12.
あたらしい水路を掘る位置が決まるまでに、半刻ほどかかった。そして、そこから先は時間との勝負になった。
B区画側の湧出は、さらに激しくなっていた。濁った液体が岩の裂け目から噴き出し、床を這ってひろがっていく。その周辺では魔物たちが次々と形を得てゆく。生まれたばかりのものは動きが鈍く、あつかいやすくはあったが、それでもその数は少なくなかった。
「測量、ここでいいか!」
「あと二尺右!」
「二尺!」
「工具、前へ!」
「油、こっち!」
大空間のあちこちで作業員たちの声が飛び交う。だれもいちいちあいての名前を呼んだりしない。ただ指示だけが飛びかっていた。
測量士が地面へ線を引く。石工がそこへ鑿を打ち込む。運搬人が工具と水を運び、治療師が後方へ救護所を作る。そして、そのすべての手前に前衛である冒険者たちが置かれた。
「エルドリック」
アラリオンが呼んだ。
「はい」
「前へ行け」
一瞬、聞き間違えたかと思った。
「おれが?」
ほんの数日前には、後ろにいろといわれたのだ。数えろ、おまえが前へ出るより、そのほうが人が死なないと。
「どれくらいですか」
エルドリックは訊ねた。自分でも、なぜ最初にそれを訊いたのかわからない。はいでも、行きますでもなく、どうしてでもなく、かれは時間を訊いていた。アラリオンは手のなかの懐中時計を眺めた。
「十二分」
「十二分――」
「水路が貫通するまでそれだけかかる。それまで、ここを通すな」
エルドリックは自分の帳面を開いた。石工の作業速度。岩盤の硬さ。交代までの時間。現在の魔物の発生数。三日ぶんの数字が、そこに全部掲載されている。
十二分――アラリオンが導き出した数字は妥当なものであるように思えた。
「それならできます」
剣を抜いた。なぜかいつもより柄が手に馴染んでいる気がした。三日間にわたって握ってすらいなかったはずなのに。
「おいおい、急に格好つけるなよ」
ジョヒアが笑う。
「来るよ!」
ゼスフィの声で全員が前を向く。最初の一匹が飛びかかってきた。エルドリックはその一匹を斬りつけた。赤黒い血が空中を飛び、さらに次を受ける。腕に痺れが走った。
そのかたわらをジョヒアが抜け、ゼスフィがあいての死角へ回る。エネオラが放った火があたりを焼き、熱風が頬を撫でていった。死地に立っていながら、エルドリックの感覚は高揚していた。戦いの感触。冒険の感触だ。
彼らの背後では、なお槌の音が続いている。カン、カン、カン、と等間隔で休むことがない。もしその音が止まってしまえば自分たちの負けなのだと、エルドリックにはわかっていた。だから、ほとんど無意識にその音を数えた。
「あと九分!」
背後から声が飛ぶ。
「長いな!」
しだいに腕が重くなってきた。息が上がり、汗が目に入って片方の視界がにじんだ。
「エル、下がれ!」
「まだいける!」
「いいから下がれ!」
ジョヒアが前へ出る。入れ替わりざま、肩と肩がぶつかった。
「十二分をひとりで持たせろとはいわれてねえだろ!」
エルドリックはほんの数歩だけ下がった。水袋に口をつけて、生ぬるい水をすする。呼吸を整え、三つ数えるあいだに、汗を袖で拭った。ふたたび前へ出る。
いままでなら、自分が持ちこたえるしかないと思っただろう。いまは違う。自分ひとりが英雄になる必要はない。予定された十二分という時間を、仲間たち全員で持たせればいい。
「あと五分」
一本の槍先が折れて空中を飛んでいった。乾いた音がして、警備の男がその場に倒れる。
「クレオ!」
「はい」
クレオルンがかれのもとへと駆け寄り、指さきを翳すと、白く淡い光がその傷を癒やしていった。彼女のやわらかなてのひらの下で血が止まり、男の呼吸が戻っていく。
その動作の途中で、神官の少女が一瞬だけ脇腹を押さえた。指で衣服の上を強く押している。まだあのときの傷が治りきっていないのだ。他人の傷は治せるのに、自分のそれは後回しにしていることになる。エルドリックの胸の奥が痛んだ。
だが、いまは立ち止まっている場合ではない。
「あと三分!」
「硬いぞ」
石工の怒鳴り声がひびく。
「もう少しだ!」
魔物たちがさらに押し寄せてくる。エネオラが放つ火が、ほんの一瞬だけタイミングが遅れた。
「触媒は?」
「まだある」
「このあいだ、五つ持ってこさせて正解だったな!」
「あとでジョヒア殴る」
「なんでだよ!」
「一分!」
槌の音がさらに速くなってゆく。その間隔が詰まり、ほとんど連続音と化した。さいごの魔物たちの群れが押し寄せてくる。エルドリックたち五人は横に並んだ。
「通すな!」
ジョヒアが叫ぶ。
剣と魔法が交差し、波頭のように押し寄せてくる魔物たちの群れを打ち倒しつづけた。そして、エルドリックがさいごの一匹を斬り伏せたその瞬間、背後で岩盤が割れた。
轟音がひびいて、足の裏のあたりで床が跳ね上がった。濁った流れが、一気に人工の水路へ吸い込まれていく。
「ひらいたぞ!」
石工の声だった。B区画の裂け目から噴き出していた液体が、目に見えて細くなってゆき――止まった。
その場に残った敵を片づけると、大空間は急に静かになった。それでも、うるさかった。ただ自分の心臓の音だけがからだの内側から響いてくる。
「――ほんとうに十二分だったな」
ジョヒアが息を切らしながらつぶやいた。エルドリックも剣を地面へ突き立て、荒い息を吐いた。両腕がまだ細かく震えていた。
「うん、気持ち悪いくらいぴったりだ」
エルドリックは笑った。
自分が勝ったわけではないことはわかっていた。石工だけでもない。測量士でも、運搬人でも、アラリオンでもない。もし、だれかひとりでも欠けていたら、いまのこの静けさはなかった。そのことを、初めて実感として理解できた気がしたのだった。




