11 ギャル語
頭もすっきりしたので僕は医務室を出ることにする。
瑛さんは心配そうにしばらくの間僕を見ていた。
でも僕の顔を見て心配ないと思ったようだ。
「うん、印世君。ここに来る前よりいい顔になってるよ」
醜態を晒した直後にそう言われるのは複雑な気持ちだった。
でも瑛さんの言う通りかも知れない。
今まで僕は瑛さんに対しても警戒する面があった。
トキナさんの封印を解くことばかり考えて、あせっている面もあっただろう。
僕は険しい顔をしてしまっていたかも知れない。
瑛さんが僕をほっとけなかったのも頷ける話だ。
「君はもう大丈夫だ。この世界の一人の人間として、ちゃんと生きていける顔付きになった。改めてよろしくと言わせてもらうよ。今日から君もこの世界の一員だ」
そう言うと、瑛さんは僕をぎゅっと抱きしめてくれた。
ちょっ……。
瑛さんの豊満な胸とか、あと胸とかが当たって僕の思春期がえらいことになってしまいそうなのですが!
などと思うと同時に、瑛さんの優しさに触れて、せっかく止まった涙がまた溢れそうになりそうなのですけど。
どちらにしても大変なので勘弁して下さい。
これ以上優しくして僕をどうする気ですかこの人は。
瑛さんのこと大好きになりすぎて、僕おかしくなっちゃうよぉ。
『いつもの印世に戻ったようじゃの』
ぶっは!
ホントだめです。
何を考えてもトキナさんに丸漏れなのにこんな抱きしめたりとかダメです。
こんなふくよかな胸の暖かさに包まれるとか。
トキナさんのつつましやかな胸とは違って本当に包まれてる感がヤバイ。
『つつましやかで悪かったのう……』
悪くはないです!
トキナさんはロリっ子だからおっぱいは慎ましやかでいいんです!
それに毎日僕がさすっていたし、これからもさすり続けるのできっと大きくなると思います!
『誰がロリっ子じゃ』
そんな感じで頭の中が大変でしたがそれ以上に有意義な時間でした。
本当に瑛さんはもう。
いきなり抱きしめたりなんてされたら好きになっちゃうじゃないですか。
『ホントにもう襲われてしまえ』
あ、今のは本当にトキナさんが嫉妬している気がします。
ちゃんと気を取り直さなければなりません。
少し長めに抱きしめられた後、離れた瑛さんが恥ずかしそうに言ってきた。
「……っと、いきなりごめんね。なんだか嬉しくなっちゃって。セクハラしたかったとかそんなんじゃないから。でも嫌だったかな?」
「むしろ光栄ですよ! 瑛さんの暖かな胸に包まれて僕は幸せです! ハァハァします!」
ぶはっ!
ヤバイ。今のは別の意味でヤバイ。
本音がモロに口から出た。
今のは人としてヤバイです。
僕はこの世界に来てから、ずっとトキナさんに思考を読まれていた。
だから僕は数週間ほど本音を口にしないということをしていない。
まさかこんな所に盲点があろうとは!
僕は今までとは違う種類の危機に緊張した。
「そんなこと言ってると本当にセクハラしちゃうぞ」
瑛さんに再びぎゅっと抱きしめられてしまいました。
パラダイス。
と、馬鹿なことばかり考えていてもいけないので、この世界の言葉を覚えるために言語習得魔法を受ける部屋へと向かいます。
『さて、次は失敗せぬようにせんとな。覚える言語はニムルス語で問題なかろう。ニムルス語はサラスタンでもある程度は通じるはずじゃし、いざとなれば妾もおる。それに1日で言葉を覚えられるのなら、サラスタンの言葉はサラスタンの異人会で覚えるという手もあるはずじゃ』
その手があったか。
むしろ言葉は現地についてから覚えるのがここでの常識なのかも知れない。
だから瑛さんも、覚える言葉はニムルス語でいいかと僕に言ったに違いない。
確か瑛さんは、しばらくはウッホ村というところにいると言っていたはずだ。
しばらくは、と。
瑛さんが各地を旅しているのなら、瑛さんも複数の言語を習得しているのかも知れない。
そのようなことを考えている内に言語習得魔法を受ける部屋へと着いた。
言語習得魔法の魔道具はだいぶ大きい。
歯医者とかにありそうな椅子と、頭を丸ごと覆うヘルメットのような物がある。
けっこう怖い。
「覚える言語はニムルス語でいいかい?」
魔道具を操作する男性には兎耳がついていた。兎人だ。
その兎人男性が習得する言語を聞いてきた。
だが僕が答える前に瑛さんが話しかけてきた。
「他の国へ行って別の言葉が必要になったら、その時はその国の異人会に行って覚えることもできるよ。むしろ外国に行く際にも最初に異人会に立ち寄るのが王道かな。まあそういうわけでニムルス語を覚えたら他の言葉を覚えられなくなるわけでもない。だからまずはニムルス語の習得、がんばって」
なるほど。
でもがんばるっていうのは何だろう。
魔法で言葉を覚えられるならがんばることはなさそうだけど。
「かなり頭にガンッてくるけど君なら大丈夫だ。がんばれ、少年よ!」
……っえ?
