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無能を演じる必要悪 〜正義の勇者が壊した世界を、私はまた黙って直す〜  作者: なち
第2部 交わらぬ正義

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第36話 次は、私の番だ

【葵side】


 その夜、私は、屋上に立っていた。


 冷たい風が、頬を撫でていく。手の中には、あの白い仮面の男を追う、最初の手がかり。そして、先代の筆跡が残された、古い記録の写し。この二つを握りしめて、私は、決めていた。


 もう、待たない。もう、守るだけの、掃除屋じゃない。


 これまでの私は、湧いてくる悪を、湧いた端から消すだけだった。それは、償いだった。あの日、この手で消してしまったものへの、終わりのない罰。でも、それだけでは、根っこは絶てない。あの白い仮面が、あの暗部が、ある限り。子どもは、また、消されていく。だから、今度は、私が踏み込む。守る側から、暴く側へ。あの男の正体を。先代の行方を。あの日、本当は何が起きたのかを。私自身の、いちばん見たくなかった場所の、その全部を。


 (……怖いな)


 正直に、そう思う。踏み込めば、もう、戻れない。今の、この、偽物の平穏にも。あの食堂の、あたたかいテーブルにも。……それでも。逃げ続けた先に、守れるものなんて、何もないと、私は、もう知っている。


 狐面を握る手に、力がこもる。この面をつけるのは、もう、誰かの後始末のためじゃない。この長い夜に、私自身の手で、けりをつけるため。……行こう。もう、迷わない。夜の底へ向かうその足取りは、これまでのどんな夜より、まっすぐだった。


 「灰原」


 声に振り向くと、屋上の入り口に、蓮が立っていた。まっすぐな瞳で、こちらを見ている。息が、少し上がっている。走って、探しに来たのだろう。その足は、こちらへ一歩踏み出しかけて、けれど、途中で止まった。追ってはいけないと、分かっているのだ。それでも、来ずにはいられなかった。そういう、不器用な立ち方だった。


 「……行くんだろ。どこか、遠くて、危ない場所に。一人で」


 「……気づいてたんだ」私は、苦笑した。「うん。行くよ。これは、私のけじめだから。誰も、連れていけない」


 「分かってる。止めない」蓮は、静かに言った。フェンスを握る手に、ぐっと、力がこもるのが見えた。「でも、覚えといてくれ。俺は、強くなる。君の隣に、胸を張って立てるように。君が背負ってる荷物を、いつか本当に、半分持てるように。……だから、それまで、絶対に、一人で、壊れるなよ」


 私は、すぐには、返事ができなかった。二人の間を、夜の風が、通り過ぎていく。その、たった数歩の距離が、ひどく、遠かった。喉の奥が、熱い。何か言おうとすると、それが、こぼれてしまいそうで。


 「……うん」やっと、それだけ言って、頷いた。込み上げてくるものを、笑顔でごまかす。うまく、笑えていたかは、分からない。頬が、こわばっていた。「ありがとう、蓮くん。……いってきます」


 それだけ言って、私は背を向けた。振り返らなかった。一歩、踏み出すたびに、背中に感じる視線が、遠くなっていく。それでも、振り返らなかった。振り返れば、きっと、足が、止まってしまうから。


【蓮side】


 狐面を手に、夜の闇へと歩き出す、その小さな背中を、蓮は、見送った。


 追いかけたい。隣を、歩きたい。だが、今の自分では、足手まといにしかならない。それが、悔しくて、たまらなかった。だから、蓮は、誓った。強くなる。あの、数秒で切れる力じゃなく。あの子の隣に、立てる力を。その手を、引ける自分になるために。


 「……待ってろよ、灰原」


 夜空に向かって、蓮は、そう呟いた。その声には、あの、無鉄砲なだけだった編入生には、なかった、静かで、確かな覚悟が、宿っていた。待っていろ。必ず、追いつく。次は、俺が、迎えに行く番だ。日向へ、連れ戻しに行く番だ。それまで、どうか、無事で。蓮は、消えた背中の方角へ、そっと、そう祈った。


 彼女の姿が完全に見えなくなっても、蓮は、しばらく屋上に立っていた。手のひらに、冷たいフェンスの感触。握りしめた鉄が、じん、と痛む。それから、蓮は、踵を返した。向かう先は、寮ではなかった。訓練場だ。あの、数秒で切れる頼りない力を、少しでも長く、意のままに。今の自分にできるのは、それだけだ。それでも、やる。あの子が夜の底を、たった一人で進んでいるなら。自分が立ち止まっている理由なんて、どこにもない。夜が更けるまで、蓮の拳を打つ音は、止まなかった。


【双葉side】


 双子は、少し離れた場所から、その二人を、見守っていた。


 (……颯太。葵ちゃん、一人で、行っちゃうんだね)


 (うん。でも、前とは違う。……今は、隣に、蓮くんがいる。私たちも、いる。あの子は、もう、本当の意味では、一人ぼっちじゃない)


 双葉は、闇へと消えていく、あの細い背中に、心の中で、そっと呼びかけた。いってらっしゃい、と。必ず、帰ってきて、と。あの食堂の、あたたかいテーブルに。私たちの、大切な班の、その席に。


 (颯太。……葵ちゃん、いつか、ちゃんと帰ってくるよね)(うん。だって、あの子には、もう、帰る場所があるから。……僕たちが、いるから)。双葉は、涙をぬぐって、頷いた。無力な、ただの観察者。でも、あの子の帰る場所を守り続けることなら、自分たちにも、できる。それが、班の一員としての、双子の新しい決意だった。


 狐面の少女が、夜の底へと、消えていく。守る者から、暴く者へ。その背中は、もう、迷っていなかった。


 ――次は、私の番だ。


 その、声にならない声が、確かに、双子の胸にも、届いた気がした。嵐は、去った。だが、これは、終わりではない。あの白い仮面。学園の“本当の顔”。そして、葵の過去そのもの。すべてが動き出すのは、きっと、ここからなのだ。その日まで、この席は、私たちが、ちゃんと守っておくから。双葉は、心の中で、そっと約束した。

第2部『交わらない正義』、これにて完結です。ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

交わらなかった二つの正義。そして次は彼女自身の過去が動き出します。

物語は第3部へと続きます。続きを追いかけたい方は、作者フォロー・ブックマークをしていただけると、更新の通知が届きます。

面白かったら、ぜひ★評価・感想もお寄せください。第3部で、またお会いできますように。

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