第1章 アイゼニアの姫のこと 13-4
その晩は、無理せず野営地まで戻り、夜を明かすことにした。
当然のことながら、既に仲間たちは旅立った後である。誰もいない野営地に火を熾して暖を取る。すぐにアイサは夕食の調理に取り掛かった。
貧血気味だったガウェインには、山鼠の肉が絶大な効果を発揮したようだ。一晩ぐっすりと眠ると、翌朝にはかなり回復していた。
一方のアイサは、断続的に短い睡眠を繰り返し取りながら、火の番をして夜を明かした。
仕方のないことだったとはいえ、闘わずに回避できた可能性の高い妖獣を相手にしたため、五日間を無駄にしてしまった。仲間達からも逸れてしまった。
(追いつかなければならない)
二人の想いは同じである。
次の日から昼夜を徹して後を追った。
アイサは天性の狩人だ。移動した痕跡を探し出し、強行軍で追跡しながらも小動物の気配を察知すると、さっと姿を消して瞬く間に仕留めて戻ってくる。
ちょっとした休憩の合間に火を熾して獲った肉を燻製にする。充分に乾燥させられなかったが、数日は問題なく食せるだろう。簡易的な保存食だ。空腹を感じたら、それを食べながら歩く。
足を止めるのは、ほぼ寝る時だけだ。火を熾して肉を燻しながら交代で数時間の仮眠を取り、また後を追う。
途中何度かガウェインはテレの根を齧らされた。その間も歩みは止めない。その甲斐あってか左腕には突っ張るような感じは残っているが、痛みはほとんどなくなっている。
ガウェインには、ティアナ達がどの程度先にいるのか分からない。或いはアイサにはおよその見当がついているのではないかとは思うが、あえて訊こうとはしなかった。ただ黙々と後に付いていく。追跡の技術も狩りの経験も持たないガウェインには、それ以外にできることはなかった。
何日も集中力を切らさずに痕跡を探し続けているアイサの負荷は、想像を絶する。その断片程度は理解できるだけに、少しでも邪魔になるような真似はできない。
(睡眠不足の身体で、極限に集中した状態を何時まで保てるのだろうか?)
(無理にでも、少し休ませた方が良いのだろうか?)
答えは分からない。ただ、その時が来れば即座に支える覚悟でいる。それまでは、見守るしかない。
そんな想いを知ってか知らずか、アイサは正確にティアナ達が辿った道をトレースしている。
夜を明かした場所をいくつか通り過ぎ、何かの魔法を使った痕跡も見つけた。
焚き火を消した跡。
鋭い刃物で切断された木の枝。誰かが横になったような窪み。
地面に張り出した根の上に残された細い靴跡は、ティアナのモノに違いない。
柔らかく湿った土には、無数の足跡が残されている。
少し歩き疲れているのか、杖を突いて身体を支えて歩く人物がいる。
大きな靴跡の人物は、他の誰よりも歩幅が広い。
右足の踏み込みが左よりも僅かに強い人物。爪先に力を入れて歩く人物。
足跡には歩き方の癖が出る。おおよその身長や体重も読み取れる。アイサの眼には、森を歩いていた四人の姿が見えている。
動物の足跡もある。
紫狼の群れが何かを探すかのように周囲を歩き回っていたようだ。しかしこれは、古いモノだ。両者は遭遇していない。
日が落ちた森の中で松明で周囲を照らしながら、驚くべきスピードで残された情報を次々に読み取っていく。瞬時に必要な情報だけを抜き取り、進むべき方向を決める。その取捨選択の速度は、夜間でもほとんど変わらない。
昼夜を問わず、ひたすらにティアナ達の後を追っていく。
そして遂に・・・。
「近い・・・」
アイサは小さく呟いた。
残された痕跡を(まだ新しい・・・)と読み取ったのだ。アイサは振り返ってガウェインを見た。
「かなり近付いています。・・・全員の歩幅が小さくなっている。何かを警戒しながら進んでいたようです。・・・他に生物の痕跡はありませんね・・・。これほど周囲を気にしているのは、目的地が近いからなのかもしれません」
「なるほど」
「上手くいけば、今夜中には追いつけるでしょう」
その言葉を受けてガウェインは大きく頷いた。ティアナ達と合流できれば、アイサを休ませてやれるかもしれない。そんな想いもある。
「お願いします」
ガウェインは、その一言に様々な想いを込めた。
ふっとアイサが微笑む。だが、それも束の間のことである。次の瞬間には、その顔は厳しく引き締まっていた。
「何か・・・おかしい・・・」
緊迫感を伴った声でアイサが言った。強烈な違和感を感じたのだ。
「マクベス卿、周囲に気を付けて下さい!」
ガウェインは目を疑った。
大地が霞んで見える。それは夜の闇の仕業ではなかった。あちらこちらから黒い煙が「ゆらゆら」と立ち昇って、陽炎のように地面を歪ませているのである。
二人にとって未知の現象が起きようとしている。それが「禍々しい何か」であることだけは、肌で感じていた。
二人は慌てて周囲を見回す。
「木の上に!」
樹上には黒い陽炎は発生していない。それを見て取ったガウェインが素早く指示を出した。
「失礼!」
片手で半ば奪うように松明を受け取ると、もう一方の手で戸惑うアイサの身体をかかえて、軽々と太い枝の上に持ち上げた。
「もっと上に登って!」
アイサが枝にしがみつくのを見届けると、松明を地面に落として何度も足で踏み付けて消火した。続いて自らも枝に飛びつき、懸垂の要領で身体を持ち上げる。
黒い陽炎がガウェインの許にも迫ってきている。煙に触れてはならないと直感が告げていた。
両腕に力を籠めて、慌てて身体を引き上げた。まさに間一髪である。
「何が始まるの・・・?」
アイサが呟く。近くまで登ってきたガウェインに訊いたというよりも、茫然自失となり思わず声となって漏れてしまったという感じである。
「分かりませんが・・・何か嫌な予感がします」
ガウェインは冷静に答えた。
「さあ、もう少し上に逃げましょう」
促されてアイサは上の枝に手を伸ばし登り始めた。ただ視線は地表に漂う黒煙から外さない。知らず肌が粟立っている。
陽炎の中から、何かが生まれようとしていた。




