第1章 アイゼニアの姫のこと 12-6
ゼノンは痺れの残る右手に、口と左手を使って剣をキツく縛り付けた。
使ったのは、着衣の裾を歯で噛み千切り作った布である。
絶対に手から離れないように幾重にも巻き付けて固定していく。
(これでいい)
この緊迫した状況で、そうすることができたのは、ウォルフのお陰である。魔法での援護射撃で、髑髏騎士を後退させてくれた。それで備える時間ができた。
あのまま撃ち合えば、数合も打ち合えずに剣を取り落としていたに違いない。数回いなしただけで、すでに右手の感覚がなくなっている。それほどに、この敵の斬撃は重い。
この瘴気を纏った暗黒の戦士に勝てるとは思わないが、剣が手から離れさえしなければ闘える。皆が逃げ切れるだけの時間を稼いで、隙を見て自分も退却する。それが狙いである。
戦闘準備は整った。
ゼノンは顔を上げて敵を見据える。
髑髏騎士は、完全に標的をウォルフに変えていた。
しかし、何ということであろうか?
大陸で五本の指に入ろうかというほど熟達した魔術師が放つ無数の光線を、剣と盾で一つ残らず弾きながら、少しづつ距離を詰めているではないか。
(自分に同じことができるのか?)
自身に問いかけた答えは「否」である。
(とても、できない・・・)
技でも力でも及ばない。分かっていても、やらねばならなかった。
(安全な場所まで姫を逃がす!)
断固たる決意を胸に秘め、ゼノンはウォルフと髑髏騎士の間に割って入った。
「ウォルフ、お前も逃げるんだ!殿下にはお前が必要だ!」
ギリアムは死に、ガウェイン達とは逸れてしまった。この敵地において土地勘のあるウォルフは、姫の傍に行かねばならない。でなければ、ティアナがナッシュと二人きりでこの場から逃げられたとしても、その先に未来はない。
「俺もすぐに後を追う!」
自らを鼓舞するように、ゼノンはその言葉に力を籠めた。
ウォルフは、ゼノンの意図を余すことなく理解した。だが、五歩ほど退っただけで、その場を離れようとはしなかった。そのまま呪文を唱え始める。
「何をしているんだ!早く行くんだ!」
横目でその様子を見たゼノンが知らず声を荒げる。
三合、四合と立て続けに激しく剣を合わせながら、何とか凌いでいるものの、それほど長い時間を持ち堪える自信はない。なるべく早く逃げる算段を付けたいというのが、ゼノンの本音だった。
ウォルフの考えは少し違った。この敵を仕留めるには、二人掛でもまだ力不足であるという認識は一致していたが、自分が立ち去る前にできることをしておきたかったのだ。
それがこの直径一メートルはあろうかという大きな白い魔法陣である。すぐにそれは完成し、右方向へゆっくりと回転し始める。
次の瞬間、ウォルフが放った魔法は狙いを誤またず、ゼノンの剣に命中する。
浄化付与である。
ゼノンの剣が淡く発光し、その光はやがてゼノンの全身に広がった。
不思議な感覚であった。腕の痺れが取れていく。それどころか、力が漲ってくる。
「力が湧いてくる!浄化付与に、こんな効果が?」
髑髏騎士の剣を初めて正面から受け止められた。そのまま弾き返す。
「助かったぞ!さあ、早く行くんだ!」
「時間に注意を!」
魔法の効果は十分程度しかもたない。消える前に逃げなくてはならない。そういう意味である。
「ご武運を!」
言い残してウォルフが走り去っていく。
「任せろ」
鋭く答えたその声は、もはや誰に届くわけでもない。
ゼノンは不敵に笑った。
その頃、ナッシュはティアナを半ば抱えるようにしながら、根の橋の袂に辿り着いていた。
「さあ、渡りましょう」
「待って!待って、ナッシュ!」
ティアナが異を唱える。
「二人を置いて行けないわ!」
ナッシュ自身も後ろ髪を引かれる思いであるのに違いはない。しかし・・・。
「ダメです!姫の安全が第一です!」
「でも・・・!」
「貴女は神獣の指輪に選ばれたお方です。貴女が倒れれば、この世界は終わってしまう!」
そう言われては、ティアナも反論できない。
「大丈夫です。ゼノン隊長ですよ?すぐに追いついて来ます」
ナッシュは声のトーンを落とし、希望を籠めて言った。
「兄も、ああ見えて、なかなかしぶといんですよ」
笑顔である。無理矢理作ったような笑みではない。本気で二人が生還すると信じているからこその表情であった。ナッシュは常に前向きな男なのだ。
端正で甘いマスクも相まって、ナッシュが笑うと、どんな深刻な場でも不思議と和んでしまう。理由もなく安心感がある。
不思議とティアナの気持ちも少し軽くなっていた。
「対岸に渡ってしまいましょう。あちら側で二人が来るのを待ちましょう」
二人は連れ立って、湿気を含んで滑りやすい根の橋を渡る。この二人は、渡橋に全く危な気がない。それこそ「あっ」という間に対岸に立っていた。
そのまま待つこと暫し・・・。向こう岸に灯りを手にした影が一つ現れる。
「あれは・・・」
ナッシュは目を凝らした。
「兄ですね。ちょっと迎えに行ってきます」
言うが早いか、灯りをティアナに手渡すと、根の上を渡り始めた。
頭で考えて取った行動ではない。
行動に理屈をつけるようなタイプではないのだ。
だが敢えて、そう判断した理由を見出すのならば、感情的には「一人で渡らすのは忍びないから」ということになる。先程の腰の引けた兄の姿を見ていたからである。
しかし、それは最優先で守るべきティアナを一人にしてまでするべき選択ではなく、そのことはナッシュも重々承知している。思考は単純だが、決して愚かな男ではない。何よりも、そこを弁えていない者ならば、近衛兵になど任命される由もないのだ。
では、何が彼にその選択をさせたのか?
自分自身、明確に気づいていなかったが、そこには危機感があったのである。
一度も剣を合わせることもなかったが、怖気が走るほどの髑髏騎士の技量を肌で感じていたのである。深層意識の部分で「自分が闘えば必ず負ける」と認識してしまっていたのだ。
つまり彼を駆り立てた感情とは、次に現れる人物がゼノンではなかった場合、
(兄が渡るのを悠長に待っていたら、ここで全滅してしまう!)
という危機感であった。
無邪気にゼノンの無事を信じていながらも、最悪の事態にも備えを怠らない慎重さも兼ね備えている。その意味では優秀な戦士の資質を持っていると言える。
根の橋を渡り切ったナッシュは、対岸で待っていたウォルフが状況を説明しようとするのを手で制して、兄の言葉に被せるように言い放った。
「話は向こうで聴く。兄さん、ごめんよ」
許可も取らず、いきなり小柄な兄を肩に担ぎ上げる。
手にしたカンテラの油が零れないように慌ててバランスを取りながら、ウォルフが驚きの声を上げた。
「お、おい!」
「危ないから暴れないでくれよ」
兄を右肩に乗せたまま、ナッシュは事も無げに橋を渡り始めた。




