失敗
フロズグラードを出て数日、切り立った山岳地帯を抜ける道中、頭上から甲高い鳴き声が幾重にも響いた。見上げると、鷲の上半身と獅子の下半身を持つ影が、三つ、四つと旋回している。
(――グリフォン)
前世の知識にある姿と、寸分違わなかった。単独で戦えば、そう厄介な相手ではない――そんな油断が、一瞬だけ頭をよぎった。
「――グリフォンか。それも、群れとはな」
カリナが舌打ちした。
「単体なら大したことない相手だ。だが、あいつらは群れると厄介だぞ。互いに鳴き声で連携する」
言葉の通り、三体の魔物は示し合わせたように動いた。一体が正面から低く滑空して威嚇し、注意を引きつけている間に、もう一体が側面へ回り込む。ゼロが正面の一体に氷剣を向けた瞬間、
「――ゼロ、右!」
リゼルの声に反応し、とっさに身を捻る。頭上から急降下してきた三体目の爪が、僅かに逸れて頬を掠めた。
「一体ずつ相手にしてたら、いいようにやられるぞ! 数の攻め方をされてる時は、こっちも数で応じろ!」
カリナの怒声に、ゼロは唇を噛んだ。力任せの一対一なら、この数週間で多少なりとも自信がついていた。だが、統率された複数の敵は、まるで勝手が違う。
(前世で知ってた奴らと、動きが違う……! ここまで頭を使って連携してくるなんて、聞いてない)
知っているつもりだった姿が、まるで別物のように牙を剥いてくる。この世界に来てから、何度も思い知らされてきたことだった――知識は、あくまで入り口でしかない。
「――フィア、目立って!」
リゼルが叫んだ。
「あたしが囮ってこと!? 望むところじゃないんだけど!」
口ではそう言いながらも、フィアの頭の中では、別の声が響いていた。
(――剣も、魔法も使えないあたしにできることなんて、これくらいしかない)
一座にいた頃、危険な芸を任されるのはいつも、下っ端の自分の役目だった。だが今は、誰かに押し付けられたわけじゃない。仲間として、自分から引き受ける役割だった。その違いだけで、震えそうになる足に、僅かな力が戻った。
「――上等じゃない。目立つのは、得意分野だし!」
フィアは持ち前の身のこなしで岩場を飛び回り、甲高い口笛と共に、わざと目立つように動き回った。狙いを定めきれずに苛立った様子で、正面の一体がフィアへと標的を変える。
「今よ! そっちの二体、動きが逸れた!」
リゼルの矢が、フィアを追う個体の翼を正確に射抜いた。体勢を崩して墜ちる一体を、カリナの剣が仕留める。
――だが、そこで誤算が起きた。
墜ちた一体が、絶命する間際、ひときわ甲高い鳴き声を上げた。それに応じるように、残る二体の動きが一変する。これまでの牽制と包囲の動きを捨て、二体同時に、無防備なフィア一点へと狙いを絞ったのだ。
「――しまった、あれは仲間を呼ぶ声だ! 数で押し切る気だぞ!」
カリナの声に、フィアの顔から血の気が引いた。
「え、え、ちょっと待って、話が違う――!」
逃げ場のない岩場の隅、フィアが両手で頭を庇う。リゼルの矢も、カリナの足も、この距離では間に合わない。
(――間に合え)
ゼロは考えるより先に地を蹴っていた。二体の間、ちょうど連携の起点になる位置へ強引に割り込む。
「――囲むなら、囲ませない」
指先から放たれた氷の壁が、瞬時に視界を分断する。互いの姿を見失った二体は、一瞬、鳴き声を交わすタイミングすら失った。
「――今しかない!」
分断された片方へカリナが、もう片方へゼロが同時に踏み込む。連携を断たれた魔物は、単体としてはさほどの脅威ではなかった。二体を相次いで斬り伏せると、辺りに静寂が戻った。
肩で息をしながら、ゼロは仲間たちを見回した。
「――誰も、大きな怪我はないですね」
「あんたが的確に割り込んでくれたおかげ。連携を切られたら、あいつらただの鳥と獅子だもの」
リゼルが弓を下ろしながら言った。フィアが額の汗を拭いながら胸を張る。
「あたしの目立ちっぷりも、ちゃんと役に立ったでしょ?」
「――正直、危なっかしくて肝が冷えた。だが、上出来だ」
カリナが珍しく素直にそう言うと、フィアは得意げに笑った。それから、少しだけ声のトーンを落とす。
「……怖くなかった、って言ったら嘘になるけど」
「それでも、動いたんですよね」