そう思った瞬間にものすごい衝撃が頭にやってきた。
これは辛い……。
言語と言う膨大な量の情報を頭に急速に書き込まれ、脳が悲鳴を上げている。
『これは……かなり、きついの……』
ぷはっ。
トキナさんまで魔法に巻き込まれてる。
トキナさん初めからニムルス語話せるのに。
ダメージ無駄に受けてる。
ここでも伝達回路を切らなかったのは失敗と言えるだろう。
でも気付かなかったのはトキナさんも一緒だからこれは仕方がない。
ただしこれからは、状況によって回路を切断する選択をちゃんとできるようにする必要があるかも知れない。
そんなことを考えている間に言語の習得は終わった。
トキナさんが無駄にダメージ受けたのを笑えるくらいには平気だったので、僕はこの魔法との相性が良かったのだろう。
これなら1日2日気持ち悪くて動けなくなるということもなさそうだ。
『終わった……か』
トキナさんの方も大丈夫そうだ。
無駄にダメージ受けたのはかわいそうだったけど。
『いや……これは、すごいぞ印世。妾にとっても無駄などではない』
トキナさんが僕の頭の中ではしゃいでいる。
魔法で頭をやられた……とは思いたくない。
『いや、本当にこの言語習得魔法というのはすごい魔法じゃ。妾が封印されておる間に技術も進歩したのじゃろうが、今まで受けてこなかったのを後悔するほどじゃの』
どうやら頭は正常そうだ。
僕も気持ち悪さや頭の痛みは残っているけど何か頭が冴えた気がする。
ニムルス語を覚えた分頭が良くなった気がするからだろうか?
『まあそんなところじゃろう。そして印世よ! 妾もニムルス語をマスターしたぞ!』
トキナさんは前からニムルス語を話せるはずだけど。
『確かに以前からニムルス語を覚えてはおった。じゃが妾自身がニムルス出身というわけではない。妾にとってもニムルス語は外国語じゃ。だから、話せるとは言ってもネイティブのようにスラスラ話せるわけではなかった』
『じゃが今ならそれができる。文字もばっちりじゃ。これはすごいぞ。もし主がこの魔法で日本語を覚えなおせば妾の言いたいことが分かるはずじゃ』
どうやらこの言語習得魔法は、僕の想像以上にすごい魔法だったらしい。
魔法にくわしいトキナさんの方が効果をより理解できるのか。
いや、元々ニムルス語を話せたトキナさんだからこそ分かることがあるのかも知れない。
僕がこの魔法で日本語を覚えなおすことにも意味があるようないい方だ。
確かに僕は日本語を話せる。
だからと言って僕は日本で使われる常用漢字の全てを書けるわけではない。
言語習得魔法は読み書きも完全カバーだ。
この魔法で日本語を覚えなおせば、難しい漢字も全て書けるようになる?
確かに、そこまでできるならすごい魔法だ。
「……印世君、気分はどう?」
瑛さんがちょっと心配そうに話しかけてきた。
この魔法による衝撃について話さなかったことを申し訳なく思っているようだ。
「ごめんね。でもこの魔法は絶対受けて損はない魔法だから。しばらくは頭痛いだろうし、その後も1日は気持ち悪さが続くだろうけど、後になれば絶対に受けて良かったと思えるから」
「いえ、思ったほどではなかったです。頭の痛みももう収まりかけていますし、気持ち悪さもそれほど感じません。僕はこの魔法との相性が良かったみたいです」
僕がそういうと瑛さんはほっとしたような顔をした。
「あ、それとちょっと思ったんですけど、もしこの魔法で日本語を覚えたら変化はありますか? 難しい漢字が書けるようになるとか」
僕がそういうと、瑛さんは見るからに嬉しそうな顔をになった。
となりの兎人男性も驚いたような嬉しそうな顔をしている。
「この魔法を受けてすぐそこに気付くとはさすが印世君だ。もちろん、私達日本人が日本語を覚えなおしても効果はある!」
やはり効果があるようだ。
「ふふふ。この言語習得魔法は、この世界に住む人達の頭にある言語の集大成だ。ちなみにここにある魔道具はただの端末にすぎない。大本となるライブラリーは神器機関の奥深くにあって、そこにはこの世界に住む人々の言語野にある情報が膨大な量保管されている」
「その情報は何も学校で習うような形式的な言葉だけではない。日本語で言えば各種漢字はもちろん、ことわざや格言なんかも情報として溜めこまれている。そしてその情報は日々更新されているのだよ。その中には最新の若者言葉すら収録されている。例えば“激おこぷんぷん丸”とか“激オコスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム”とかね」
えっ? 瑛さん最後なんて言った?
