すれ違い
その夜、ゼロは久しぶりに、あの夢を見た。
音もなく、温度もなく、ただ白く広がり続ける世界。誰の姿もないのに、確かに何かの気配だけがそこにあった。
『まだ早い』
前と同じ声が、前と同じことだけを告げて消えた。目を覚ました時には、内容のほとんどは霧のように散っていて、ただ「まだ早い」という一言だけが、妙にはっきりと耳の奥に残っていた。
(また、あの夢か)
意味を考える暇もなく、朝の稽古の支度に追われて、その違和感もすぐに日常に埋もれていった。
カリナの指導が板についてきたある夜、ゼロはリゼルが毎晩のように一人で羊皮紙を広げているのに気づいた。
「それ、何を調べてるんですか」
「あなたには関係ないわ」
素っ気ない返事は、いつも以上に突き放す響きだった。
「俺は護衛ですよ。危険なことなら、知っておいた方がいいんじゃないですか」
「雇っているのは私。あなたは、報酬をもらって働いているだけ」
言ってしまってから、リゼル自身も言い過ぎだと分かったような顔をした。ゼロは何も言わずにその場を離れた。軽口を叩き合う仲になったつもりだったのに、肝心なところではいつも一歩引かれる。その落差が、胸に残った。
それから数日、二人は必要最低限の会話しかしなかった。カリナにまで「お前ら、何かあったのか」と聞かれる始末だった。
そんな折、野営中に魔物の遠吠えが響いた。見張りは二人だけだった。
「――来る」
剣に手をかけたリゼルの前に、ゼロはとっさに立とうとした。だが、気まずさがほんの一瞬、判断を鈍らせる。藪から飛び出した魔物は、二人の間合いのちょうど狭間に着地した。同時に動いたせいで互いの得物が交錯しかけ、ゼロの氷刃が逸れる。浅い傷しか負わせられず、暴れる爪がリゼルの二の腕を掠めた。
「リゼル!」
「――大丈夫。下がって!」
割り込んだ氷壁が追撃を防ぎ、なんとか二人がかりで魔物を仕留める。息を切らして見つめ合った間に、気まずさとは違う、重い沈黙が落ちた。
「――今の、私たちらしくなかった」
リゼルが腕の傷を押さえ、静かに言った。
「私が意地を張ってた。……ごめんなさい」
「俺も、勝手に『守らなきゃ』と思いすぎてました」
「悪いことじゃない。ただ、私にも選ぶ権利はある。守られるだけの側には、いたくないの」
焚き火の傍で、リゼルはようやく表情を緩めた。
「故郷のこと、調べてるのは本当。詳しくは、まだ話せない。ただ……父が亡くなる直前、最後に取引していた商人がいたの。毒草を扱う商人。その足取りを追っている、それだけは言っておく」
「毒草、ですか」
「……それ以上は」
――だが、リゼルが本当に調べていたものの正体を、ゼロが知るのは、まだ先のことになる。




