↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無能を演じる必要悪 〜正義の勇者が壊した世界を、私はまた黙って直す〜  作者: なち
第1部 裏切りと覚醒

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
15/47

第15話 日常へ、しかし

 一週間が過ぎた。


 学園は何事もなかったように、回り続けていた。中央管理棟は、いつのまにか真新しい壁と、磨かれた窓ガラスに張り替えられている。あの地下への入り口があった旧校舎の資料室も、今はただの埃っぽい物置に戻っていた。誰もあの日の惨劇を口にしない。「設備点検の誤作動」それが公式のそして唯一の、記録だった。


 双葉は登校の道すがら、そのあまりにも滑らかな日常を以前とは違う目で眺めていた。


 同じ朝。同じ風景。けれど、もう双葉にはその「普通」がただの普通には、見えなかった。この平らな水面の下で、誰が何を消してきたのか。それを知ってしまったから。


 (……颯太。私変わったのかな)

 (うん。……僕も変わったと思う。前はこの日常が退屈だと思ってた。……今は怖いくらい大事に思えるんだ)


 この何気ない朝が。誰かが泥をかぶって、守った結果なのだと、知ってしまえば。もう当たり前には、戻れなかった。


 その日双葉はずっと気にかけていた、あの委員会の男子を久しぶりに廊下で見かけた。『解放の輪』に「やっと居場所が、見つかった」と澄んだ目で笑っていたあの子だ。彼は地下での一件のあと、しばらく寮に引きこもっていたらしい。すれ違いざま、双葉は勇気を出して、「おはよう」と声をかけた。彼は少し驚いた顔をして。それから、ぎこちなく「……おはよう」と返した。もうあの澄みすぎた目は、していなかった。憑き物が落ちたような。少し疲れたけれど、地に足のついた、普通の生徒の顔だった。


 救われたのかもしれない。誰にも気づかれない、あの子の働きで。双葉はそっと胸のなかで葵に礼を言った。


 ◇


 教室に陸が戻ってきた。


 医務室を出て、初めての登校だった。以前より痩せて顔色もよくない。薬の後遺症で、あの自慢の速さは、まだ戻らないという。教室に入ってきた陸に、クラスメイトたちは、どう接していいか分からず、遠巻きに様子を窺っていた。かつてあれほど威張り散らしていた男だ。無理もなかった。


 陸はまっすぐ自分の席へ向かった。その途中。

 彼は颯太の席の前で、足を止めた。


 「……小鳥遊」


 教室がしんと静まる。颯太は身を硬くした。何を言われるのか。かつての陸なら、この状況で八つ当たりの一つも、してきそうなものだった。


 だが、陸が口にしたのは。


 「……この前はノートありがとな。それと」


 陸は言葉を探すように一度口ごもった。それから、絞り出すように。


 「……今まで悪かった。お前らのこと、散々こき使って。……感覚共有しか能がないとか。言ってたけど。あれ全部俺が自分に余裕がなかっただけだ。……ごめん」


 颯太は目を丸くした。あの迅雷陸が。人に頭を下げている。誰よりもプライドの高かった男が。


 「いいや……。もういいよそんなの」


 颯太がしどろもどろに、言うと陸はふと口の端を上げた。少しだけ照れくさそうに。それから、自分の席へ腰を下ろした。もう周りを睨みつけることも、大声で武勇伝を語ることも、なかった。ただ、静かに窓の外を眺めている。


 (……颯太。陸くん、変わったね)

 (うん。……なんか憑き物が落ちたみたいだ。速さを失って。でも、代わりに別の何かを拾ったのかも、しれない)


 速さがなくても。陸は陸だ。あの日颯太が言った言葉を。陸はたぶん少しずつ自分のものに、し始めていた。


 放課後の訓練場。陸はもう狂ったように、走ることはなくなった。かわりにじっと下級生たちの、能力訓練を眺めていることが、増えた。ある時颯太は見た。陸がフォームの崩れた下級生に、そっと歩み寄って何か助言をしているのを。「そこ力み過ぎだ。……肩の力抜けよ。俺もそれでずっと失敗してた」と。下級生はきょとんとしていたが、やがて、嬉しそうに頷いた。


 速さを失った男が。その無数の失敗の経験だけは。今誰かの役に立ち始めていた。かつてあれほど蔑んでいた「弱さ」を通り抜けて初めて手にした優しさだった。


 ◇


 その日の昼休み。

 いつもの食堂のいつものテーブル。そこには奇妙な四人が揃っていた。


 隅で静かにポタージュを冷ます、葵。その隣で優雅に紅茶を淹れる、詩織。そして、少し離れて双子。──そこへトレーを持った、陸がやってきた。


 一瞬テーブルに緊張が走った。詩織の視線が、すと鋭くなる。かつて葵を「おいブースター」と呼び使い走りにしようとした男。詩織にとって、陸はいつ消してもおかしくない「不純物」だったはずだ。


 だが、葵がふわりと笑った。


 「陸くん。……よかったら座って?」


 陸はばつが悪そうに、頭を掻いてから、空いた席に腰を下ろした。詩織は露骨に眉を寄せたが、葵が小さく首を振ると、しぶしぶ矛を収めた。


 「……なあ、灰原」陸がぽつりと言った。「お前本当はすごいやつなんだよな。……いや、いい。何も言わなくて。詮索もしねえよ。ただ……ありがとな。あの時俺を消さないでいてくれて」


 葵は少し驚いたように、目を瞬かせた。それから、いつもの気弱な笑みで、答えた。


 「私なんのことだか……」

 「はは。……そういうことに、しとくよ」


 陸は笑ってカレーを口に運んだ。双葉はその光景を不思議な気持ちで、見ていた。かつてバラバラだった、外れくじの班。イキる陸崇拝する詩織、地味な葵おまけの双子。それが今はぎこちないながらも、一つのテーブルを囲んでいる。


 もちろん何もかもが解決したわけじゃ、ない。葵の正体も詩織の忠誠の理由も、学園の闇も何ひとつ分かっていない。それでも──


 (……颯太。私たち決めたよね。あの子の味方になるって)

 (うん。……何もできないかもしれない。でも、せめてあの子が一人ぼっちだって、思わなくて済むように。……この班でそれをやっていこう)


 窓の外では穏やかな秋の陽が差していた。その光のなかで、四人と双子のささやかな昼食は、続いていく。嵐のあとの束の間の凪のなかで。


 ◇


 その夜。双葉はまた屋上の気配に、気づいた。葵と詩織。今夜は風が凪いでいて。声が途切れ途切れに、届いた。


 「……詩織。近いうちにまた大きなものが、動く気がする」葵の静かな声だった。「私の勘だけど。……この凪はたぶん次の嵐の前触れだ」

 「では、いつもどおり。わたくしが露払いをいたします」

 「ううん。……今度のはたぶん力でどうにかなるものじゃ、ない。もっと厄介な。……“正しさ”が、来る」


 詩織はその言葉の意味を測りかねたように、しばらく沈黙した。双葉にも分からなかった。ただ、いつもはどこまでも凪いでいる葵の声に、かすかに滲んだ、その緊張だけが。妙に耳に残った。


 だが──その凪は長くは続かなかった。

お読みいただきありがとうございました。

次回、いよいよ第1部完結です。

次話は明日21時ごろ更新予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。