炎の幹部イグナート
収穫祭の村を発った三人は、ガレオンが去り際に残した言葉を頼りに、地図が残る古代文明の遺跡を探し続けていた。その道すがら、つい先日まで人が暮らしていたはずの村が、丸ごと黒焦げの瓦礫と化しているのを目にした。焼け跡には、焦げついた足跡と、逃げ遅れた形跡だけが残っていた。
「地図の在り処を吐かせようとして、村ごと焼いたんだろうな」
リゼルが硬い声で言った。誰の仕業か、確かめるまでもなかった。
途中の宿場町では、「イグナート」という名を出しただけで、宿の主人が青ざめて口を噤んだ。
「あの人喰い火の幹部の話は、うちではしない約束なんだ。名前を口にしただけで、火が寄ってくるって言われててな」
町全体が、その名前一つに怯えていた。実際に炎を見た者などほとんどいないはずなのに、噂だけで避難を始める村もあるという。
焼け焦げた石柱が延々と続く廃墟へと足を踏み入れる。地図らしきものを求めて奥へ進むうち、廃墟の中心――ひときわ大きな祭壇の前で、炎を纏う幹部、イグナートが待ち構えていた。
「よくぞここまで辿り着いた。褒めてやろう、脆弱な命共。――全ては、灰に還る」
言葉と同時に、廃墟全体が業火に包まれた。熱波だけで肌が焼けるような激しさだった。
「ここは、始祖様の御業を記した聖地だ。この地に眠る記録を、お前たちごときに荒らさせはしない」
「この地は、かつて栄えた文明の墓標だ。始祖様の力が世に満ちすぎた結果、この世界は一度、炎に呑まれて滅んだ」
炎を操りながら、イグナートは陶酔したように語った。
「だが、それでいい。炎は全てを焼き尽くすからこそ、灰の上に新しい世界を作れる。壊さねば、何も始まらない」
「その炎を鎮めるため、当時の賢者が編み出したのが――氷の技法だ」
「――氷?」
ゼロの手が、思わず止まった。
「始祖様の力を封じるためだけに生み出された、特別な氷。あらゆる形に姿を変え、あらゆる猛威を凍てつかせる、封印のための力。……お前の氷が、なぜそんなに『妙な形』を取るのか、少しは分かったか?」
「――ネスラやゾウディアも、それを知っていたのか」
「あの女どもと、私を一緒にするな」
イグナートの声に、初めて明確な苛立ちが滲んだ。
「毒だ重力だと、姑息な小細工ばかりの連中だ。反吐が出る。始祖様の御業を、真に体現できるのは、全てを焼き尽くすこの炎だけよ」
「――羽虫のように群れて、何ができると思っている?」
吐き捨てるように言うと、イグナートは値踏みするようにゼロたちを見渡した。数を揃えたところで、質が伴わなければ意味がない――そう言いたげな目だった。
答える暇もなく、炎の奔流が襲いかかる。ゼロは反射的に氷の盾を作り出し、辛うじて防いだ。だが、地面から立ち上る陽炎のような熱気が、じわじわと足の裏まで焼いてくる。まともに立っているだけで消耗する戦場だった。
【耐性:灼熱に抵抗(小)】
見慣れてきたはずのその表示すら、今は、皮肉にしか感じられなかった。熱に慣れたところで、この炎そのものを崩せるわけではない。
「壊すことでしか、何も作れないのか」
ゼロは氷の盾を構え直しながら、初めて言葉を返した。
「俺の氷は、壊すためのものじゃない。守るために、形を変えるだけだ」
「同じことだ。焼くのも、凍らせるのも、この世界に爪痕を残す力であることに変わりはない。……灰こそが、全ての始まりだ」
「――足場から凍らせる!」
ゼロは崩れかけた石柱の根元を次々と凍結させ、急速に冷やして罅を入れた。柱が倒れ込み、イグナートの足元を塞ぐと同時に、冷えた瓦礫が一時的な足場を作る。地面の熱に炙られ続けるよりはましだった。
その最中、足を滑らせたゼロが一瞬、完全に体勢を崩した。無防備な一瞬。イグナートの拳が振り上げられる――が、なぜかその一撃は止まった。
「――なぜ、止めた」
「小細工で体勢を崩しただけの獲物を潰すのは、私の美学に反する。……立て。万全の状態でかかってこい」
意外な言葉に、ゼロは一瞬言葉を失った。だが、すぐに体勢を立て直し、構え直す。押し合う炎と氷の狭間で、頭の中は疑問だらけだった。
(俺の氷が、始祖を封じるための力の――名残り?)
考えを整理する余裕はなかった。フィアが崩した柱の隙間を縫って背後に回り込み、リゼルが怯んだ瞬間を斬りつける。三人の連携と、地の利を奪う工夫が噛み合い、じりじりとイグナートを追い詰めていく。ついに片膝をついたイグナートは、それでも崩れ去ることなく、燃え尽きる寸前の炎を見るような目でゼロを見上げた。
「――その氷、昔の賢者と同じだな。破壊ではなく、守るために形を変える」
「……それが、悪いことか」
「いや。ただ、皮肉だと思っただけだ。……半端者が、随分と大層な力を宿したものだと」
自嘲とも侮蔑ともつかない響きだった。
イグナートは、片膝をついたまま、最後に問いを残した。
「お前は、始祖を封じる者か。それとも――解き放つ者か」
ゼロは答えられなかった。イグナートは、それを咎めるでもなく、薄く笑った。
「答えは、いずれ嫌でも出る。……だが、お前はまだ、その先には至っていない」
「その先……?」
「賢者が最後まで使わなかった力があるという。全てを終わらせ、同時に己を無に還す、絶対の零。……お前がそこに辿り着くかどうかは、私の知ったことではないがな」
「封印は、いずれ緩む。お前がその力を宿す限りな……ゾルグ様が、お前を待っている」
言い終えると同時に、イグナートは残った力を全て使い、自らの周囲に業火の壁を作り出した。灼熱の中、姿はかき消えていく。
「――追うな。これ以上は、命に関わる」
リゼルの制止に、ゼロは奥歯を噛みしめながら、それでも足を止めた。倒せなかった、という事実だけが、重く胸に残った。
炎が収まったあと、祭壇の裏の石棚から、辛うじて焼け残った古い地図が見つかった。つなぎ合わせた紙片の南の山間に、印が一つだけ打たれている。
「……これが、ガレオンの言っていた地図ね」
リゼルが慎重に、それを畳んで懐へしまった。
崩れかけた廃墟に、イグナートの言葉だけが、重く残っていた。
その夜、ゼロは一人、焚き火から少し離れた場所で、自分の掌に浮かべた小さな氷の欠片を、じっと見つめていた。
(この力は、俺のものなのか。それとも、昔の誰かの残り物なのか)
始祖を封じるためだけに作られた力の名残なのだとしたら、自分の意志など、最初からどこにもないのではないか――そんな考えが、拭っても拭っても消えなかった。
「――こんな時間に、辛気臭い顔しないの」
リゼルが隣に腰を下ろした。
「昔の誰かの力だろうと、始祖を封じるための道具だろうと、関係ないでしょう」
「でも」
「あなたがその力をどう使うか。それだけでしょ」
短く言い切られた言葉に、ゼロは思わず顔を上げた。リゼルは焚き火を見つめたまま、それ以上は何も言わなかった。それだけで、胸の中の澱みが、少しだけ軽くなった気がした。




