第23話 誰かが、消している
【葵side】
その週、私はほとんど眠らなかった。
天音蓮に目をつけた“解放の輪”が、彼を潰そうと、次々に手を打ってきたからだ。蓮の味方をした生徒への嫌がらせ。放課後の呼び出し。人気のない場所での脅し。そのどれもを、私は先回りして、一つずつ静かに解いていった。
呼び出しの場所には、相手が来る前に着いておく。仕掛けられた罠は、誰かが触れる前になかったことにする。連れ去られかけた子は、気づかれないうちに寮へ戻しておく。派手なことはしない。人を傷つけもしない。悪意が形になる、その一歩手前で、そっと間引く。それだけ。
その夜も、私は動いた。旧棟の裏で、蓮を待ち伏せていた三人組。彼らが飛びかかる寸前、私は彼らの足元の影を、ほんの少しだけ“重く”した。三人は理由も分からず膝をつき、そのまま眠りに落ちる。目が覚めた頃には、なぜ自分がここにいるのかも、思い出せないだろう。蓮は何も知らないまま、その脇を通り過ぎていった。まっすぐ前を見て。私の存在にも気づかず。……それでいい。気づかれたら、終わりだ。
誰も気づかない。助けられた本人でさえ、自分が助けられたことに気づかない。感謝も、賞賛も、そこには生まれない。それでいい。それが、いちばんいい。感謝されてしまえば、私はまた英雄になってしまう。二度と、なってはいけないのに。
(……疲れた、な)夜明け前の屋上で、私は膝を抱えた。体は平気だ。この力は、いくら使っても減りはしない。減っていくのは、いつも別のところだった。誰にも言えない。誰にも見せられない。そういう夜を重ねるたび、私の中の“ただの女の子”の部分が、少しずつすり減っていく。
時々、思う。もし私が、本当にただの無能なブースターだったら。詩織と、双子と、あの班で、くだらないことで笑って、普通の学園生活を送れたのかもしれない。ポタージュが熱いと騒いで、テスト前に慌てて、そんな、なんでもない毎日を。……ないものねだりだ。私は、そういう普通を、とっくに手放している。手放した、というより、この手で壊してしまったのだ。だから、せめて。他の誰かの“普通”くらいは、守りたかった。
――それにしても、と私は夜空を見上げる。最近、影の動きが変わってきた。末端の“解放の輪”とは別の何か。もっと大きく、もっと静かな気配が、この学園の底で蠢き始めている。第1部のあの夜、私が幹部を消す寸前、その口を封じた“あの手”。あれが、また動き出している。私に汚れ仕事をさせ、都合が悪くなれば証拠ごと消す、あの黒い手が。……次に動くとき、狙われるのは、たぶん。私は、嫌な予感に、そっと唇を噛んだ。
もし、次に狙われるのが蓮だとしたら。あの黒い手は、きっといちばん残酷なやり方を選ぶ。あの子のまっすぐさを利用して、あの子自身を、罠の中心へ誘い込む。……考えすぎ、だといい。でも、私の予感は、こういう時に限ってよく当たる。私は夜空を見上げたまま、しばらく動けなかった。守らなければ。あの子を。この学園の、いちばん昏い場所から。
【蓮side】
蓮もまた、その“奇妙さ”に気づき始めていた。
狙われているはずなのに、致命的なところで、いつも何かがずれて、事態が収まっている。最初は幸運かと思った。だが、あまりに続きすぎる。これは偶然じゃない。「……誰かが、いる」蓮は一人呟いた。誰かが、自分の見えないところで、この状況を収めている。敵ではない。むしろ、自分の周りの子たちを守っている誰かが。
その正体を突き止めようと、蓮は何日も放課後の校舎を張り込んだ。そしてある晩、あと一歩まで近づいた。物音を聞いて旧棟の角を曲がると、倒れた黒装束の男が数人と――一瞬だけ、翻る制服の裾が見えた。「待て……!」蓮は駆けた。だが、角を曲がった先には、もう誰もいない。夜風だけが通り過ぎ、地面には争った跡すら残っていなかった。
守られている、という事実は、蓮の胸に複雑な影を落とした。ありがたい。心強い。だが同時に、悔しかった。自分が守りたいと願った子たちを、自分ではなく、顔も知らない誰かが守っている。自分の無力を突きつけられているようで。もっと強ければ。あの数秒で切れる力ではなく、自分の手で守れる力があれば。その渇望が、蓮をさらに前のめりにさせていく。危険なほど、まっすぐに。
ただ一度だけ、別の夜、蓮は去っていく人影の後ろ姿を遠くに見た。角を曲がって消える、ほんの一瞬。小柄な女子生徒の背中。サイズの合わない、ぶかぶかの制服。夜風に揺れる、後ろで束ねた黒髪。それは、蓮の記憶のある一点と、静かに重なった。図書室の、あの気弱な少女の背中と。
「……まさか」その名前を、蓮はまだ口にできなかった。口にすれば、あの気弱な少女が必死で守っている、ひどく寂しい何かに、土足で踏み込むことになる気がして。それでも、蓮の足は、もう彼女のほうへと向き始めていた。だが、確かめるより先に、蓮の意識は別のものに引き寄せられていた。消えた子どもたちの行方。その手がかりが、旧校舎の地下にあるという確信。灰原葵の謎も、気にはなる。だが今は、それ以上に、断たなければならない“根”がある。蓮の中で、二つの謎はまだ交わっていなかった。それが同じ夜、同じ場所で一つに繋がることを、蓮はまだ知らない。
【颯太side】
その一部始終を、双子も感覚共有の網で追っていた。
(双葉。これ、絶対、葵ちゃんだよ)(うん。誰にも気づかれないように、蓮くんの周りの火種を、片っ端から消してる)
颯太の胸が、きゅっと締めつけられた。遠ざけながら、守る。近づけないまま、誰よりも近くにいる。その不器用な優しさが、颯太には痛いほど分かる気がした。班の隅から見ていることしかできない。それでも双子は知っている。この学園のどこかで、一人の少女が今日も静かに泥をかぶっていることを。そして、それに気づきかけている、もう一人の危うい子のことも。
(ねえ双葉。蓮くん、たぶんもうすぐ、葵ちゃんの正体に気づくよ)(うん。……そうなったら、どうなるんだろう)。双子には、その先が読めなかった。ただ、二つの正義がぶつかる音が、少しずつ近づいてくるのだけは、感覚共有の糸を通して、はっきりと感じ取れた。
(私たちにできることって、やっぱり、見ていることだけなのかな)(うん。でも双葉、それでも意味はあると思うよ。誰かがちゃんと見ていて、覚えている。……いつか、その二人の間に立てる日が来るかもしれない。班の仲間として)。双葉は、その言葉に、少しだけ背筋を伸ばした。無力でも、無意味じゃない。そう信じることが、双子にできる、たった一つの戦い方だった。糸の両端で、二人は静かに頷き合う。何が起きても、目を逸らさない、と。
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次話は明日21時ごろ更新予定です。