ゼロが言うと、フィアは一瞬きょとんとしてから、照れ隠しのように鼻を鳴らした。
「あんたに言われると、なんか腹立つ。それ、あたしの台詞のつもりだったのに」
「お互い様ってことで」
「――くだらないやり取りは道すがらにしろ。まだ死骸の片付けが残ってる」
カリナに促され、二人は顔を見合わせて小さく笑った。フィアが額の汗を拭いながら、得意げに呟く。
「にしても、あたし今、結構いい仕事したんじゃない? ねえ、褒めてよ、リゼル」
「はいはい、偉い偉い」
「その返事、絶対心こもってないでしょ」
軽口の応酬に、張り詰めていた空気が少しずつほどけていった。
死骸となった魔物たちの巣は、切り立った崖の窪みにあった。何気なく覗き込んだリゼルが、ふと眉をひそめる。
「――これ」
巣の奥、獲物の骨に混じって、朽ちかけた木箱が転がっていた。中には、蛇が尾を飲み込む紋様の刻まれた古い書簡の切れ端が残されていた。文字はほとんど掠れて読めなかったが、この山道を行き来する何者かが、かつてここを中継地点にしていたことだけは窺えた。
「――こんなところにまで」
リゼルの声が、僅かに硬くなった。手がかりと呼ぶにはあまりに乏しいそれを懐にしまい、一行は再び歩き出した。
「一人でどうにかできる敵ばかりじゃない、ってことね」
「柄にもなく、いいこと言うじゃない」
フィアの軽口に、リゼルが小さく苦笑する。仲間との連携が噛み合った時の充実感を胸に、一行の足取りは、いつもより幾分か軽かった。
――だが、その高揚感が、思わぬ形で仇となることを、この時のゼロは、まだ知らなかった。
国境近くの町レイムから救援の依頼が届いた。町の外れを流れる大河の対岸から、魔物の大群が渡ってこようとしているという。フィアとカリナも共に駆けつけたが、作戦の采配は、自然とゼロとリゼルに委ねられる形になっていた。
「川を凍らせれば、渡れなくなる」
ゼロは即座にそう提案した。フロズグラードでの経験もあり、ここ最近、自分の氷魔法にはっきりとした手応えを感じ始めていた。それが、わずかな驕りになっていたことに、この時はまだ気づいていなかった。
「待って。この川、下流の住民は渡し船で避難する経路にも使っているはずよ」
リゼルが地図を指差しながら言った。だが、ゼロの頭の中には「魔物を止める」という一点しかなかった。
「大丈夫です。凍らせるのは上流の渡渉点だけにします。下流の船着き場までは影響しません」
「本当に、それだけで済むの?」
「……多分」
多分、という言葉の軽さに、リゼルは一瞬だけ眉をひそめた。それでも時間がなかった。結局、ゼロの案で押し切る形になった。
上流で川を凍らせる作戦は、魔物の群れを食い止めるという点では成功した。だが、凍った川は想定以上に下流の水位と流れを変え、避難のために船を出そうとしていた住民たちの多くが、増水した支流に阻まれて足止めを食らうことになった。追ってきた別の魔物の一群に、逃げ遅れた者たちが襲われた。
駆けつけた時には、もう遅かった。
燃える家、泣き叫ぶ声、地面に横たわる幾つもの影。ゼロは言葉を失ったまま、その場に立ち尽くした。
「……俺が、下流のことも、ちゃんと確かめていれば」
「今さら言っても仕方ないわ」
リゼルの声は硬かった。責めているのではなく、それ以上何を言えばいいのか分からない、という声だった。フィアは何も言わず、ただ黙って手当てを手伝っていた。
その夜、ゼロは誰とも口をきかなかった。焚き火の傍で膝を抱え、燃える町の残り火を思い出しては、拳を握り込んだ。
(分かった気になっていた。少し戦えるようになったからって、それで――)
「一人で抱え込まないで」
いつの間にか隣に座っていたリゼルが、静かに言った。
「私も止めきれなかった。だから、これは私たちの失敗よ。あなた一人のものじゃない」
「……でも、決めたのは俺だ」
「ええ。だから、次は私の意見も、ちゃんと最後まで聞きなさい」
厳しい声だったが、突き放すような響きではなかった。ゼロは何も言えず、ただ小さく頷いた。
自分の力は、思っていたよりずっと不完全で、そして誰かを助ける以上に、簡単に誰かを傷つけうるものなのだと、骨の髄まで思い知らされた夜だった。




