積み重ねた強さ
ガルムンドでの修行を終える頃、街道に魔物の群れが出没しているという報せが届いた。討伐依頼を受けたのは、力試しの意味もあった。
現れたのは、以前ゼロが倒した狼型の魔物よりも一回り大きな個体だった。カリナが前に出ようとするのを、ゼロは手で制した。
「今度は、俺が。……ただし、一人でやるとは言ってない」
リゼルとフィアに、それぞれ目配せする。狼が飛びかかる直前、リゼルの索敵が退路を塞ぎ、フィアの投げた砂が視界を奪い、その隙に、ゼロの氷が急所を正確に射抜いた。剣も、魔法も、単独では届かなかった一撃。事前の打ち合わせなしに、三人の呼吸が、綺麗に噛み合った瞬間だった。
「――」
カリナは、何も言わなかった。ただ、少し離れた場所で腕を組み、三人のやり取りを、じっと見つめていた。
その夜、カリナが荷物をまとめているのに気づいた。
「……ギルドに戻る」
「え、もう行っちゃうんですか」
「ヴェレインのギルドから、呼び戻しの報せが届いててな。S級のガイオスが潰されてから、人手が足りないらしい。お前らが一人立ちするまで、返事は待たせてたんだ」
カリナは、荷物を担ぎながら、素っ気なく言った。
「今日の戦い方、見ただろ。もう、私が教えることはない。お前一人の強さじゃなく、三人でどう戦うか。……それは、私の領分じゃないからな」
去り際、カリナは珍しく振り返ってこう言った。
「お前、一人で背負い込む癖、少しはマシになったな。……その調子で行け」
「――ありがとうございました」
「礼はいらん。次会う時は、酒でも奢れ」
カリナが去っていく背中を、一行はしばらく見送っていた。仲間が一人減った寂しさと、確かな成長を得た手応えが、同時にゼロの胸にあった。
(才能だけじゃない。三人なら、もっと強くなれる)
その実感は、いつか来る本当の決戦への、静かな布石になっていた。
カリナが去った後は、久しぶりに何も起きない、静かな旅路になった。見晴らしのいい丘陵地帯で足を止め、遠く連なる山脈を三人並んで眺めた時――ゼロは、ふと呟いた。
「――こうして見ると、世界は広いな」
「まだ知らない国が、いくつもあるのよ」
「いつか、全部回ってみたいですね」
そう言葉を交わした矢先だった。
「――ゼロ、あれ」
リゼルが指差した空の彼方、山の稜線を縫うように、一つの影が滑空していた。翼を持つ、竜のような輪郭。近づくにつれ、その異様な大きさがはっきりと分かった。
「ワイバーンか。この辺りに出るなんて、珍しいな」
飛空艇の航路にも被害が出ていると、村で噂になっていた個体だった。ゼロは剣を構えながら、妙な違和感を拭えずにいた。
(前世の知識通りなら、竜種の中では下位のはず……なのに、この威圧感は何だ)
ガーゴイルの時も、グリフォンの時も感じた「知っているはずなのに、何かが違う」という感覚が、今回はより強く襲いかかってくる。
急降下してきた尾の一撃を、地を蹴って躱す。鱗を掠めた反動だけで、地面に深い亀裂が走った。反射的に放った氷の連撃は、これまでなら決着をつけるのに十分な威力だったはずだ。だがワイバーンは怯む素振りも見せず、爪を振り下ろしてくる。
「くそ、全部後手に回ってる……!」
「力押しは通じないわよ。地形と、隙を見るの……!」
リゼルの矢も、翼の付け根で浅く弾かれる。ただの獣のはずなのに、その動きには、どこか無駄がなさすぎた。
(――この感じ、ガレオンと戦った時と、少し似てる)
一瞬の隙を突かれ、ワイバーンの尾がゼロの脇腹を捉えた。受け身を取る間もなく、体が岩肌に叩きつけられる。息が詰まり、視界が白く霞んだ。
【耐性:衝撃に抵抗(小)】
そんな表示が霞む視界の端をよぎった気がしたが、痛みの方が、遥かに現実だった。
「――ゼロ!」
リゼルの悲鳴じみた声が、遠くから聞こえた。立ち上がろうとする足に、力が入らない。頭上から、とどめとばかりに影が降ってくる。
(――ここで、終われない)
