第1章 アイゼニアの姫のこと 13-1
魔の森の一角に一組の男女の姿がある。
どちらも戦士である。
男の方は両手に一丁ずつ手斧を下げた巨漢で、ぼろぼろに擦り切れたマントを羽織っている。マントの隙間から覗く分厚い胸板には、血の滲んだ包帯が巻かれおり見るからに痛々しい。顔色が少し青白いのは、大量に血を失ったせいかもしれない。
女の方は二本の短剣を腰に手挟んだスピード重視の戦士だ。
周囲の様子を注意深く観察し、気になるモノを見つけると、近寄って確認する。分かれ道に差し掛かれば、堆積した落ち葉を払って残された足跡を探し、不自然に折れた草木や石が嵌っていたはずの小さな窪みなどを確かめる。
彼女は痕跡を追っているのである。そうやって進むべき方向を決めているのだ。
ガウェインとアイサである。
妖獣との死闘から既に四日が過ぎている。
辛くも勝利をつかんだ二人だったが、事はそう簡単には進まなかった。
戦闘直後からガウェインが高熱を出して意識を失ってしまったのである。確証はないが、妖魔獣の爪から入った毒素が原因だったのではないかと思われる。
アイサがいなければ、絶命していても不思議はないほどの重篤な状態だった。
事の経緯を振り返ってみると、それを幸運と呼んで良いモノかどうかは判断に迷うところだ。ただし、その場所が妖獣の縄張りだったことが、命を取り留めた一因であることは否めない。
魔の森の生物は、弱った獲物には容赦なく襲いかかる。労せず手に入る食料だからである。
たとえ獲物から毒の匂いを嗅ぎ取ったとしても、手を緩める理由にはならない。
まず腹を満たすことが第一で、その後猛毒に苦しむことになろうとも、そうなった時に対処するだけのことなのである。多くの肉食の生物にとって、この森で食料を得ること自体が命懸けなのだ。
故に意識がなく身動きの取れないガウェインは、獣たちにとっては、この上ない天からの贈り物になるはずだった。
複数の獣に襲撃された場合、万全な状態であってもアイサ一人で意識を失ったガウェインを守りきれたとは考えづらい。それにも拘わらず、目覚めるまで何事もなく療養できたのには、そこが死んだ妖獣の縄張りだったからに他ならない。
強者の支配領域に侵入することは自殺行為に等しい。妖獣の匂いが未だ強く残るそのエリアに足を踏み入れようとする生物など、皆無だったのだ。
それ故に、襲われず生き永らえた。
その様に考えると、皮肉なことにガウェインを死の淵に追いやった妖獣が、その死後に彼の命を救ったと言えなくもない。
無論、アイサの存在を無視することはできない。
彼女自身も背中に打撲を負っており十全な状態とは言えなかったが、激しい痛みに耐えながら、ガウェインの身体に血止めをして包帯を巻き、解熱効果のある薬草で全身を冷やした。
続いて食べられる野草を摘んで食料を確保した。ガウェインから離れすぎないように注意しながら近隣を探索し、幸運なことに水場を探し出した。水筒の皮袋いっぱいに水をくむ。
清潔な布に浸した水分を少しずつ口に含ませ、数時間おきに薬草を交換して包帯を巻きなおす。それ以上の長時間になると薬効が持たないからだ。
アイサは自らも痛みを抱えながら献身的に看病を続けた。その甲斐あって、次の日の夜を迎える頃からは徐々に熱が引いてきたのである。
それを見届けて、ようやくアイサも睡眠をとった。
そして丸二日間、昏睡状態にあったガウェインは、遂に翌朝に意識を取り戻したのである。
「すまない」
弱弱しい声でガウェインが言う。まだ毒素は抜けきっていないようだ。アイサは静かに頷いて返答の代わりとした。
「早く、戻らなくては・・・」
半身を起こそうとするが、思うように力が入らず上手くいかない。
「くっ・・・」
爪で踏みつけられ、深く裂かれた左腕に激しい痛みが走り、思わず顔を歪めた。
「もう少し回復してから追いかけましょう」
アイサが「そっ」と腕を抑える。
「しかし・・・」
反論しようとするガウェインの口元に「ひょろり」と長い紐のようなモノを押し当てた。
「よく噛んでください。痛み止めです」
同じモノを自らの口元にも運ぶ。
「う!」
ひと噛みして、ガウェインは顔をしかめた。
かなり苦い。
「良く嚙んで下さい」
自身も強烈な苦味に眉を寄せながら、アイサはもう一度繰り返した。
テレと呼ばれる草の根は、磨り潰すことで薬効が出る。解毒、鎮痛、解熱、整腸など多岐にわたる効能があるとされるが、服用には制約もある。空気に触れさせたり、飲み下してしまったりしては、ほとんど効果がなくなってしまうのである。
苦味がでなくなるまで口の中で咀嚼してから、出涸らしの繊維を吐き出すのが正しい接種方法とされる。
確かな効力があるのだが、あまりにも苦いため好んで服用する者はいない。そのため市街地においては薬として処方されることは、極めて稀である。
「苦味が出なくなるまで、噛んでください」
そっと吐き出そうとしたガウェインを横目で見咎めてアイサは言った。
「くっ・・・」
目の前で同じモノを噛み続けるアイサを見て、何となく勝負じみた気持ちになってくる。(恥ずかしい姿は見せられない!)と考えると、ガウェインも逃げるわけにはいかなくなった。
もはや致し方ない。
覚悟を決めて、しっかりと嚙み始める。口中に不快な苦みが広がるが、耐えるしかない。三十回程、咀嚼していくと、次第に苦味が薄れていくように感じた。
上目遣いにアイサを覗き見る。
視線を受けてアイサは微笑みながら大きく頷いた。許しを得たガウェインは、口腔内に残った繊維質を慌てて吐き出した。
「ふふふ」
その様子を見てアイサが声を立てて笑う。
背後に回って身体を支えて半身を起こすのを手伝うと、水の入った革袋を手渡す。
「落ち着いて、ゆっくりどうぞ」
柔らかな声が耳元に届く中、口に残った苦味を押し流そうと、ガウェインは浴びるように水を飲んだ。受け取った水筒の口をしっかりと閉じて、アイサは再び横になる手助けをする。
「少し眠りましょう。眼を閉じて。明日になれば良くなっているはずです」
マントを身体の上に掛けてやり、風が入らないよう首元を抑えて隙間をなくす。それからガウェインの額に手を当てる。
まだ熱を帯びて火照った身体に、触れられたアイサの手は冷たくて気持ちが良かった。その心地良さに目を閉じると、再び眠りの中に返っていく。
ガウェインは、一命を取り留めた。
峠を越えた安心感から緊張の糸が解けて、アイサの意識も遠のく。休息を欲する肉体に抗うことなく崩れ落ちるようにして倒れ込むと、半ば気絶するようにして眠ったのである。




