9.
翌朝。
アラリオンはエルドリックたちのまえで、迷宮第一層の地図を天幕いっぱいにひろげてみせた。その四隅に文鎮の代わりの石を置き、それでも足りずに片方の端を測量士が押さえている。
古い紙には、過去の冒険者たちが残した線や書き込みが幾重にも重なり、そこへきのうの測量結果が新しい墨で加えられていた。あたらしい線ばかりが濃く、まっすぐで、まわりから浮きあがって見える。
純粋にその地図だけを眺めるだけなら、第一層のほとんどはすでにひとに知られているところであるように見えた。ただ、そのなかで、最奥にある大きな窪地だけは、幾たびも同じ印が書き直されていた。書いては消し、また書き込んだ痕が、紙の繊維を毛羽立たせている。
「〈巣〉か」
ジョヒアが地図を覗き込んだ。天幕の布を通した朝の光が、紙の上を淡々と照らしていた。
「魔物が湧き出る場所だな。話は簡単だ。そこへ行って湧いて出てきた奴らを片づけてやりゃいい」
アラリオンはじろりとかれの顔を見た。あいかわらず、その静謐さにもかかわらず、ひどく威圧的な目つきだった。
「それをいままで何年くり返してきた?」
「どういうことだ。何年?」
「記録が残っているだけで三十年以上。おそらくそのまえからずっとだ」
ジョヒアはその言葉を笑い飛ばした。
「それはやりかたが確立されているってことだろ」
「違う。ただ失敗がくりかえされているうちに習慣になってしまっただけだ」
アラリオンは過去十年分の記録を取って机のうえに置いた。朱色の紐で束ねられていた紙のかたまりが鈍い音を立ててその場所にひろがった。
「失敗? どういうことだ。毎回、魔物は倒しているんだぞ」
ジョヒアの表情が険しくなった。が、アラリオンは例によって気にする様子すらなく、淡々と続ける。
「魔物を斃しにいく。そこから去る。何日か経つとまた湧く。また斃しにいく。その次の月も次の年も十年後も同じことをくり返す。それを、おれの言葉では成功とは呼ばん」
「そんな――」
エルドリックは絶句した。
〈巣〉とは、岩盤の裂け目などから地下水に混じった瘴気のようなものが絶えずにじみ出し、それが窪地へと溜まっていく場所のことだった。いくらか時間が経てば、その泥のなかからあらたな魔物が生まれるのだ。
果てしない昔から、冒険者たちは定期的にそこへ向かってきた。そこにあらわれた魔物を倒し、牙や皮を持ち帰る。数日後、また魔物が湧く。そのたびに、また倒す。
かれらの側から見れば、それは適度に金になる仕事だった。行けば必ず獲物がいる猟場のようなものなのだ。しかし、アラリオンはその繰り返しにかかった金額を示してみせた。かれが紙をめくるたび、同じ形の記録が出てくる。日付と人数と、死んだ者の名前だ。
「これが十年だ」
エルドリックはその数字を目で追っていった。十年分の合計欄まで指でたどってから、思わず手を止めた。
「こんなに?」
「一回ごとは安いものだろう。だから、だれも気にしない。だが、それが十年続ければこうなるということだ」
ジョヒアが不満そうに鼻を鳴らした。かれは腕を組んだまま、その紙束から目を逸らしていた。
「それなら、あんたはどうするんだよ」
「かんたんなことだ。発生源をふさぐ」
「ふさぐ?」
「そうだ。裂け目そのものを封鎖する」
測量士がしずかにべつの図面を広げた。断面図だ。地図とは違い、そこに描かれているのは道ではなく、岩の厚みと角度だった。その周囲の岩盤を削り、土台を作り、鉄杭と石材を入れるとすると短時間では終わらない。数日がかりの工事になることはあきらかであった。
「数日? 魔物が次々と湧いて出るところで?」
ゼスフィが目を丸くする。
「交代すればいい。戦う者も、工事する者も、荷を運ぶ者も入れ替えつづける。人間は休ませ、作業は止めない」
アラリオンの言葉に、ジョヒアが呆れたように笑った。声に力がない。冗談だと思いたいというような顔だった。
「ほんとうに工事する気なのかよ。迷宮のなかで」
「もちろんだ。そのために石工を雇ったんだからな」
「正気じゃねえな」
ロザリンドが工事費を訊ねた。アラリオンがあたりまえのことのように答える。その金額を聞いた瞬間、彼女は顔色を変えた。
「――そんなことしたら、四十日どころじゃなくなるわよ」
「そうだろうな」
アラリオンは一切動揺するようすを見せなかった。すべてが当然のことであるかのように泰然自若としている。
ジョヒアは鼻で笑ったが、エルドリックは笑えなかった。巨大な地図のまんなかあたりにある〈巣〉を見つめる。幾たびも書き直されてきた印が、そこだけ紙を汚していた。少なくとも三十年のあいだ、だれも消すっことができなかったしみだ。
いまさらにアラリオンのやろうとしていることに理解が追いついてきた気がした。この男はいちどだけ勝とうとしているのではないのだ。勝ったそのあともいつまでも同じ状態が続くよう、環境そのものを変えようとしているのだった。




