第45話 設計図の底
【双葉side】
その日、班の空気はどこかおかしかった。
葵ちゃんが上の空だった。詩織さんが、いつも以上に葵ちゃんから目を離さない。そして蓮くんが、時々心配そうに葵ちゃんのほうを見ている。私と颯太は感覚共有の糸の上で、そっと囁き合った。
(颯太。……なんか、また大きいのが来てる気がする)
(うん。前よりずっと。葵ちゃん、一人でどんどん深いとこに行ってる)
その予感は、その日の放課後、最悪の形で当たった。
◇
いつも一緒に下校していた下級生の女の子が、消えたのだ。
蓮くんが以前かばって、それからずっと懐いていた子。理由もなく涙が出ると言っていた、あの子。放課後に部活へ向かったきり、寮に戻らなかった。教師は例によって「体調を崩して実家に帰った」と言った。でもその子の下駄箱には、通学用の靴がそのまま残っていた。
(颯太。……これ)
(うん。……前と同じだ。目立った子がいなくなって、なかったことにされる)
颯太の思考が震えていた。私も背筋が冷たくなった。また始まっている。あの、子どもを消していく仕組みが。一度、葵ちゃんが地の底で終わらせたはずのものが、また別の顔をして動き出している。根っこが、どこかで、まだ生きているのだ。
私たちはそのことを蓮くんに伝えた。蓮くんの顔から、血の気が引いた。「……俺のせいだ」と絞り出すように呟いて。あの子は蓮くんと仲が良かった。だから狙われた。そういう見せしめ。まっすぐな蓮くんの善意が、また誰かを危険に晒してしまった。
でも今回は、前とは違った。蓮くんは崩れなかった。ぐっと拳を握って「探す」と静かに言った。「今度は一人で突っ走らない。……灰原と、詩織と、お前らと。みんなで」。その横顔は、以前の無鉄砲なだけの蓮くんとは、別人のようだった。
その時、いつのまにか、詩織さんがそばに立っていた。「……珍しいこともあるものね」と、冷たい声で。「あなたが、誰かを頼ろうとするなんて」。でも、その目は、いつもの氷のような色ではなかった。詩織さんも、あの子のことを、心配している。「情報なら、わたくしが集めます。あなたたちは、動ける準備を」。それだけ言うと、詩織さんは踵を返した。
少し離れた場所では、陸くんが下級生たちに声をかけていた。「お前ら、しばらく一人で出歩くな。誰かと一緒にいろ。特に、目立つやつは気をつけろよ」。かつて力に驕っていた頃の陸くんなら、こんなふうに下級生を気づかうことなんて、なかった。速さを失って、あの人に静かに救われて、この人も変わったのだ。この班は、ばらばらなようで、いざという時だけ、同じほうを向く。それぞれが、それぞれのやり方で、消えた一人を取り戻そうとしている。私は、そのことが、少しだけ誇らしかった。
(颯太。……私たち、何ができるかな)
(僕たちは、僕たちにしかできないことをしよう。この目と、耳で。感覚共有なら、離れた二つの場所を、同時に見られる。誰かがどこかで動いたら、すぐ、みんなに繋げる)
颯太の言葉に、私は頷いた。力はなくても、役目はある。班の目となり、耳となり、糸となること。それが、私たち双子にできる、たったひとつの戦い方だった。
◇
その夜、葵ちゃんが動いた。
私と颯太は感覚共有で、その気配を追った。葵ちゃんは消えた下級生の、かすかな記憶の残り香を辿って、学園の地下のさらに奥へと降りていった。そしてそこで、見てしまったらしい。
(双葉……葵ちゃんが、なにか見てる。すごく大きい……図面、みたいな)
颯太の声がかすれた。感覚共有の糸を通して、私にもその断片が流れ込んでくる。それはこの学園そのものの設計図だった。いや、学園だけじゃない。もっと大きな何か。子どもを集め、選別し、駒に変えて、どこかへ送り出す。その途方もなく大きな仕組みの、ほんの入口。この学園は、その仕組みのいちばん末端の、ひとつに過ぎなかった。
(……颯太。私たちのいる場所って)
(うん。……たぶん、思ってたよりずっと大きい何かの、中なんだ)
その図面の隅に、いくつもの拠点らしき印が、点々と散らばっていた。この学園を示す印は、そのうちのひとつに過ぎない。ほかにも、いくつも。全国の、どこかに。子どもを集める場所が、こんなにもたくさん。そして、それらすべてを束ねる中心に、ひとつの大きな印が据えられていた。何を意味するのかは、分からない。ただ、そこから伸びる線が、蜘蛛の巣のように、すべての拠点へと繋がっている。
(颯太……これ、ぜんぶ、繋がってるの)
(うん。……この学園だけの話じゃ、なかったんだ。もっと、ずっと、大きい)
感覚共有の糸を通して、颯太の恐怖が、私の恐怖と重なった。二人分の悪寒が、背筋を這い上がってくる。
私はぞっとした。葵ちゃんがたった一人で立ち向かおうとしているもの。それはもう、一つの学園の暗部なんて規模じゃない。もっと深くて、大きくて、昏いもの。そして消えた下級生は今も、その仕組みのどこかにいる。図面のどこか、あの印のひとつの下で、薬に沈められるのを待っているのかもしれない。そう思うと、いても立ってもいられなかった。
助けなきゃ。あの子を。でも私たちには力がない。あるのは、この二人で分け合う目と耳と――そして、決して目を逸らさないという意地だけ。それでも、と私は思う。無力でも、無意味じゃない。誰かがちゃんと見ていて、覚えている。それが、いつか葵ちゃんを、一人にしないための糸になる。
(颯太。……見てよう。最後まで。そして、葵ちゃんが一人にならないように。私たちも、そこにいよう)
(うん。……班の、仲間だからな)
私は、窓の外の夜空を見上げた。あの空の下のどこかで、葵ちゃんが今、たった一人で、途方もなく大きなものと向き合っている。私たちには、あの人みたいな力はない。あの人の隣に立って、一緒に戦うことも、できない。それでも、私たちには、私たちの場所がある。あの人が振り返ったとき、そこにちゃんといること。あの人の帰る場所を、絶やさずに守っておくこと。
いつか、あの人が、いちばん昏い場所で、自分を見失いそうになったとき。私と颯太の、この二人分の目が、覚えている。あの人が何をして、どれだけ頑張ってきたのかを。それが、あの人を、もう一度こちら側へ引き戻す、細い糸になるかもしれない。
感覚共有の糸の上で、私たちはそっと頷き合った。嵐はもう、すぐそこまで来ていた。
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次話は明日21時ごろ更新予定です。




