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無能を演じる必要悪 〜正義の勇者が壊した世界を、私はまた黙って直す〜  作者: なち
第2部 交わらぬ正義

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第29話 交わらない正義

【蓮side】


 「灰原。……全部、君が、やってたのか」


 ようやく、蓮は声を絞り出した。「消えた子たちを守ろうとして。俺の周りの火種を消して。ずっと、たった一人で……こんな、化け物みたいな連中を相手に」


 「化け物は、私のほうだよ」


 葵は、静かに言った。倒れた生徒に上着をかけながら、こちらを見もせずに。「天音くん。君は、この学園を“変える”と言ったね。悪をなくして、みんなが自由に笑える場所にするって。……その気持ちは、本物だと思う。眩しいくらいに」


 「だったら――」


 「でもね」葵は、初めて蓮を振り返った。「悪は、なくならないんだよ。消しても、消しても、また湧いてくる。人がいる限り、際限なく。だから、誰かが引き受けるしかない。表に出ない場所で。誰にも讃えられないまま、泥をかぶって。それが、私の役目。“必要悪”っていうんだ」


 「必要悪、なんて言葉で、自分に呪いをかけるなよ」蓮は言った。「君は、悪じゃない。俺には、そう見える。こんなにも必死に、みんなを守ってる人が、どうして“悪”なんだよ」。葵は、ふっと、力なく笑った。「……君は、優しいね。でも、その優しさが、いちばん、残酷なんだよ」。そう言って、葵は、ふっと目を伏せた。その横顔が、あまりに寂しくて、蓮は次の言葉を継げなかった。


 「そんなの、間違ってる!」蓮は、叫んだ。「一人で全部背負うなんて、おかしいだろ! なくならないなら、みんなで、少しずつ変えていけばいい。時間がかかっても、遠回りでも……!」


 「その“みんな”が、さっき、人形にされて君を殺そうとしたよ」


 葵の言葉が、蓮の胸に、氷の刃のように突き刺さった。


 「きれいごとで守れるものなんて、ほんの一握り。君が声を上げるたびに、君の隣の子が狙われて、傷ついた。……違う? 私は、それをずっと見てきた。だから、先回りして消してきた。君に気づかれないように。君が、まっすぐでいられるように」


 図星だった。足を折られた、あの女子。連れ去られた、下級生。蓮のまっすぐさが招いたその結果を、全部、この子が陰で拭ってきた。反論できない。蓮は拳を握りしめた。悔しさと、情けなさで、体が震える。それでも、蓮は、退かなかった。


 「……それでも、俺は、間違ってるとは思わない」蓮は、まっすぐ葵を見た。「君が一人で背負ってるものを、みんなで分ければいい。俺じゃ、力にはなれないかもしれない。でも、隣にいることは、できる。君を、一人にしないことは」


 その言葉に、蓮自身、驚いていた。力もない。守れもしない。そんな自分が、何を言っているのか。それでも、口をついて出た。理屈じゃない。目の前で、こんなにも寂しそうな人を、放っておけるほど、蓮は器用じゃなかった。「役に立てなくても、いい。荷物を持てなくても。ただ、そばにいる。君が、一人ぼっちだって、思わなくて済むように。……それくらいなら、俺にも、できるだろ」


 葵の表情が、揺れた。ほんの一瞬。仮面の下の、素の顔が、覗いた気がした。


 「じゃあ、君は……ずっと、そうやって、一人で……。誰にも言えないまま、こんな地獄を、たった一人で……?」


 その、憐れむような蓮の目を見て、葵の声が、初めて掠れた。それは、彼女がいちばん恐れていた目だった。


 「……やめて。そんな目で、見ないで」


 「なんで。心配して、何が悪いんだよ」


 「悪いよ」葵は、静かに、けれどきっぱりと言った。「私に優しくすると、君まで、この泥に引きずり込まれる。君は、日向にいるべき人なんだよ。私みたいに、なっちゃいけない。……昔ね、私にも、いたんだ。君みたいに、まっすぐな時期が。悪をなくせば、世界は良くなるって、本気で信じてた。その結果が、これ。この力と、この孤独。だから、分かるの。君が、これから、どこへ行き着くのか。同じ道を、歩ませたくない」


 蓮は、言葉を失った。この子は、自分の未来を、憐れんでいるのではない。心配しているのだ。自分と同じ地獄へ堕ちることを、本気で、恐れている。その優しさが、かえって、蓮の胸を締めつけた。


 「……それでも」蓮は絞り出した。「それでも俺は、君に、笑っててほしい。演技じゃなくて、本当に。君が守ってきたこの学園で、君自身がいちばん笑えてないなんて、そんなの、絶対おかしいだろ」。その言葉に、葵は一瞬、泣きそうな顔をした。だがすぐに目を伏せ、地下の奥へと向き直ってしまった。


【葵side】


 ああ、まただ。この子は、私を憐れむ。


 責められるより、蔑まれるより、それがいちばん、つらい。だって、その優しさは、昔の私が、いちばん欲しかったものだから。誰かに「一人で背負うな」と、言ってほしかった。「お前のせいじゃない」と、抱きしめてほしかった。でも、もう遅い。私は、とっくに、手を汚しすぎた。今さら、その手を、誰かに取ってもらう資格なんて、ない。


 「一人にしない」だなんて。簡単に言わないで。その言葉に、どれだけ縋りたくなるか、君は知らない。縋って、甘えて、また誰かを巻き込んで、失って。……そんなのは、もう、たくさんなの。


 だから、お願い。それ以上、こっちに来ないで。君のその、まっすぐな手を、私の泥で汚さないで。君だけは、私が守れなかった“正しさ”の続きを、歩いてほしいんだから。日向を。まっすぐに。私の、届かなかった場所を。


 ……それに、と私は思う。もし、君の手を取ってしまったら。私はきっと、また、誰かを頼ることの、温かさを思い出してしまう。そうしたら、二度と、一人には戻れない。そして、いつか君を失ったとき――私は、あの日のように、壊れてしまう。今度こそ、この学園ごと、消してしまうかもしれない。だから、だめ。近づいちゃ、だめなの。これは、君のためでもあり、私のためでもあり、この学園に生きる、すべての人のための、線引きなのだ。


 ……なのに、どうして、この子は、その線を、こんなにも軽々と越えてこようとするのだろう。「一人にしない」だなんて。「そばにいる」だなんて。誰も言ってくれなかった言葉を。私が喉から手が出るほど欲しくて、でも二度と手にしてはいけないと、自分に禁じてきた言葉を。ずるい。本当に、ずるい子だ。私は、込み上げるものを、ぐっと飲み下した。今は、泣いている場合じゃない。あの冷たい声が、すぐそこまで来ているのだから。……本当は、笑いたかった。君と、くだらないことで。でも、その資格は、私にはないの。……そう自分に言い聞かせて、私は、面を握り直した。


 私は、蓮から目を逸らし、地下空間の奥へ向き直った。感傷に浸っている場合じゃない。あれが、来る。この気配。この、肌を刺すような、冷たい――。


 「……いい話だねえ。“必要悪”、か。実に、けっこうな覚悟だ」


 奥の暗がりから、声がした。私は、狐面の下で、目を細める。──来た。ようやく。

お読みいただきありがとうございました。

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次話は明日21時ごろ更新予定です。

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