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武将 古田織部 第58話 本能寺の変

朝の光が、代官所の土間に斜めに差し込んでいた。

農民の訴えを聞き、帳面に目を落とし、

いつもと変わらぬ一日が始まるはずだった。

その静けさを破ったのは、土間に響く蹄の音だった。

早馬が、泥を跳ね上げて駆け込んでくる。

馬の汗の匂いが、空気を一気に変えた。


「本能寺……炎上……信長様が……!」


使者の声は震えていた。

重然は、言葉の意味を理解できなかった。

理解できないまま、身体の芯だけが冷えていく。

昨日までの世界が、音を立てて崩れていくようだった。

代官所の外では、すでに噂が渦を巻いていた。

「明智が裏切ったらしい」

「いや、まだ確かではない」

「秀吉様が毛利と和睦して戻るとか」

誰も真実を知らない。

声がざわめきとなり、空気が乱れ、世界が揺れている。

重然の胸に、ふと、あの妙顕寺城の茶会がよみがえった。

利休の静寂。

あの異常なほどの静けさ。

「あれは作為だったのか」

「この混乱こそ、自然なのか」

問いが、胸の奥で揺れ始める。

そのとき、清秀の使者が駆け込んできた。


「申し上げます。古田殿、出陣されたし。山崎にて合戦となる。

秀吉様が京へ向かわれる。摂津衆はこれに従うとのことでございます。」


重然は瞑目した。

代官としての日常が、静かに終わる。

世界が変わったのだ。

甲冑の紐を締める。

金具の冷たさが、現実を突きつける。

槍を手に取ると、柄の木目が掌に馴染んだ。

利休の茶室の静けさとは、まったく違う感触。

作為ではない。

整えられてもいない。

ただ、戦へ向かうための準備の音。

重然は深く息を吸った。

胸の奥で、問いが静かに膨らんでいく。

美とは何だ。

自然とは何だ。

作為とは何だ。

まだ戦場は遠い。

“生死の自然”が待つ場所へ向かう覚悟だけが、

重然の中で静かに形を成し始めていた。


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