2.
「ほんとうです」
〈冒険者ギルド〉の受付の男は、ジョヒアが事情を語り終えるまで待つことさえしなかった。ただ、手もとの台帳を指さきでなぞりながら、そっけなく答える。
「領主さまの許可も下りています。先月付けですね」
「ほんとうって、あんた」
ジョヒアが呆れた様子でカウンターに両手を突いた。
「迷宮のある土地を買っちまうなんて無法なまねが通るわけがないだろ。そもそも迷宮なんてものは――」
「土地は土地です。あの丘の所有権はもともとはある富豪のものでした。それを購入された方がいらっしゃると。それだけのことです。ギルドとしても異議はありません。あそこはもうほとんど廃墟です。土地ごと買われてしまっても、いまさらもうだれも困らない」
だれも、か。
エルドリックはその言葉を頭のなかで反芻した。現に困っている人間がここに五人もいるのだけれど。
「じゃあ、おれたちはどこへもぐればいいんだよ」
「他の迷宮へどうぞ。一番近いのは北ですね。馬車で六日」
「そんな簡単な話じゃ――」
ジョヒアが何か言い返そうとして、ゼスフィに襟首を引かれた。
「よしなよ。その人にいったってムダ。〈ギルド〉の上層部が認めたんだから」
「ご理解いただき、幸いです」
皮肉というような口調でもなく、受付はうなずいた。かれにしても、文句をつけられたところでどうしようもないというのは真実なのだろう。もっとも、仮にどうにかできるとしてもそうするつもりはなさそうだが。
後ろに下がり、待ち合いのための長椅子に座り込んで、五人はしばらく重い沈黙を共有した。
まだ昼前だが、ギルドの広間には冒険者たちが溜まっている。仕事がないのだ。この街の冒険者は〈死の地下迷宮〉が枯れたといわれるようになってから、街道の護衛と周辺の魔物退治で食いつないでいる。
「聞いたか、迷宮の話」
近くのテーブルのやり取りが、自然と耳に入ってきた。
「見たぜ。丘に天幕まで張っていやがった」
「迷宮をひとつ丸ごと買うとはな。金はどこから出たんだ? さすがにそこそこじゃ済まん額だぞ」
「知らねえよ。借金でもしたんだろ。しかし、ばかな奴だ。ろくに使い道もない枯れた迷宮を買い占めちまうなんてな」
「違いない」
いくつかの笑い声が重なり、すぐに話はべつの話題に流れていった。それだけの話だった。だれも本気にしていないのだ。あの男のことも、迷宮のことも。
ギルドからの帰路、エルドリックは歩きながら計算していた。五人の財布を合わせても、銀貨が二十七枚と銅貨が少し。宿代がひと晩で銀貨二枚になる。どれだけ食費を切り詰めても、十日も経てば底をつくことだろう。だが、仮に北の迷宮へ向かったとしても、馬車で六日の運賃はひとり銀貨三枚、合計十五枚。向こうに着いたときには何も残っていない。行き倒れになりに行くようなものだ。
そう、このあたりで、名もない五人の手がとどく迷宮は、あの丘にしかなかったのだ。だからこそ、ここにやってきたのに、そのたったひとつの場所さえ奪われてしまった。腹が立つよりまえに、とまどいが来る。いったい、あんな迷宮を買って何をするつもりなんだ?
