↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無能を演じる必要悪 〜正義の勇者が壊した世界を、私はまた黙って直す〜  作者: なち
第3部 交わらぬ責任

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
46/49

第46話 罠と知って

【葵side】


 二通目の招待状は、下級生が消えたその翌日に届いた。


 今度は隠されてもいなかった。私の机の上に、堂々と置かれていた。誰の目にも触れる場所に。それは宣戦布告のようでもあり、余裕の表れのようでもあった。開くと、几帳面な字でこうあった。


 『預かっている子どもを返してほしければ、来なさい。旧棟の、いちばん深い場所へ。ひとりで。……これが罠であることは、君も分かっているね。それでも君は来る。君は、そういう子だから』


 その通りだった。悔しいくらいに。


 これは罠だ。消えた下級生を餌にして、私をいちばん不利な場所へおびき出そうとしている。分かっている。分かっていて、なお――私は、行かないという選択ができない。あの子を見捨てることは、できないから。


 あの男は私のことを、よく知っている。私が目の前の子どもを絶対に見捨てられないことを。その優しさが私のいちばんの弱点だと、知っている。だからそこを突いてくる。昔、私に力を教えてくれた人が言っていた。「おまえのその手は、優しすぎる。優しさはいつか、おまえ自身を殺すよ」と。……その通りかもしれない。この手が優しさで動くたび、私はまた罠へと、自分から歩いていく。


 ◇


 支度を整えていると、背後で、静かな声がした。


 「行かれるのですね」


 振り返ると、詩織が立っていた。いつのまに部屋に入っていたのか、気配すらなかった。この子は、こういうことに長けている。「これが罠だと、分かっていて」


 「うん」私は、隠さなかった。「あの子を、置いていけないから」


 「わたくしも、参ります」詩織の声は静かで、けれど、揺るがなかった。「情報は集めました。あの場所の、おおよその構造も。お一人では行かせません」


 私は、少し迷った。この子を巻き込みたくない。でも、この子はきっと、止めても来る。私が止まらないのと、同じように。だから私は、こう言った。「……離れて、見ていて。私が、私でなくなりそうになったら。その時だけ、思い出させて。私が、誰なのかを」


 詩織は、しばらく私を見て、それから深く頭を垂れた。「……かしこまりました。必ず」


 その一言が、思いのほか、私を支えた。一人で行くつもりだった夜に、たった一人でも、私を私に引き戻してくれる人がいる。それは、昔の私には、なかったものだ。


 「詩織」私は、狐面を手に取りながら、背を向けたまま言った。「あのね。私、昔は、こういうとき、いつも一人だった。誰かを巻き込むのが、怖くて。頼るのが、怖くて。……でも、今は、あなたがいてくれる。双子も、蓮くんも。それが、こんなに心強いなんて、知らなかった」


 「……葵様」


 「だから、約束して。私が、もし、あの男の言葉に呑まれて、みんなを傷つけそうになったら。……その時は、遠慮なく、私を止めて。あなたの手を汚してでも」


 詩織の息を呑む気配がした。「……そのようなことには、させません」その声は、静かで、しかし鋼のように硬かった。「あなた様は、あなた様のままで、必ず戻ってこられます。わたくしが、そう信じております」。その言葉に、私は、少しだけ笑った。この子は、いつだって、私よりも私を信じてくれる。


 ◇


 狐面を顔に当てる。冷たい漆黒の感触が、私をいつもの掃除屋へと切り替えていく。でも今夜は、掃除をしに行くんじゃない。暴きに行くのだ。あの男の正体を。この仕組みのいちばん深い底を。そして、私自身の書き換えられたかもしれない過去の、本当の形を。全部まとめて、この手で。


 闇の廊下を、私は迷わず進む。この足取りに迷いはない。ただ胸の奥だけが、いつもと違って、静かに澄んでいた。覚悟が決まったからかもしれない。逃げるのをやめたからかもしれない。少し後ろから、詩織の気配が、影のようについてくる。その距離が、今夜だけは、心強かった。


 旧棟のいちばん深い場所。そこに消えた子がいる。あの男がいる。そしてたぶん、私の過去のいちばん昏い答えが、待っている。全部が、ひとつの夜に、集まろうとしていた。


 行こう。もう迷わない。私は闇の底へと続く階段を、一段ずつ降りていった。一歩ごとに空気が冷たく重くなり、饐えたにおいが濃くなっていく。この先に地獄が待っていても、私はもう目を逸らさない。


 階段の途中、壁に、古い落書きのような印が刻まれているのに気づいた。子どもの手で描いたような、たどたどしい線。誰かが、ここを通った証だ。連れて行かれる恐怖の中で、それでも「自分はここにいた」と、刻みつけずにいられなかった、小さな爪痕。私は、その印にそっと指を触れた。あなたたちのことを、私は、なかったことにはしない。今度こそ。


 階段を降りきると、通路が幾筋にも枝分かれしていた。まるで、迷い込んだ者を惑わすための、蟻の巣のような造り。だが私には、迷いはなかった。かすかに残る、あの子の気配。薬に沈む前の、怯えた心の残り香。それを辿れば、道は自ずと絞られる。私は、いちばん気配の濃いほうへ、足を向けた。


 途中、何度か、仕掛けらしきものの気配を感じた。踏めば警報が鳴るのか、それとも、もっと直接的な罠か。以前の私なら、ひとつずつ丁寧に無力化していっただろう。でも今夜は、そのどれにも構わなかった。向こうは、私が来ることを知っている。招いているのだ。ならば、小細工を避けて回るより、まっすぐ本丸へ踏み込むほうがいい。隠れる必要も、もう、なかった。


 降りていくほどに、気配が濃くなる。この奥に、あの男がいる。消えた子がいる。そして、顔を塗り潰された、あの人の面影も。全部が、ひとつの夜に、集まろうとしていた。私は狐面の奥で、静かに息を整えた。恐怖はある。それでも、足は止まらない。止めない、と決めたのだ。


 やがて、通路の突き当たりに、大きな鉄の扉が現れた。これまでの、朽ちた造りとは違う。真新しく、頑丈で、明らかに、何か大切なものを閉じ込めるための扉だった。その隙間から、かすかに、薬品のにおいと、機械の低い駆動音が漏れている。生きている。この施設は、まだ、生きて動いている。畳まれてなどいなかった。あの管理人の言葉は、私を油断させるための、嘘だったのだ。


 私は扉に手をかけた。冷たい金属の感触。この向こうに、すべてがある。深く息を吸って、私は自分に言い聞かせた。呑まれるな。何を見ても、何を聞かされても、私は私だ。灰原葵だ。守りたいものがあって、償いたいものがあって、それでも前に進むと決めた、ただの一人の人間だ。


 ――待っていて。あなたが握っている私の答えも、あの子も。全部、私が、迎えに行く。今度こそ、この手で。


 私は、扉を押し開けた。

お読みいただきありがとうございました。

続きが気になった方は、ブックマーク・★評価で応援いただけると、とても励みになります。

次話は明日21時ごろ更新予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。