↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無能を演じる必要悪 〜正義の勇者が壊した世界を、私はまた黙って直す〜  作者: なち
第2部 交わらぬ正義

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
27/46

第27話 破断

【蓮side】


 旧校舎の資料室。その奥の壁が、ずれていた。


 いつもは固く閉ざされている鉄扉が、今夜は招くように、半分だけ開いている。蓮は生唾を飲み込み、その隙間へ体を滑り込ませた。下りの階段が、暗くコンクリートの喉のように続いている。一段ごとに空気が冷たく、饐えたにおいが濃くなっていく。心臓が、耳の奥で鳴っていた。それでも、足は止まらなかった。ここに、答えがある。ずっと探してきた、この学園の“本当の顔”が。


 やがて、視界がひらけた。


 そこは、学園の施設とは明らかに造りの違う、広い地下空間だった。剥き出しのコンクリート。壁際に並ぶ、無数のガラスの筒。中には紫色の液体が満たされ、とろりと光を受けて揺れている。そして――そのいくつかには、人が入っていた。眠っているのか、意識がないのか。制服を着たままの、生徒たち。


 蓮は、息を呑んだ。「これ……は」


 消えた子どもたちだ。転校したことにされて、いなくなった子たち。彼らは、ここにいた。こんなところに閉じ込められて。薬の実験台にされて。あの空っぽの椅子の主が、ここにいる。頭の奥が、かっと熱くなった。怒りで、視界が揺れる。こんなことが、この学園の足元で、ずっと続いていたのか。大人たちが目を逸らし、口をつぐんできた“何か”とは、これだったのか。


 蓮は、いちばん近い筒に駆け寄った。中の生徒は、同じ制服。見覚えのある顔だった。いつか廊下で、蓮に「ありがとう」と笑いかけてくれた、あの子だ。もう、笑っていない。眠らされ、管に繋がれ、実験の道具にされている。蓮はガラスを叩いた。「おい……! 起きろ、聞こえるか!」。反応はない。厚いガラスの向こうで、その子は深い眠りに沈んだまま、ぴくりとも動かなかった。蓮の手が、怒りと無力感で震えた。この子たちを、こんな目に遭わせて。それを、大人たちは知っていて、見て見ぬふりをしてきた。あの「諦めた顔」の正体は、恐怖ではなく、共犯だったのだ。


 「ようこそ、天音くん」


 声がした。振り向くと、あの粘つく笑みの上級生が、数人の黒装束を従えて立っていた。「調べていたんだろう。この学園の“本当の顔”を。──ほら、これがそれだ。ご満足かな」


 「お前ら……こんなこと……!」蓮は駆け出した。まず、あの子たちを筒から出さなければ。だが、その足が止まる。ガラスの筒の一つが、ひとりでに開いた。中から、ゆらりと、生徒が出てくる。目が、濁っていた。焦点が合っていない。紫色の血管が、その全身に蛇のように浮き上がっている。


 「紹介しよう。我々の“試作品”たちだ」上級生が笑った。「薬で、限界まで作り変えた。もう、自分が誰かも分からない。ただ目の前のものを壊すだけの、人形だ。……さあ。君が助けに来た子どもたちに、君は殺されるといい。皮肉が効いてるだろう」


 筒が、次々と開いていく。濁った目の“人形”たちが、一体、また一体と、緩慢に歩き出す。かつて蓮が守りたいと願った、あの子たちと同じ制服を着た、変わり果てた姿で。


 蓮は、拳を握った。だが、振るえない。この子たちは、被害者だ。殴れるわけがない。だが、向こうは容赦なく襲ってくる。伸びた爪が、頬をかすめた。避けるだけで、精一杯だった。数秒だけ噴き出した熱で一体を突き飛ばしても、すぐにまた消える。一体を押しのければ、二体が伸し掛かってくる。爪が肩を裂き、血が滲んだ。痛みより、絶望が勝った。この子たちを傷つけずに、この子たちから逃げることも、助けることも、できない。蓮の力では、何ひとつ。「くそっ……なんで、俺は、こんなに弱いんだ……!」。歯を食いしばる。だが、体は応えてくれない。あの熱は、こういう、本当に必要なときに限って、出てこないのだ。囲まれる。牙のように尖った歯が、迫る。


 「や、やめろ……お前たちも、被害者だろ……! 目を、覚ませ……!」


 届かない。声は、どこにも届かない。濁った目には、蓮の姿すら映っていなかった。蓮は、悟った。ここは、自分の手には、負えない。まっすぐさだけでは、どうにもならない地獄が、この学園の底には、口を開けて待っていた。


【双葉side】


 双子が地下にたどり着いたのは、その時だった。


 階段の陰から覗いた光景に、双葉は声を失った。紫色の筒。変わり果てた生徒たち。囲まれ、追い詰められていく蓮。


 (颯太……あれ、消えた先輩たちだよね。みんな、こんな……)


 (うん。……ひどい。ひどすぎるよ、こんなの)


 颯太の思考が、震えていた。双子には、何もできない。飛び出したところで、あの人形たちの前では、無力な子どもが二人、増えるだけだ。第1部から、何度も味わってきた無力感。それでも、双葉は目を逸らさなかった。見届ける。それが、班の一員として、自分にできるたった一つのことだから。


 その時、双葉の背筋を、あの忘れもしない悪寒が撫でた。空気が、変わる。冷たく、張り詰めて。地下空間の暗がりの奥。そこに、いつのまにか、ぽつんと小さな影が立っていた。


 漆黒の、狐の面。


 (……葵ちゃん)


 狐面の少女は、追い詰められた蓮を、じっと見ていた。その手が、ゆっくりと持ち上がる。双葉は、思わず、颯太の手を、感覚共有の向こうで握りしめた。始まる。あの、理解の追いつかない“静けさ”が。今夜もまた。


 (双葉、僕たちも、何か……!)


 (だめ、颯太。今飛び出したら、私たちも人形にされる。……見て。葵ちゃんが、来た)


 双葉は震える手を握りしめた。怖い。でも、あの狐面が来たなら、きっと。あの理不尽を、また、あの子が終わらせてくれる。そう信じることしか、双子にはできなかった。無力な自分たちが、唯一できること。それは、この夜に起きることを、一つ残らず、この目に焼きつけておくことだけだった。何が起きても、まばたき一つ、見逃さない。それが、班の一員として、双葉が自分に課した、たった一つの役目だった。


【葵side】


 地下へ降りた瞬間、私は、この空気を知っていた。第1部の、あの夜と同じ。饐えた薬のにおい。子どもを、道具に変える場所のにおい。……ここが、根の一つだったのか。ずっと探していた、この学園の膿の源。


 人形に囲まれ、血を流しながら、それでも倒れた子どもをかばおうとする蓮が見えた。まっすぐで、無鉄砲で、こんなところまで、たった一人で。……ばかな子。でも、来ると分かっていた。だから、私も来た。


 狐面に手をかける。今夜は、隠さない。この子の前で、正体を晒すことになっても構わない。あの子を死なせるくらいなら、私のことなんて、どうなってもいい。長いあいだ守ってきた秘密を、こんな夜に、こんな形で手放すことになるとは。それでも、迷いはなかった。あの子を死なせない。その一点だけが、今夜の私の、全部だった。私は面の奥で、静かに、覚悟を決めた。

お読みいただきありがとうございました。

続きが気になった方は、ブックマーク・★評価で応援いただけると、とても励みになります。

次話は明日21時ごろ更新予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。