夕刻。
酒場は昼間のギルドと同じ面々で埋まっていた。
「迷宮を買っただと? なんだそりゃあ。あしたからあの丘で入場料でも取るつもりなのか? 冒険者ひとりにつき銀貨一枚。死亡割引きあり」
「おもしろいじゃん」
ジョヒアの言葉を、ゼスフィが受ける。
「あの片足の男、これで迷宮の主になったんだよ。何をする気なのか見てみたいと思わない?」
「めんどくさい」
エネオラがテーブルに突っ伏す。
クレオルンは窓ぎわの席で、だれとも目を合わすことなくミルクを啜っていた。
エルドリックはひそかに仲間たちの酒代を数えていた。四杯目。銅貨五枚。きょうの宿代を引くと、残りのカネは九日分。
かすかなきしみの音を立てて、とびらが開く。義足と杖が等間隔に床を打つ独特の音で、だれが入ってきたのか見ずともわかった。その男は後ろに若い美女を従えて、迷うことなく五人のテーブルに近づいてきた。あの丘で帳面をつけていた女だ。エルドリックは思わず顔を伏せた。年上の女性は苦手だったし、若くて綺麗となればなおさらだ。
「だれだ?」
ジョヒアが訊ねると、その女は素直に答えた。
「ロザリンド。あの土地の元の地主の娘よ。いまは売買契約の立会人で、この人の帳簿係でもある」
「で、あんたは?」
「アラリオン」
男は空の椅子をひき、座った。
「おまえたちに話がある。喜べ。仕事のことだ」
「あんたの仕事なんて――」
「報酬は一日に銀貨十枚」
男はジョヒアの抗議を無視してのけた。
「五人それぞれに、だ。足りんか?」
ジョヒアが生つばを呑み込んだ。
エルドリックは反射的に計算していた。五人で五十枚。三日で百五十枚。いまの財布の六倍になる。うまい話だ。ただし、世の中、そんな話には必ず裏がある。だから、隻脚の男が条件がある、といい出したときもかれは驚かなかった。アラリオンは指を折りながら、淡々と並べていった。
「ひとつ。迷宮にもぐる前日は酒を飲まないこと。ふたつ。出発のまえには装備の点検を受けること。三つ。地図にある場所にたどり着くまでは決められた道だけを歩くこと。四つ。時刻を決める。その時が来たら何があっても戻ること。五つ。負傷したら隠さず報告すること。そして、六つ。だれも行ったことがない場所へかってに進まないこと。他にもあるが、大きいのはこれだけだ」
「これだけって、あんた」
ジョヒアがあきれ返った様子で問い返した。
「わかっているのか? おれたちは冒険者なんだぞ。雇われ者じゃない」
「知っているさ。だから提案しているんだ。地図と記録もあるぞ。過去五十年分だ。それに、後ろにひとを付ける。荷運びのもの。傷を診るもの。地形を測るもの。おまえたちはただ、出てきた魔物と戦うだけでいいんだ」
ジョヒアは鼻で笑った。
「ばかな。それじゃあカネがかかりすぎる。荷運びだの医者だの、そんな連中を雇ったうえでおれたちにまで銀貨を払って、どこで儲けるつもりなんだ?」
「おれのやり方なら回収できる計算だ」
「計算、ね」
ジョヒアは笑い飛ばした。
「そう何もかも計算通りに行くはずがないだろ。迷宮だぞ? ほんものの魔物が出るんだ。あんた、わかっているのか?」
「わかっている。そのつもりだ」
「さようで」
エルドリックはそのいい争いを半分も聞いていなかった。アラリオンが示した六つの条件が頭のなかで回っていた。出発前に装備を点検する。時刻を決めて戻る。怪我を隠さない。どれもみな、いままでかれ自身が仲間たちにいってきたことばかりだった。
「酒を飲むことまで他人にさしずされて、冒険者がやれるもんか」
近くの席から声が飛んできた。エルドリックがふり向くと、ひとりの、大柄な女が杯を手にたたずんでいた。その背には一本の長槍。その顔に見覚えがあった。この町でいちばん腕が立つといわれる一党のリーダー、パナクールだ。彼女は給仕の娘に銀貨を放り投げ、こちらのテーブルに寄りかかってきた。
「そこの五人に一杯ずつ。あしたから飲めなくなるかもしれないからな」
その言葉は皮肉をおびてはいたが、あざけるような調子ではなかった。むしろ、おもしろがっているようだ。
「なあ、そこの片脚の。あんたがいっていることはわかるよ。安全にもぐって、安全に帰る。けっこうなことだ。だがな、冒険者は自分の命の使い道を自分で決めるからこそ冒険者なんだ。飲むか飲まないか、進むか戻るか、そこまで他人に決められちまったら、それはもう、冒険者じゃない」
パナクールはその手に持っていた葡萄酒をあおった。
「ただの旅行者だ」
彼女の後ろで、その仲間たちが笑った。
アラリオンは反論しようとはしなかった。ただ少しだけ寂しげな顔でうつむく。
「おれも、昔はそう思っていた」
義足を引いて立ち上がる。
「おれはあの丘にいる。気が向いたら来い。あしたはだめだ。もう酒を飲んだからな。あさってにしろ」
ジョヒアがうめいた。
「考えさせてくれ」
ロザリンドが先に扉へ向かい、アラリオンが続いた。義足の音が遠ざかってゆく。パナクールは肩をすくめて、自分のテーブルへと戻っていった。
ジョヒアはしばらくのあいだ扉をにらんでいたが、やがて、とどいたばかりの一杯をひと息で空けた。




