1.
「おい、エル」
と、背後から声。
「少し休んでいかないか。どうも疲れちまってさ」
淡々と歩くエルドリックの肩に、ジョヒアが手を置いたのだ。
「あの、もしもお身体の調子がおかしいようでしたら、女神の恩寵で癒やしてさしあげましょうか」
その後ろで、女神に仕える神官クレオルンが心配そうに口を出す。
「クレオ、甘やかすな、ジョヒアはただきのう女を口説くのに忙しくて夜ふかししていただけだぞ」
魔法使いのエネオラが帽子の位置を直しながら応じると、そうだよ、と斥候のゼスフィも背後をふり返ってうなずいた。
「ジョヒアったらあいてにもされていないのに口説きつづけるんだから、見ている方が哀れになるよ」
「うるせえ。女くらい好きに口説かせろよ。あすをも知れない冒険者稼業なんだからさ」
いつものやり取り。
ジョヒアの軽口を少女たちが冷やかすのは、このパーティの名物のようなものだ。
やがて、丘を登っていくと、かれの体躯の倍ほどもある巨大な穴が見えてきた。〈死の地下迷宮〉と呼ばれる広大なダンジョンの入口だ。
だが、いまでは攻略の記録も途絶えて久しく、ダンジョンはすっかり寂れていた。ただ、だからこそ、名もない若手には都合が良い、そのはずだった。
しかし――
「おい、エル。あれ、いったい何だ?」
一行の後方を歩いていたジョヒアが足を止めた。めざすダンジョンがある丘の裏手、崩れかけた石門のまえに、いくつか荷車が並んでいる。
三台、いや四台。ほろをかけた一台からは木箱が下ろされていて、べつの一台には縄の束と杭が山と積まれていた。その脇で幾人もの男たちが天幕を張っている。少し離れたところでは、三脚に載せた見慣れない器具を覗き込む男がいて、その横でひとりの女が何か帳面に書きつけていた。
そう、こともあろうに迷宮の入口に「工事現場」ができているのだ。
エルドリックは何気なしに数えた。荷車が四台。人数は十一人か十二人。天幕が三つ。
「祭でもやるの?」
ゼスフィが面白がる様子で口にした。
「何だか面倒なことが起こりそう」
と、エネオラが大儀そうに呟く。
クレオルンは何も口にしなかったが、少し不審そうな表情を浮かべている。
エルドリックも不安だった。せっかくここまでやって来て、命がけの冒険に挑もうとしているのに、何か想定外のことが起きている。それも、まったく予想もしなかった方向性の事件が。
かれが小走りになって門へ近づいていくと、天幕のなかからひとりの男が顔を出した。右手で杖をついている。よく見ると、左脚のひざから下が木製の義足らしかった。歳は四十に届くかどうかというところだろう。冒険者らしい格好をしてはいない。そうかといって商人とも思えない。その男はエルドリックたち五人のまえで止まると、じろりと彼らをねめつけた。
「何だ、おまえらは?」
「いや、あんたこそだれだよ」
ジョヒアが思わずといった様子でいい返す。男は黙り込んだ。鷹のように鋭く、ひどく威圧感のある目つきで一行を観察する。ジョヒアがうっとうめいて一歩下がったので、エルドリックはかわりに前へ進み出た。
「おれたちは冒険者です。いまからそこの迷宮に挑むつもりでいますが、あなたは――?」
「挑む?」
男は、皮肉っぽく笑った。自分のふところに手を突っ込み、一枚の紙を取り出す。
「この迷宮は、おれのものだ。楽しいピクニックへ行くつもりなら、他の場所にしてもらおう」
「え?」
男はその紙を広げてみせた。この土地の領主のものらしき印章に、署名、それに数字と文章が並んでいた。
「権利書だ。この丘のあたり一帯は先月、おれが買った。おまえたちは不法侵入者ということになるな」
「は? 買った? 迷宮を?」
「土地を、だ。おまえたちのいう迷宮は、まあ、おまけみたいなものだな」
そううそぶいて、男は背後にたたずむ作業員にあごをしゃくった。その作業員は一枚の木製の立て看板をかついでくると、門のわきの地面に立て、槌でそこに打ち込んだ。エルドリックはただ唖然とそこに記された文字を読んだ。
〈この迷宮一帯は私有地なり〉。
「ふ、ふざけるなっ」
茫然自失の一拍のあと、ジョヒアが叫んだ。
「迷宮がだれのものだって? そんな話、ギルドが――」
「ギルドに訊け。領主にはすでに話が通してある」
男はふん、と鼻を鳴らして答えもせず、天幕のほうへと戻っていった。義足が土を噛む音が、規則正しく遠ざかってゆく。
「こ、この野郎――!」
ジョヒアはその看板を蹴り倒そうとし、ゼスフィに腕をつかまれた。
「やめておきなよ。あいての数を見なよ」
「関係ねえ。おれたちは――」
そういいかけて、しかし、ジョヒアは口を閉じた。関係がないはずがなかった。作業員たちはだれひとりとして武器を持ってはいない。だが十二人いるし、杭を打つための槌がある。そして、さきほど隻脚の男が見せた紙には紛れもなく領主の印章が描かれていた。
「帰ろうよ」
ゼスフィがぽつりとつぶやいた。
「ここにいてもしょうがない」
「くそっ」
ジョヒアは看板に唾を吐いてから背を向けた。
来たばかりの丘を下っていきながら、エルドリックは一度だけ後ろを振り返った。三つの天幕のあいだで、片足の男が地面に膝をつき、三脚の器具を覗き込んでいた。何を測っているのかわからない。いったい何者なのか、なぜこの土地を買ったのか。それもわからなかった。
男が顔を上げた。丘の上と下で、一瞬だけ目が合った。何か底知れないほど重いものを秘めた、それは、猛禽の双眸に他ならなかった。




