだ時、師の言葉が「すとん」と腑に落ちた。
「要するに慣れだよ」
その言葉が別の意味を持った瞬間である。
古来より最高の贈り物は「言葉」だと言われている。
物質的な財産とは異なり、火災や窃盗などの不幸にあっても奪われることはなく、生涯の魂の道しるべとなるモノだからであろう。
実は人は自らの成長に必要な言葉は全て与えられている。
それは親や教師からの助言だったり、友人との何気ない会話の中にあったり、あるいは手に取った本の一文だったりすることもある。触れた時に妙に心に残る言葉こそが、自らが必要とするそれに外ならない。問題は、どのように解釈するかという一事に尽きる。
何かに導かれたように何度も繰り返し同じ言葉と出会うことがある。それは自身が気づきを得ていないということと考えて差し支えない。
自分自身が受け取り方を変えた時に、聞き古された言葉は別の顔を表す。
それが覚りである。
覚りを得た瞬間、心の中は光で満ちたように輝く。今のウォルフがまさにその状態であった。
無論、人それぞれに必要な「言葉」は異なる。ウォルフの場合は、ユリウスのそれだったということである。
師のようにはできない。ウォルフは、ずっとそう思っていた。だがそれは誤りであった。
ここまでできるようになった。そう考えるべきだったのだ。
ユリウスと出会った時、彼は闇に怯えた内気な少年だった。魔法など使えるよしもない非力な少年。
それが努力を重ね、他の魔術師たちから一目置かれる存在にまで成長できた。
魔法の使い方を見て他人に驚嘆されれば、同じように「慣れだ」と答えるだろう。そうウォルフは思う。だが積み上げた努力で到達した地点である。それは師も同じだったのではないか?
ウォルフが決して追いつけないと思っていたユリウス・アークレイという存在とは、つまるところ血の滲むような研鑽を続けた結果として、辿り着いた境地なのだ。
簡単な道ではないだろう。持って生まれた才能は勿論のこと、抱えきれないほどの幸運も必要だろう。だが自分自身を練磨し続けていれば、気づいた時には、ユリウスの言う「大魔法使い」になれているかもしれない。
まだ道の途中である。遠くを見て嘆く必要はなく、着実に歩み続けるうちに見下ろせば、遥か高みに立っている事だろう。
疑うなかれ。
大切なのは倦まず弛まず研鑽を重ね、一ミリずつ成長していく事なのだ。
それがウォルフの覚りである。
ウォルフの中で「慣れ」という言葉は、本来の意味を離れ、これほどの広がりを得た。
絶体絶命ともいえる危機的状況の中でウォルフの心は驚くほど穏やかになっていた。視野が広がり周囲が良く見える気がする。
ウォルフは視界の端にティアナを捕らえた。
右手にレイピアを構え、左手では覚えたての魔法陣を展開している。黄の魔法陣は、浄化之矢に違いない。それ以外には使えないはずだ。
同じ魔法だが、魔法陣がウォルフの右手のモノの倍以上大きいのは、手記に書かれていた通りに唱えているからだろう。
ウォルフは威力を抑え、手数を増やすことを目的として呪文を改造している。故に僅か一秒の間に三つか四つの魔法陣が完成し、重なっていく。
対してティアナは、たっぷり八秒ほどかけて、魔法陣がひとつ完成しようとしていた。ウォルフならば三秒かからずにできることを三倍近い時間をかけていることになる。
魔法に不慣れということもあるが、練習不足というのが主たる原因である。実を言うと、ここまで四回ほど呪文を間違えて、魔法陣が消えてしまっていた。
三度目ならぬ五度目の正直といったところで、ようやく完成を見た魔法を慎重に狙いを定めて解き放った。右に左に浄化之矢を飛ばしながら、ティアナの魔法の結末を目撃したウォルフは、目を見張ることになる。
ティアナの手から放たれた黄色い光線は、手近にいた一体を直撃し三メートルも吹き飛ばしたのだ。魔法を受けた死霊兵は、全身を薄く黄色に発光させながら後方へと飛ばされた。するとなんと、その個体を受け止める形になった二体の死霊兵にも黄光が伝播したではないか。
すぐに直撃を受けた一体の身体が痙攣し始めた。
手から剣が零れ落ちる。そして仰向けに倒れたまま、やがて黄色の発光が消えても、二度と起き上がることはなかった。
後ろの二体も剣を杖代わりに立ち上がろうとしているが、膝が震えて上手くいかない。
(なんだ、これは!)
ウォルフは驚愕した。良かれと思って改変したものが、実は裏目だったようだ。魔法を当てた死霊兵を葬れるならば、ひとつ三秒かかったとしても、手数を増やすよりも効果的なのは考えるまでもない。
ティアナは既に次の魔法の準備に入っている。
ウォルフは右手の浄化之矢の球の上に、倍以上サイズの大きい魔法陣を作り始めた。