激おこぷんぷん丸は聞いたことある気もするけど最後の何語?
すでに僕の知らない言語の気すらする。
「と、まあ言語習得魔法を受ければこういう最新の言葉すら思うままに操れるようになるわけなのだよ」
激おこぷんぷん丸とかを自在に操れるようになりたいとは思わないけど。
でもやっぱり言語習得魔法はすごいらしい。
「君次第だが、よければ日本語も再習得しておくかい?」
兎人の男性もノリ気だ。
自国の言葉をわざわざ覚えなおす人は少ないのだろう。
普通は負担が大きいみたいだし。
瑛さんは少なくとも一度は日本語を覚えなおしたようだけど。
多分研究肌の人はやっているようだ。
兎人の男の人もそうなのだろう。
だから2人共、そこに気付いた僕に好感を抱いているようだ。
まあ本当に気付いたのは僕じゃなくてトキナさんなんだけどね。
『印世頼む。この機会を逃す手はないぞ。妾も日本語を覚えたいのじゃぁ!』
うん、僕には日本語を覚える大きなメリットがある。
伝達回路を切らなかったのは失敗だと思ったけどそんなことはなかった。
むしろ僥倖だ。
ともかく、せっかくのチャンスを逃す手はない。
僕は体調がいいことを瑛さんと兎人の男性に告げ、再び言語習得魔法を受ける。
受ける直前にまた瑛さんが話しかけてきた。
「それに、アロはこの魔法で日本語を覚えているんだ。だからアロは難しい漢字でもスラスラ書ける。それでアロに『こんな漢字も分からないのかにゃ? 日本人なのに』とか言われたらかなりイラッと来るぞ」
どうやら瑛さんは言われてしまったようだ。
瑛さんは研究肌っぽいからそれで日本語を覚えなおしたのかと思っていた。
だが真相は違っていたのかも知れない。
っていうかアロちゃん、瑛さんに対してなんて失礼なことを……。
瑛さんのことを師匠とか呼んでいたわりには尊敬が足りないんじゃないのか?
まあアロなら誰に対してもそういうことを言ってしまいそうな気もするけど。
と、そんなことを考えている内に無事日本語の再習得も終了した。
『フフフフフ……ついに妾も日本語を覚えたぞぉー!』
トキナさんが嬉しそうで何よりです。
そして僕も、日本語を覚えなおして少し頭が良くなった気がする。
「どうだい、頭がすっきりして日本語もより深く理解できた気がするだろう?」
「はい。すごいですね。何もなしに頭で言葉を検索するのは難しいけど、漢字を見ればその読み方や意味はちゃんと理解できそうです」
うん、僕も日本語をマスターしたぞ!
と言っても普段の思考が変わったりするわけではないけど。
語彙が増えてもそれを普段使うかはまた別の話だ。
「で、さっきのアロの話なんだが……」
「それはムカツキますよね。もうおこだよ! とか遥かに通り越してカム着火インフェルノォォォオオオウですよ!」
…………っえ?
今の僕が言った?
言語習得魔法には頭痛や吐き気以外にも思わぬ副作用があったようだ。
僕は激おこぷんぷん丸とかを自在に使えるようになってしまった。
いらない……。無意識に使ってしまわないよう注意しないといけない。
ていうか誰だよ。
ギャル語の怒り6段活用とか日本語登録したの。
これを正式な日本語としてこの世界に広めてどうするのかと言いたい。
小一時間問い詰めたい。
「まあライブラリ自体は色んな人の協力を得て頭の中身ごっそり持っていってるからね。それにいつギャルが飛んで来るかも分からないし、覚える分には損はないだろ?」
あるよ!
何かが削れた気がするよ!
でも覚えてしまったものは仕方がない。
ギャルの頭の中身を日本語登録してしまった人にも悪気はなかったのだろうし。
『そんな細かいこと気にする必要はないではないか。瑛の言うように覚える分には損などないじゃろ。そのギャルとやらといざ話す機会になって、相手の言葉が分からなかったりすれば不便なだけじゃろうが。まったく……お主にはホントがっかりじゃ。ガチしょんぼり沈殿丸じゃよ』
うわああああ!
トキナさんまでギャル語に汚染されたぁぁーーーー!!!
言語習得魔法の思わぬ副作用に頭を悩まされるかと思った僕だったが、その後はとくに変わることなく今までと同じように話せたので良かった。
瑛さんも別にギャル語使いにはなってなかったし当然と言えば当然だが。
ともかくトキナさんがギャル化とかしなくて本当に良かった。
『ギャル語も面白いのにのぅ……』
余計な知識は与えてしまったようだけど。




