傭兵ギルドとカリナ
第三章 傭兵ギルドとカリナ
数日の空の旅を経て、飛空艇はヴェレインの発着場に降り立った。都市に降り立って早々、ゼロは奇妙な光景に気づいた。中心部の白い石畳を歩くのは上等な服の住民ばかりで、荷運びや掃除をする者たちは一様に、足首に色付きの布を巻いている。
「あれは?」
「地上出身者の印よ。この街は浮遊石の恩恵を受けて生まれた『天に選ばれた者』の街――というのが建前。地上から来た者は、いくら働いても『下から来た者』としてしか扱われない」
淡々と語るリゼルの声には、隠しきれない苦さが滲んでいた。屋台では、雲を集めて焼き固めたような白いパン「クラウドブレッド」が売られており、値段は地上の倍以上した。
傭兵ギルドは、そんな中心部からさらに外れた、無骨な石造りの建物だった。中に入ると、隅のテーブルで数人の傭兵たちが、青ざめた顔で酒を煽っていた。
「――本当に、一撃だったのか」
「ああ。S級の『鉄壁』のガイオスが、指一本触れられずにやられた。蛇の紋様を掲げた女が一人、笑いながら通り過ぎただけだって話だ」
「冗談だろ、あのガイオスだぞ」
「冗談で済めばよかったんだがな……」
聞くともなしに耳にした会話に、ゼロは思わず足を止めた。リゼルも、表情を強張らせている。
「――今の、聞きました?」
「ええ。S級のガイオスといえば、大陸でも指折りの実力者よ。それを、一撃で」
不穏な空気を振り払うように、受付の机に足を乗せて欠伸をしていた大柄な女が、こちらに気づいて声を上げた。
「――リゼル、久しぶりだな。……で、そっちの坊主は?」
「護衛よ。名前はゼロ」
「ふうん」
値踏みするような視線が、ゼロの全身を舐めるように動いた。
「カリナ・ロウだ。この街の傭兵ギルドじゃそこそこ名の知れた剣士でな。護衛だってんなら、腕を見せてもらおうか」
有無を言わさず、カリナは訓練場にゼロを引っ張っていった。木剣を渡され、構えを見せた瞬間、彼女は鼻で笑った。
「我流か。まあ、悪くはない。悪くはないが――」
言うが早いか、木剣がゼロの喉元すれすれで止まっていた。反応すらできなかった。
「――話にならんな」
三度、四度と打ち合ったが、結果は同じだった。息を切らして地面に膝をつくゼロに、カリナはあっさりと言った。
「才能はあるんだろうさ。魔法の噂も聞いた。だが剣は才能だけじゃ勝てん。分かったなら、明日からここに通え。タダで教えてやる」
「……いいんですか」
「気に入らない奴には教えない主義でな。お前は嫌いじゃない」
素っ気なく言うと、カリナは背を向けて歩き去った。リゼルが会うはずだった人物は出立が延びたとかで、ヴェレインにはしばらく足止めとなった。それから数週間、ゼロは基礎の型を叩き込まれる日々を送った。何度も転がされ、何度も罵られ、それでも少しずつ、剣筋に無駄がなくなっていくのが自分でも分かった。
稽古の合間、リゼルに連れられて訪れた図書塔で、白髪の司書が暇そうに古書の整理をしていた。世間話のついでに、リゼルが何気なく尋ねる。
「この街にも、古代文明の伝承って残ってるんですか」
「ああ、『始祖』の伝説かい。この辺りじゃ有名だよ」
司書は懐かしそうに語り出した。
「大昔、世界を作り替えるほどの力を持った存在がいて、それを一人の賢者が命懸けで封じた、という話でね。氷の賢者、と呼ばれていたそうだ。まあ、おとぎ話の類さ」
「氷の、賢者……」
ゼロは思わず呟いた。自分の掌をちらりと見下ろす。
「面白いのは、その賢者は、生涯で一度も使わなかった力があるという言い伝えでね。使えば全てを終わらせられるが、同時に自分自身も無に還る、絶対の零――古い言葉で『アブソリュート・ゼロ』と呼ばれていたそうだ」
司書はそれに気づかず、笑いながら続けた。
「今どき、そんな伝説を信じてる者なんていやしないよ。ただの昔話さ」
その場は何気ない世間話として終わったが、ゼロの中には、小さな棘のように、その言葉が残り続けた。
ある日、ギルドの掲示板の隅に、色褪せた手配書を見つけた。判別できるのは、蛇が尾を飲み込むような紋様だけだ。カリナは「ずいぶん前の詐欺集団の目印だ。ガイオスの件も、名を騙っただけかもしれん」と興味なさげに言ったが、ゼロの頭の中では、飛空艇の護符の紋様と、静かに重なっていた。
「筋は悪くない。あとは――お前、実戦になると魔法に頼りすぎるな。剣で片がつくところまで剣でやれ。魔法はその先だ」
カリナの言葉は、後になって何度もゼロの中で反芻されることになる。
その言葉を試す機会は、思いのほか早く訪れた。野盗まがいの一団の討伐に、カリナのお供として同行したのだ。ゼロは先んじて前に出た。相手は三人。教わった通りの型で一人目をいなし、二人目の背後からの斬撃を半歩引いて躱す。素手で組み付いてきた三人目だけは型に収まらなかったが、指先に薄く氷を纏わせて足元を滑らせ、転ばせるに留めた。
二人までは、魔法に頼らずに済んだ。最後の一人だけは、型通りとはいかなかったが。
「――やるじゃないか。前は、魔物相手にいきなり氷の剣を出してたのにな」
「自分でも、驚いてます」
数週間前の自分なら、こうはいかなかった。剣を、ただの繋ぎではなく、ちゃんとした武器として使えている実感があった。
その夜、稽古納めとばかりに、カリナが最後の模擬戦を持ちかけてきた。
「初日は、何秒持った覚えてるか」
「――十秒もかからなかったと思います」
「なら、今日はどれだけ粘れるか、見せてみな」
カリナの一撃は、以前と同じく重く鋭かった。それでも今のゼロは、一撃目を受け流し、二撃目もぎりぎりで捌いた。反撃には、結局一度も届かなかった。だが、初日には十秒と持たなかった相手の剣を、最後まで受け続けられた。
「――ここまで粘られたのは、久しぶりだ。上出来だ。旅の空でも、その調子を忘れるなよ」
ゼロは木剣を下ろし、積み上げてきたものの重みを噛みしめた。
「――そうだ。ちょうど潮時だと思ってたところだ」
カリナが、思い出したように言った。
「ギルドの仕事も一段落したところでな。しばらく、お前らの旅について行ってやる。どうせ、ろくに面倒も見きれてない教え子を放り出すのも寝覚めが悪い」
「――いいんですか」
「いいも何も、もう決めた話だ。文句は受け付けん」
こうして、カリナも正式に旅の一員として加わることになった。三人での旅路が、ここから始まった。




