第34話 勇者のその後
【蓮side】
あの夜から、蓮は、少しだけ、変わった。
相変わらず、不正を見れば、まっすぐに声を上げる。それは、変わらない。だが、以前のように、一人で突っ走ることは、なくなった。上級生に絡まれている下級生を見つけても、まず、周りに味方を集める。教師の中で、まだ良心の残っていそうな一人を、根気強く味方につける。仲間を、巻き込みすぎないよう、慎重に動く。
「天音、お前、丸くなったな」
そう言って笑ったのは、迅雷陸だった。速さを失い、今は静かな“元・特待候補”。最近は、下級生の能力訓練を見てやることが増えたという。かつて、力に驕り、そして砕かれた男。その言葉には、妙な説得力があった。
「なあ、天音」陸は、下級生たちの訓練を眺めながら、ぽつりと言った。「俺さ、速さを失って、初めて分かったんだ。強さって、勝つことじゃないんだな。……守りたいものの前で、何度でも立ち上がること。それが、強さだ。あいつが――あの狐面が、教えてくれた」。蓮は、驚いて陸を見た。陸もまた、あの夜の“何か”を見たのだ。そして、蓮と同じように、その背中から、何かを学んでいた。この学園には、あの孤独な少女に、静かに救われた者が、きっと、たくさんいる。誰にも、気づかれないまま。
「なあ、陸」蓮は、ふと言った。「俺に、体の使い方、教えてくれないか。お前、体術はまだ一流だろ。俺、強くなりたいんだ。……守りたいやつが、いるから」。陸は、きょとんとして、それから、にやりと笑った。「はっ。あの天下の編入生さまが、この落ちこぼれに頭を下げるとはな。……いいぜ。びしびし鍛えてやる。覚悟しろよ」。かつて力に驕り、そして砕かれた男と、まっすぐなだけの勇者。奇妙な師弟が、こうして生まれた。この学園の片隅で、小さな、けれど確かな変化が、また一つ、芽吹いていた。強くなる。あの子の隣に、胸を張って立てるように。その目標が、蓮の毎日に、静かで確かな張りを与えていた。焦りではなく、覚悟として。
「丸くなった、っていうか」蓮は、頭を掻いた。「……守りたいものを、本当に守るには、まっすぐなだけじゃ、だめなんだって、教わったんだ。ある人に」
「へえ」陸は、意味ありげに笑った。「その“ある人”って、まさか、あの――」
「言うなよ」蓮が、慌てて遮る。陸は、肩をすくめて、それ以上は追及しなかった。この学園には、口にしてはいけない“本当”が、いくつもある。それを、皆、少しずつ、抱えて生きている。
放課後、蓮は、あのDクラスの下級生――かつて連れ去られ、地下で人形にされかけた、あの子を、訓練場の隅で見かけた。もう、あの日のことは覚えていないという。ただ、時々、理由もなく涙が出る、と、はにかみながら話してくれた。蓮は、その頭を、そっと撫でた。「大丈夫だ。もう、誰にも、お前を連れて行かせない。今度は、ちゃんと、守るから」。その言葉に、以前のような、独りよがりな熱は、なかった。ただ、静かで、確かな約束だった。一人では守れない。だから、味方を増やす。仲間を、頼る。あの夜、灰原葵という孤独な少女から、蓮が学んだ、いちばん大きなことだった。まっすぐさは、そのままに。でも、進み方を、変える。それが、蓮なりの、成長だった。
もちろん、道のりは、まだ遠い。この学園の格付けも、暗部も、何一つ、根本は変わっていない。蓮の力だって、相変わらず、肝心なときに切れる、頼りないものだ。それでも、蓮は焦らなくなった。灰原葵という、途方もない存在を知って、逆に、腹が据わったのだ。すぐには変えられない。だったら、一歩ずつ。仲間を増やし、味方を作り、少しずつ、この学園の空気を変えていく。いつか、日陰で泥をかぶっているあの子が、日向に戻ってこられる場所を、作るために。それが、遠回りでも、いちばん確かな道だと、蓮は信じられるようになっていた。
その夜、蓮は訓練場に残って、一人、拳を握っていた。あの、感情が高ぶったときだけ噴き出す力。それを、意のままに扱えるように。何度も、何度も、繰り返す。まだ、うまくいかない。数秒で、ふっと消える。それでも、蓮は諦めなかった。灰原葵は、たった一人で、あの地獄を歩いている。だったら、自分も立ち止まってはいられない。汗を拭い、蓮は、また拳を構えた。夜が更けるまで、その特訓は続いた。
【双葉side】
双子もまた、あの夜を境に、少しだけ、変わった。
相変わらず、班の隅で、みんなを見守る役目。だが、以前のような、ただの無力感は、もう、なかった。
(颯太。私、思うんだ。私たち、力はないけど。……でも、この班のこと、いちばん近くで見てる。葵ちゃんのことも、蓮くんのことも、詩織さんのことも、陸くんのことも)
(うん。誰かが、ちゃんと覚えてる。なかったことにされる夜のことも、誰かが見届けてる。……それって、たぶん、無意味じゃないよ)
いつか、この班が、本当にばらばらになりそうな日が来たら。その時、二人の間に立って、繋ぎとめる橋になれるかもしれない。感覚共有で、二つの視点を、一つにできる自分たちなら。それは、根拠のない夢だったけれど。双子は、初めて、自分たちの“力”を、少しだけ、誇らしく思えた。読者のように、ただ見ているだけの存在。でも、見ていることには、きっと、意味がある。
(颯太。私ね、この班に来られて、よかったって、最近、思うんだ)(うん。外れくじだって、最初は思ってたのにね)(そう。……でも、今は違う。変な人ばっかりだけど。誰も、本当は一人になりたくないんだって、分かるから)。双葉は、心の中で、そっと班のみんなを思い浮かべた。それぞれが、それぞれの秘密と痛みを抱えている。それでも、こうして、一つの班でいる。それは、きっと、奇跡みたいなことだった。
昼下がりの食堂。いつものテーブルに、奇妙な五人が、揃っていた。ポタージュを冷ます葵。紅茶を淹れる詩織。カレーを頬張る陸。そして、その輪に、当たり前のように加わった、蓮。双子は、その光景を、少し離れて眺めながら、そっと微笑んだ。嵐のあとの、束の間の、あたたかい凪。それが、いつまでも続けばいい。心から、そう思った。
(颯太。……この時間が、ずっと続けばいいのに)(うん。でも双葉、続かせるために、みんな、それぞれの場所で戦ってるんだよ。葵ちゃんも、蓮くんも)。双葉は、頷いた。この、あたたかい凪を守るために。誰かが日向で声を上げ、誰かが日陰で泥をかぶる。交わらない、けれど、同じものを守るための、二つの戦い。双子は、その両方を、この目で見届けようと、静かに誓った。無力でも、無意味じゃない。もう、双子は、それを知っていた。その静かな確信が、二人の背筋を、少しだけ、伸ばしていた。
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次話は明日21時ごろ更新予定です。




