第11話 解放の輪の正体
階段は、思っていたより、ずっと深かった。
下りるごとに空気が冷たく重くなっていく。壁を伝う配線が…ジジ…ジ……と不規則に瞬く。双子は葵たちの足音を頼りに、その二十段ほど後ろを息を殺して下りていった。感覚共有で颯太の見ているものと、双葉の見ているものが重なって時々足元が二重に、ぶれて聞こえる。
やがて階段が終わり視界がひらけた。
(……なにここ)
思わず双葉の思考が漏れた。
そこは広い地下空間だった。学園の施設とは、明らかに造りが違う。剥き出しのコンクリートの壁に、無数の医療機器のようなもの。壁際には、あの紫色の液体を満たしたガラスの筒がいくつも並んでいた。中身が、とろり…と明かりを受けて揺れている。陸に渡されたあのアンプルの大本だろう。
いや…と双葉は思った。「大本」なんて生易しいものじゃない。これは工場だ。あの人を壊す薬を大量に生み出すための工場。こんなものが学園のすぐ真下に。誰にも知られず。……いったいいつから?誰の許しを得て。
(颯太……これ上級生が片手間に作れる規模じゃ……ないよ)
(うん。……誰か…生徒じゃなく、大人が噛んでる。この学園のどこかに。組織をわざと泳がせてる誰かが…)
その中央に黒い装束の男たちが二十人ばかり。整然とこちらを待ち構えるように、陣を組んでいた。そしてその一団の前に一人の男が進み出た。
落ち着いた足取り。柔らかな物腰。歳は、教師ほどにも見える。組織の幹部らしき男だった。
「ようこそ。狐面の、お嬢さん。……いや、この呼び方は、失礼かな」
男は穏やかに微笑んだ。敵意も殺気もない。まるで客を迎える主人のように。
「君のことはよく知っているよ。学園が飼っている掃除屋。都合の悪いものをなかったことにして回る便利な手。……ずいぶんと汚れ仕事を押しつけられているね。可哀想に」
葵は、答えなかった。狐面の下の表情は、双子には、見えない。
「なあ、こちら側へ来ないか」
男は両手を広げた。
「僕たちは、君の敵じゃない。むしろ同じものを見ている。この学園の醜さを。能力者を檻に入れ、格付けし都合よく使い潰すこの歪んだ仕組みを。──僕たちはね、それを壊したいだけなんだ」
(……なんか)
颯太が、ごくりと、唾を飲んだ。
(あの人の言ってること、悪い人の言い方じゃ、ないんだよ)
双葉にもそれが分かってしまった。
だから、怖かった。
「考えてもごらん」
男は諭すように続けた。
「悪が世界を悪くしている。ならば悪を消せばいい。腐った仕組みを、腐った大人を、この世から拭い去れば──後にはきれいな世界が残る。子どもたちが格付けもされず自由に生きられる世界が、ね」
男は、一歩、踏み出した。
「君も見てきたはずだ。あのCクラスの少年。迅雷くん、といったか。彼がなぜ壊れたと思う?才能があったのに。たった一文字の格付けに人生を否定されたからだ。この学園が彼を壊したんだよ。僕たちじゃ、ない。……そういう子がこの塀の中に何百人といる。その子たちを救いたい。それのどこが悪いのかな」
(双葉……あの理屈、陸に聞かせちゃ…駄目だ)
颯太の思考が、強張った。
(あいつが一番、言ってほしかった言葉を。悪意がそっくり真似してる)
(うん。……救いの顔をして。人を壊しにくる)
葵の肩がほんのわずかに動いた。双子にはそれが笑ったのか、身じろぎしたのか分からなかった。
「……その話、」
狐面の下から、低い声がした。
「昔、聞いたことがある。……とてもよく似た話を」
男の笑みが初めてほんの少しだけこわばった。
「悪を消せば世界は、きれいになる。……そうだね。私もそう思っていた時期があったよ。──それで。どうなったと、思う?」
葵はそれ以上言わなかった。ただ狐面を男のほうへまっすぐ向けた。
男の顔から穏やかさがスッ……と引いた。
「……交渉決裂、か。残念だよ。まあいい。掃除屋は掃除屋らしくここで終わってもらおう。──やれ」
黒い装束の男たちがいっせいに、動いた。
その瞬間だった。
双子の目の前で先頭の五、六人が、まとめて宙に浮いた。悲鳴を上げる間もない。彼らの体は、見えない拳に握り潰されるように、ぐしゃりとひしゃげ、地下空間の壁へと叩きつけられた。コンクリートが蜘蛛の巣状にひび割れる。
その中心に立っていたのは──神楽詩織だった。
彼女は指の一本も動かしていなかった。ただ片手をそっと横に流しただけ。それだけで突進してきた男たちは、根こそぎ薙ぎ払われていた。
一人が詩織の背後へ、回り込んだ。薬で加速した拳がその後頭部へ振り下ろされる。だが、届かない。振り向きもせず詩織はその男を真上へ跳ね上げた。天井へ叩きつけ、落ちてきたところを今度は床へ。二度、三度。まるで玩具の人形を、もてあそぶように。
「あなた方の力は、借り物ですわ」
詩織の声は、涼やかだった。
「薬で無理やり引き出しただけの、まがいもの。……本物をお見せしましょうか」
彼女がス…と両手を広げた。地下空間に散らばっていた、あらゆる金属が──折れた鉄骨が、砕けた機材の破片が、無数のガラス片が──いっせいに宙へ浮き上がった。銀色の切っ先が、十、何百と残った男たちへ狙いを定める。
「葵様の御前です。……不純物風情が気安くこの空気を汚さないでくださいまし」
銀の雨が降った。悲鳴と金属音が地下空間にこだまする。ほんの数十秒。立っていた男は、もう一人もいなかった。
(……すごい)
双葉は思わず見惚れていた。
(詩織さん、こんなに強かったの?あの人でもあんなに強いんだ。……なのに、その詩織さんが、葵ちゃんにはあんなに頭を下げてる)
その意味を双子は、まだ本当には分かっていなかった。詩織が「露払い」と呼んだ、この圧倒的な力さえも──葵の前ではただの前座に過ぎないということを。
男たちが次々と沈められていく。だが、幹部の男は崩れかけた陣の奥でまだ余裕の笑みを浮かべていた。
「なるほど。特待生の犬か。……だが、切り札はこちらにもあってね」
男が指を鳴らした。
地下空間の、奥の暗がり。そこからゆらりと、一つの影が進み出た。黒い装束。以前とは、比べ物にならないほど濃く、禍々しい気配。
「紹介しよう」
幹部の男が芝居がかった仕草で、その影を指し示した。
「我々の最高傑作だ。薬を限界まで受け入れた、器。……ああそう、睨まないでくれ。君の班の子だろう? 久しぶりの、再会じゃないか」
双子は、その顔を見て、息を、呑んだ。
迅雷陸だった。
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次話は明日21時ごろ更新予定です。




