空回り
ノクトゥーラを出て最初の野営の夜、見張り番がフィアに回ってきた。
「今夜はあたし一人で平気。ゼロもリゼルも、ゆっくり休んでて」
いつも守られてばかりの自分が、たまには頼れるところを見せたい。その思いが、柄にもなく空回りしていた。
案の定、深夜、藪の奥でがさりと物音がした。
「――で、出た!」
松明を振りかざして構えたが、出てきたのは野兎が一匹だけだった。安堵した拍子に足を滑らせ、抱えていた薪を残り火の中にぶちまけてしまう。炎が燃え上がり、フィアは盛大に咽せた。
騒ぎに、ゼロたちが飛び起きてくる。
「な、何でもない! ちょっと薪をくべすぎただけ!」
「フィア、嘘つく時、絶対そういう顔するよね」
「し、してないし」
「今もしてる」
観念したように、フィアは肩を落とした。
「――魔物が出たと思って、一人で何とかしようとしたら、ただの兎だった。それだけ」
「一人でやろうとしなくていいのに」
「……それに、一人にされるの、昔から苦手で。一座にいた頃は、大部屋で雑魚寝が当たり前だったから。静かな夜に一人でいると、無性に不安になるの」
「それなら、最初からそう言ってくれれば」
「言えるわけないでしょ、恥ずかしい」
拗ねたように言うフィアに、ゼロは小さく笑った。
「今度からは、無理に一人で頑張らなくていい。頼りたい時は、ちゃんと頼ってくれ」
「……うん」
結局、ノクトゥーラで商人本人には辿り着けなかった。だが、リゼルは聞き込みの末、商人が数ヶ月前、南の羊飼いの国へ荷を運んだという話を掴んでいた。細い糸のような手がかりだったが、今はそれを辿るしかなかった。
南へ数日、街道沿いの景色は少しずつ変わっていった。「あー、日の光! 生き返る~」と、フィアが大げさに伸びをする。
街道が緩やかな上り坂に差し掛かった頃、行く手に朽ちた石造りの遺構が見えてきた。かつては見張り塔だったのか、崩れかけた柱がいくつも、蔦に覆われながら空へ突き出している。
「今夜はここで休むか。雨露くらいは凌げそうだ」
カリナの提案で、一行は遺構の陰に野営を張ることにした。柱の合間には、風化した石像がいくつも並んでいる。翼を畳んだ、獣とも人とも取れない異形の像。フィアがそのひとつを指差した。
「これ、趣味悪くない? 睨まれてるみたい」
「ただの装飾でしょう。この手の遺跡じゃよくあるわ」
リゼルは気にも留めずにそう答えたが、ゼロだけは、石像の姿に妙な既視感を覚えていた。
(――ガーゴイル)
前世で触れた物語や遊びの中で、幾度となく見た姿だった。石像に擬態し、夜になると動き出す、硬い体を持つ守護者。この世界に来てから、似たような偶然は何度もあった。それでも、この石像の並びには、前世の記憶が「これはただの飾りじゃない」と、はっきり告げていた。
「――リゼル、念のため、今夜は見張りを厚めにしましょう」
「? どうしたの、急に」
「勘、みたいなものです。当たらなきゃそれでいいので」
リゼルは怪訝そうにしながらも、ゼロが妙な時にだけ妙な確信を持つことを、これまでの旅で知っていた。結局、渋々ながらも頷いた。
「――分かった。念のため、ね」
まさか自分の勘が、この後すぐに証明されることになるとは、ゼロ自身もまだ半信半疑だった。
夜半、月明かりも届かない曇天の下、その予感は現実になった。
「――動いた」
見張りに立っていたゼロが、掠れた声で呟いた。さっきまで柱の陰にあったはずの石像が、いつの間にか位置を変えている。次の瞬間、それは低く唸るような音を立てて、翼を広げた。
「起きろ、みんな! 何か来る!」
叫びと同時に、石像――いや、石の翼を持つ魔物が、地を蹴って襲いかかってきた。灰色の体表は明らかに石そのもので、爪の一撃が地面を叩くと、乾いた岩の弾ける音が響いた。
「――硬いのは、知ってる。だが、試すだけ試す!」
