武将 古田織部 第53話 高槻城下 中川清秀
有岡城が閉ざされたという知らせが、
高槻にも届いたのは夕刻だった。
城下の道を急ぐ足音が増え、
兵の出入りが落ち着かなくなる。
その混乱の中で、
清秀のもとに一人の密使が通された。
男は鎧を着けていなかった。
旅装のまま、泥のついた足で座敷に上がる。
清秀の前に膝をつき、
声を潜めて言った。
「殿──荒木村重様よりの密書にございます。」
清秀は眉を寄せた。
密使は懐から細い巻紙を取り出し、
両手で差し出す。
紙は湿っており、
急ぎの道中で守りきれなかった跡があった。
清秀は巻紙を開いた。
文は短く、
しかし迷いのない筆で書かれていた。
──摂津の国衆は、いまこそ立つべし。
──信長は摂津を軽んじている。
──中川殿、共に動いていただきたい。
読み終えたとき、
清秀の胸に重いものが沈んだ。
村重とは長い付き合いだ。
若い頃から互いに兵を貸し借りし、
戦場で背中を預けたこともある。
その村重が、
自分を頼ってきた。
だが──
信長の命は絶対だ。
摂津の国衆の中でも、
清秀はとくに信長からの信頼が厚い。
その立場を裏切れば、
家も、家臣も、
すべてを巻き込むことになる。
密使は顔を上げないまま、
静かに言った。
「村重様は……中川殿のお返事を、
今夜のうちにと。」
清秀は返事をしなかった。
座敷の外で、
風が障子を揺らす音がした。
その音が、
決断を急かしているように聞こえる。
村重に従えば、
古い絆を守れる。
だが、信長を敵に回すことになる。
どちらを選んでも、
血が流れる。
清秀は巻紙を畳み、
膝の上に置いた。
指先がわずかに震えていた。
「……しばし、考えさせてくれ。」
その声は、
自分でも驚くほど低かった。
密使は深く頭を下げ、
座敷を下がった。
清秀は一人残された。
障子越しの夕陽が、
部屋の中に細い影を落としている。
その影の形が、
刻一刻と伸びていく。
清秀はその伸びる影を見つめながら、
自分がどちらへ歩くべきかを
決められずにいた。




