(4)能天気な開催宣言
音楽祭当日。エセリアは昼食を済ませてからマリーリカと合流し、自分と彼女の友人たちと談笑しながら会場の講堂に向かった。すると講堂の入り口に仁王立ちしているグラディクトを認め、僅かに眉根を寄せる。しかし、何食わぬ顔で歩み寄ると、エセリアに気づいたグラディクトが、意外そうな顔になって声をかけてきた。
「ほう? 逃げずにちゃんと参加するとは、なかなか感心だな」
その物言いに、彼女の周りの者は無言で顔を顰めた。しかし、当のエセリアは、おかしそうに笑いながら言葉を返した。
「まあ、殿下。授業と同様、れっきとした学園行事に参加するのは、生徒としての当然の義務ですわ。どうして逃げなければいけないのでしょうか?」
「そんな余裕な顔をしていられるのも、今のうちだ。発表者は全員最前列に、発表順に座ることになっている。勝手に場所を変えるなよ?」
軽く「普段授業をサボっている、あんたに言われる筋合いはないわ」との皮肉を込めてみたものの、どうやらそれを理解できなかった彼が平然と言い捨てて去っていくのを見て、エセリアは無言で肩を竦めた。
それから友人たちと別れ、マリーリカと共に舞台前の最前列に移動したエセリアは、顔見知りの出演者達と挨拶を交わしてから指定された席に着いた。ふと斜め前方を見ると、そこに設置された長机に、グラディクトとアリステアとソレイユが並んで座っているのに気がつく。マリーリカも、その机の前面に表記された肩書を見て、呆れたように感想を述べた。
「いい気なものですわね。名誉会長も実行委員長も」
「放っておきなさい。目が覚めるまでの話ですから」
「はい。目を覚まさせてあげましょう」
こんな人目のある場所で能天気そうに笑い合っている二人を見て、エセリアは呆れるのを通り越して溜め息しか出なかった。するとここでアーロンが歩み寄り、二人に声をかけてきた。
「エセリア嬢。マリーリカから話を聞いて、今日の演奏を楽しみにしていました。頑張ってください」
「まあ、アーロン殿下。ご期待に添えるよう、頑張りますわ」
「マリーリカ、いよいよ発表だね。落ち着いて頑張って」
「はい、お姉様と共に、アーロン様を驚愕させてみせますから」
「それは楽しみだ」
開始前に激励に来たらしい彼とマリーリカの仲睦まじい様子を、エセリアは微笑ましく眺めた。
(相変わらず、アーロン殿下とマリーリカの仲は良好みたいね。それにしても、ソレイユ教授は平然としているように見えて、こめかみに青筋が浮かんでいるのがここからでも分かるのだけど……)
二人から問題の長机に視線を戻したエセリアは、その端に位置しているソレイユの能面のような顔を見て、心底同情した。
(きっと段取りを整えたり物品の準備をしたりするのを、あの二人に丸投げされたのよね。なんだか一気に、教授の白髪が増えそうで。ミランに頼んで売れ筋の白髪染めを購入して、近いうちに贈ろうかしら?)
この音楽祭が終わったら早速ミランに相談しようと、エセリアは密かに決心した。そして開催予定時刻になったことでアーロンが離れていくのと同時にソレイユが立ち上がり、注意を促す拍手に続いて大声を張り上げた。
「皆さん、静粛に!」
それでざわめいていた講堂内が静かになり、立ち歩いていた生徒たちも全員着席する。それを確認してから、ソレイユがグラディクトに声をかけた。
「それでは殿下。ご挨拶をお願いします」
「ああ」
すると彼は重々しく頷いて立ち上がり、同様に席を立ったアリステアを連れて、横に設置されていた階段から舞台に上がった。そして斜め後ろに彼女を控えさせてから、広い講堂内に向かって声を張り上げる。
「皆、私は本音楽祭、実行委員会名誉会長のグラディクトだ。これよりクレランス学園、第一回音楽祭を開催する。それでは実行委員長から、開会の挨拶を行う。アリステア」
「はい!」
彼から全生徒に紹介され、促されたアリステアは、満面の笑顔で頷いて一歩前に出た。そして、妙に明るい声で生徒たちに向かって呼びかける。
「音楽祭実行委員会委員長のアリステア・ヴァン・ミンティアです。皆さん! 学園生活は勉学だけではありません。この機会にもっと沢山、音楽に親しんでくださいね! 今回、このような有意義な催し物を企画できて、光栄の至りです。皆、一緒に、今日のひと時を楽しく過ごしましょう!」