とっさに氷の剣を作り、ゼロは正面から斬りかかった。案の定というべきか、刃は甲高い音を立てて弾かれ、そのまま粉々に砕け散った。
「くそ、やっぱりか……!」
「――ゼロ、下がれ!」
カリナの怒声に、辛うじて後ろに跳ぶ。爪が空を切った直後、間合いに滑り込んだカリナの剣が、魔物の脇腹を薙いだ。だが、こちらも金属のこすれる音がしただけで、傷一つ付いた様子がない。
「硬すぎる……! 尋常な硬さじゃないぞ、これは!」
「まさか、本当に石が動いてるっての!?」
フィアが悲鳴混じりに叫ぶ。リゼルの矢も、同じように甲高い音を立てて弾かれるだけだった。
「ゼロ、正面から壊そうとするな!」
カリナが叫んだ。あの稽古の時と同じ、鋭い声だった。
「硬いものを、力任せに叩き割ろうとするから弾かれる。……お前、それしか知らないのか!」
その一言が、ゼロの中で何かと繋がった。剣で片がつくところまで剣でやれ、魔法はその先だ――ヴェレインでカリナに叩き込まれた言葉が、耳の奥で蘇る。だが、剣そのものが通じない相手には、その理屈は当てはまらない。
(――なら、剣そのものじゃなく、違う使い方をすればいい)
視線を巡らせると、魔物の翼の付け根、関節の部分だけが、他より僅かに動きが硬いことに気づいた。飛ぶために必要な、可動する部分。そこだけは、石であっても完全に固まってはいない。
「――足場を、凍らせろ」
ゼロは咄嗟に、魔物の足元の地面ごと、広範囲に氷を張った。踏み込みの一瞬、魔物の重い体が、僅かに滑る。
「今だ!」
カリナの声と同時に、体勢を崩した魔物の翼の関節目掛けて、ゼロは氷を鋭く、針のように伸ばした。斬るのではない、隙間に潜り込ませ、内側から凍りつかせる。関節が軋み、魔物が初めて苦悶するような咆哮を上げた。
【新技能を習得しました:氷楔】
視界の端に浮かんだ見慣れない表示に、束の間、意識が逸れかける。だが、それを確かめている余裕はなかった。
「効いてる……! ここなら通る!」
畳みかけるように、リゼルの矢が同じ関節を正確に射抜いた。翼が大きく傾き、魔物はよろめきながら後退していく。だが、致命傷には程遠い。魔物は苦しげな唸り声を上げながらも、なおも別の方角――遺構の奥、崩れた石段の下へと、逃げるように駆け出した。
「――待て、あいつ」
ゼロは、追おうとした足を止めた。
「……俺たちを狙ってたんじゃない。あそこに、何かがある」
魔物が向かった先、崩れた石段の下には、半ば土に埋もれた扉のようなものが覗いていた。近づいて確かめると、扉の中央に刻まれていたのは――蛇が己の尾を飲み込む、あの紋様だった。
「これ……」
リゼルの声が、緊張に強張った。
「見張り、だったんですかね。あの化け物」
「……にしては、随分と念入りな見張りだこと」
カリナが苦々しく吐き捨てる。石の魔物はすでに闇の奥へ姿を消していた。追うべきか、一同はしばし顔を見合わせたが、傷ついた仲間もいる中、これ以上の深追いは危険だと判断し、その夜はひとまず引き上げることにした。
焚き火のそばで、ゼロは自分の手のひらを、ぼんやりと見つめていた。
「――力任せに壊そうとするな、か」
ぽつりと呟いた言葉に、カリナが片眉を上げる。
「分かってきたじゃないか。硬い相手には硬い相手用の崩し方がある。それだけの話だ」
「はい」
短く頷きながら、ゼロは、あの遺跡の扉に刻まれた紋様のことを思い返していた。飛空艇の護符、ギルドの手配書、そして今度は、これだ。バラバラに見えていた出来事が、一本の線で繋がりつつあるような、そんな予感があった。
(何なんだ、あの紋様は――)
答えの出ない問いだけを胸に抱えたまま、一行は再び、羊飼いの国を目指して歩き出した。
「あの屋根の形、初めて見ますね」
「風の強い土地だからでしょうね。この先は、羊飼いの国よ」