歯を食いしばり、無理やり体を捻って直撃を避ける。かすめた爪が、頬に一筋の傷を刻んだ。地面に転がりながら、ゼロは荒い息の中で、これまでの旅の断片を、一つずつ拾い集めていた。
(――まず、型)
カリナに叩き込まれた基礎の型で、相手の重心と踏み込みの間合いを見切る。がむしゃらに動くのをやめ、無駄のない最小限の動きで、次の一撃をようやく躱しきった。
(――次に、硬さへの対処)
ガーゴイル戦で摑んだ感覚が蘇る。力任せに正面から壊そうとしない。狙うのは、翼の付け根――可動する関節部分だけ。
(――そして、呼吸を合わせる)
グリフォンの群れで培った、仲間との連携の勘所。視線を交わさなくても、リゼルが次に何を狙うか、体が覚えていた。
「――リゼル、次で決める!」
「分かってる、任せて!」
ひとつひとつは、これまでの戦いで確かに身につけたものだった。だが今、それを全部同時に、限界まで研ぎ澄まして使う。今までにない集中が、指先の冷気に宿っていく。
弓を構えるリゼルの横顔には、いつもの冷静さの奥に、隠しきれない緊張が滲んでいた。
(――この子は、もう)
かつて、震える手しか持たなかった護衛の少年は、もういない。全身傷だらけになりながらも、なお前を見据えるその目に、リゼルは弟の面影を、ほんの一瞬だけ重ねていた。同時に、それを上回る何か――もう庇うだけの存在ではなくなった誰かへの、静かな誇らしさが、胸の奥に灯っていた。
「――今、ここだ!」
タイミングを合わせたリゼルの矢が、体勢を崩したワイバーンの喉元に突き刺さる。怯んだ一瞬、ゼロは踏み込み、これまでにない密度で圧縮した氷の刃を、心臓の位置目掛けて突き入れた。
体の奥から溢れ出す冷気が、いつもより深く、鋭い。視界の端に、見慣れない光が一瞬だけ瞬いたが、それが何を意味するのか、確かめている余裕はなかった。
確かな手応えと共に、ワイバーンの巨体が地響きを立てて崩れ落ちた。荒い息を吐きながら、ゼロはようやく剣を下ろした。
「――勝った、のか」
「ええ。でも」
リゼルが、倒れたワイバーンに歩み寄り、その体表を確かめて息を呑んだ。鱗の一部、本来ならただの模様であるはずの場所に、焼き印のように刻まれた紋様があった。蛇が己の尾を飲み込む、あの形だった。
「これは……」
「野生の魔物には、あり得ない。誰かが、意図的に手を加えた痕だ」
フィアが、こわごわとその紋様を覗き込む。
「じゃあ、このワイバーンが妙に強かったのも……」
「自然の脅威なんかじゃない。人の手が加えられた、作り物の脅威ってこと」
リゼルの声には、隠しきれない怒りが滲んでいた。これまで旅の途中で幾度も目にしてきたあの紋様が、初めて、はっきりとした悪意の形を伴って突きつけられた瞬間だった。
「――許せない」
ゼロは低く呟いた。目の前の倒れた魔物にも、こんな姿にされるまでの何かがあったのかもしれない。そう思うと、勝利の余韻よりも、行き場のない怒りの方が強く胸を占めた。
「これだけの改造を施せる相手が、もし……人間にも、同じことをしようとしていたら」
リゼルの言葉に、誰も返す言葉が見つからなかった。ゼロはゆっくりと膝をつき、焼き印の刻まれた鱗にそっと手を触れた。
「――お前も、好きでこんな姿にされたわけじゃ、なかったんだろうな」
誰に向けた言葉でもなかった。理不尽に姿を変えられ、理不尽に命を落とした獣に、燃え落ちた故郷で何も守れなかった夜の自分を、少しだけ重ねていたのかもしれない。
リゼルが、静かに隣に膝をついた。
「あなたが怒っていい相手は、この子じゃない。この子を、こんな姿にした奴らよ」
「……分かってます。ただ、なんか、他人事に思えなくて」
リゼルは何も答えず、隣に並んで、倒れた魔物にしばらく目を伏せていた。
フィアが、いつになく静かな声で口を開いた。
「……あたしたちが、今まで見てきたものの先に、何があるのか。そろそろ、はっきりさせなきゃいけない時が来てるのかもね」
その言葉に、誰も異を唱えなかった。