今まで彼女を知らなかった生徒にしてみれば、いきなり出てきて何を言っている程度の感想しか持てず、彼女を良く知っている生徒に至っては、この挨拶で完全にしらけ切ってしまった。
「……何だ、あれ?」
「何様のつもり?」
生徒達がそんなことを囁き合い、ざわめいている中、ふいに最前列の辺りから拍手が起こった。
「ちょっと。エセリア様が……」
「お姉様は本当に、お人がよろしいですわ」
「そう言わないで。誰も拍手しないと、私が睨みを利かせているからだと、言われかねないもの」
「本当に腹立たしいですわ」
微塵も躊躇うことなく真っ先に拍手したのはエセリアで、苦笑しながら隣のマリーリカそれに倣う。王子二人の婚約者が拍手しているのに、周りが拍手しないわけにはいかず、最前列から徐々に後方へと拍手の波は広がり、出足は悪かったがとにかく講堂中が拍手で満ちることとなった。
それに満足したグラディクトは手振りで拍手を止めさせてから、笑顔でアリステアを引き連れて階段を下りる。
「グラディクト様、私の挨拶はおかしくなかったですか?」
元通り席に座りながら彼女が尋ねると、グラディクトは笑顔で答えた。
「ああ、堂々としていて、立派なものだったぞ? ソレイユ教授、何をボケッとしている。さっさと始めないか」
「……畏まりました」
素っ気なく催促されて、ソレイユのこめかみの青筋が更に一本増えた。それでも彼女は傍目には冷静に立ち上がり、会場に向かって声を張り上げた。
「それでは発表に移ります。まず一人目は、キリエ・ラグレーヌさん。フルートの演奏で、曲目は『憧憬』です」
それと同時に一人目の発表者が立ち上がり、先ほどの階段を上って舞台に立つ。生徒たちからの拍手が沸き起こる中、彼女は一礼して持っていたフルートを口に当て、演奏を始めた。その彼女の演奏が終わり、拍手の中一礼して舞台を降りると、すかさずグラディクトの指示がソレイユに飛ぶ。
「次だ。さっさと進めろ」
「それでは次は、三重奏になります。演奏者は……」
そんな感じで傍目には順調に進行していったが、発表の合間に斜め前方に目をやっていたマリーリカは、不思議そうに首を傾げた。
「お姉様。先ほどから一人終わるごとに、殿下は教授に何を仰っているのでしょう?」
何を言っているのかは分からないが、この単調な流れでそんなに頻繁に言わなければならないことがあるのかと、不思議に思ったマリーリカだった。そこでチラリとそちらを見たエセリアは彼の性格を考え、何となく想像がついた。
「進行の指示でも出しているのかしらね? それが名誉会長の任務なのではない?」
「ですが、自分は座ったままで、一々教授を立たせてですか? 随分お気楽な任務ですこと」
呆れ顔になったマリーリカだったが、エセリアは先ほどから彼女とは違うことが気になっていた。
「それにしても……。先程から皆さん、今日は調子が悪いのかしら? ほとんどの方が間違ったり、音を外したりしていない? それに普段なら、もっと難度の高い曲を演奏されている方が、何人もおられると思うのだけど……」
その疑問に対して、マリーリカが笑って答えた。
「エセリアお姉様や私が、全く音楽室で自主練習をしていなかったので、皆さん適当に流しておけば良いと判断されたらしいですわ」
それを聞いたエセリアは、少々困った顔になった。
「それは皆様に悪いことをしたわね。でも音楽室であれを演奏したら、当日のインパクトが半減するもの」
「長期休暇の間に、二人でしっかり練習しておいて良かったですわ」
そんなことを囁き合っているうちに、とうとう二人の番がやってきた。
「それでは次の発表者に移ります。独唱者マリーリカ・ヴァン・ローガルド、ピアノ伴奏エセリア・ヴァン・シェーグレンによる、《光よ、我と共に在れ》です」
「それでは行きましょうか」
「はい」
つい先ほどまでの参加者へのそれより、何割増しかの拍手を受けて二人は立ち上がり、落ち着いて階段を上がって行った。そして舞台上で客席に向かって一礼すると、更に大きな拍手が沸き起こる。そんな会場を冷静に観察したエセリアは、隣のマリーリカに囁いた。
「後方の生徒の皆様は、既に睡魔の国に片足を踏み入れておられるみたいね」
「それでは、そこから引っ張り上げて差し上げるのが、私たちの役目ですわ。次の方には期待できそうにありませんもの」
「その通りね」
互いに笑顔で頷いてから、マリーリカは舞台中央やや前方寄りに立ち、エセリアは真っ直ぐピアノに向かって椅子に座った。




