脳を破壊する静寂。あるいは狂信エルフの誕生
「はぁ、はぁ……っ、う、頭が、割れる……っ!」
カラン、と乾いた音を立てて石造りのシェルターへ転がり込んできたのは、見事な金髪と、特徴的な長い耳を持ったエルフの少女だった。
年は俺と同じ十五歳前後だろうか。だが、その白い肌は脂汗に塗れ、美しい顔は激痛で梅干しみたいに歪んでいる。
「あ、あれ……バグが勝手に入ってきた」
俺は椅子から立ち上がり、手元のお茶(冷たい麦茶)のコップを置いた。
彼女の周囲の大気が、嫌な感じでパチパチと爆ぜている。
間違いない。『魔導ノイズ』による急性過電圧脳症――通称、ノイズ中毒だ。
この死の大地には、超古代文明が垂れ流した不規則な高周波魔術の残骸が、電磁波のように年中吹き荒れている。
特にエルフ族は魔力への感度が高すぎるため、何の対策もなしにこの地に足を踏み入れれば、脳の神経回路に過電流が直撃して一発で狂い死ぬ。
彼女も、その犠牲者になりかけていた。
「いや、違うな……」
俺は彼女の背中に背負われた、ボロボロの『金属製の弓』を見て目を細めた。
「それ、ただの弓じゃないでしょ。超古代の魔導兵器……レーザーボウ(光波弓)のジャンクだ。出力を上げようとして、基盤の絶縁体を無理やり剥ぎ取ってある」
「あ、あぐ……っ、お父、様の……形見、の……っ」
「あー、やっぱり。君の親父さんも脳筋だったか。出力を盛るために、安全回路をバイパス接続しちゃったんだね。だからその弓を持つだけで、周囲の魔導ノイズが全部増幅されて、君の脳に逆流してるんだよ」
言うなれば、彼女は**『剥き出しの電線を素手で握り締めながら嵐の中を走ってきた』**状態だった。そりゃ頭も割れるほど痛くなる。
「は、離して……この弓は、捨てられない……っ! 私は、強く、ならなきゃいけないのに……っ!」
涙を流しながら弓を抱きしめるエルフの少女。
その不器用で、何かに追い詰められた姿が、前世の自分に重なった。
前世の秋葉原。法律という巨大なシステムの過負荷に耐えかねて、それでも愛したジャンク屋の看板を最後まで手放せなかった、あの夜の自分に。
「……別に、捨てろなんて言ってないよ。職人の前で、万策尽きたみたいな顔すんなよな」
俺はボソボソと早口で呟きながら、彼女の細い指から強引にその金属弓をひったくった。
「あ、ああ……っ! ダメ、それを奪われたら、私は――」
「静かにして。いま温度24度、湿度45%のエコモード中なんだから、大声出すとエアコンのコンプレッサーに無駄な負荷がかかる」
俺は作業机に座り、懐から【はんだごて】を取り出した。
自分の指先から、たったの5Wの魔力をコテに込める。先端が、じわりと、だが完璧に一定の熱度で赤く染まった。
「さて、デバッグ(修理)を始めよう」
金属弓のグリップ部分のネジを回し、内部の魔導基盤を露出させる。
中身は最悪だった。素人が無理やりハンダをモリモリに盛ったせいですぐ隣の回路とショートしかけており、経年劣化でクラック(亀裂)まみれ。おまけに熱を逃がすヒートシンク(放熱板)すら外されている。
「見てるだけで蕁麻律が出そうなクソ配線だな……。よし、JIS規格に準拠して、接続をやり直す」
ジュウウウ、と、はんだの溶ける懐かしい匂いが小屋に満ちる。
俺の出力は5W。街灯すら灯せない無能の力。
だが、その5Wは、金属の分子同士を1ミリの狂いもなく、不純物を一切混ぜずに**【完全接続】**するためだけに洗練された、神の定格だ。
余分なハンダを吸い取り、焼き切れた導線をバイパスし、ゴミ捨て場から拾ってきた銅の端子を噛ませて、完璧な「安全接地(アース回路)」を新設する。
仕上げに、はんだごての先で、美しい富士山型のフィレット(ハンダの接合形状)を描いた。
「よし。インピーダンス整合、完了。ノイズフィルター設置。……これでよし」
作業時間、わずか三分。
俺が金属弓をぽんと机に置いた瞬間――
「え……?」
床で悶絶していたエルフの少女が、呆然とした声を漏らした。
静かだった。
あまりにも、静寂だった。
彼女の脳を内側から五寸釘でブチ抜くようだった激痛が、嘘のように、跡形もなく消え去っていた。
「あ、頭が……痛く、ない……? 空気も、冷たくて、おいしい……?」
彼女はゆっくりと身体を起こした。
死の大地特有の、あの不快な肌にまとわりつく静電気も、鼓膜を狂わせる魔導ノイズの重低音も、この石造りの小屋の中には一切存在しなかった。
ただ、キリガミネ(魔導冷暖房機)が、静かに、優しく、24度の風を送っているだけ。
「世界の音が、聞こえない……。あんなに狂暴だったお父様の弓が、まるで眠っているみたいに大人しい……。あなた、は……」
少女は、作業机の前に座る俺を、まるで本物の神を見るような、潤んだ瞳で見つめてきた。
「あ、いや……ただのジャンク屋だけど。前世の」
俺は居心地が悪くなって、目を逸らしながら冷たい麦茶を彼女の前に差し出した。
「ほら、脱水症状起こしてるから、それ飲んで。定格を守って、10分は絶対安静」
少女は震える手でコップを受け取り、一気に飲み干した。そして、もう一度俺を見て、今度はその場に美しく土下座した。
「私の名前は、リィン。……世界のバグを直す、偉大なる我が主よ。どうか、このリィンを、あなたの回路に置いてください……!」
「……え、いや、回路に置くって何? 意味不明なんだけど。僕、人と喋りたくないからここに引きこもる予定なんだけど」
俺の迷惑そうな声など耳に入っていない様子で、リィンという名の金髪エルフは、その頬を朱に染め、瞳に異様なまでの「狂信」の光を宿らせていたのだった。
(第3話へ続く)
第2話をお読みいただき、ありがとうございました!
5Wのはんだ技術によって、リィンの脳のバグと、お父様の形見の弓が完璧にデバッグされました。エアコンの効いた部屋で飲む冷たい麦茶、最高ですね。
しかしコウノスの意図(静かに引きこもりたい)とは裏腹に、リィンは完全に彼を「世界の調和神」として狂信し始めてしまいました。
次回第3話は、リィンがコウノスの「丁寧な暮らし」にさらに胃袋と魂を掴まれる、ほっこり(?)エピソードをお届けします。




