武将 古田織部 第33話 出立の朝
1568年の九月。
田の端にはまだ刈り残しがあり、
朝露が穂の先に白く残っていた。
本来なら、家の者が畦を歩き、
収穫の段取りを話す時期だった。
だが今年は違った。
信長が将軍義昭を奉じて上洛するという知らせが、
美濃の国衆にも急ぎ届いていた。
古田家も軍役としてこれに加わることになり、
家の前にはまだ薄暗い中、馬と荷が並んでいる。
土の上に置かれた鞍が冷たく光り、
革の匂いが弱く漂った。
家の者が紐を確かめ、
荷の重さを手で測っている。
その動きは静かで、
声はほとんどなかった。
父が鎧の紐を締め、
肩の位置を確かめている。
家の裏では、
まだ稲を束ねる音が小さく続いていた。
その音が風に混じり、
重然の耳に薄く届いた。
季節の仕事が残ったまま、
家を離れることへの違和感が胸に残った。
重然は敷居の前に立ち、
家の中の暗さを一度だけ振り返った。
囲炉裏の灰の匂いが薄く残り、
昨夜の静けさがまだそこにあった。
敷居をまたぐ瞬間、胸の奥が少しだけ重くなった。
家の空気が背中に残り、
外の冷たい風が顔に触れた。
父が短く言った。
「行くぞ。」
声は低く、間はなかった。
馬の鼻息が白く上がり、
鞍の金具が短く鳴った。
その音が家の前の道に落ち、
朝の静けさをゆっくり切っていく。
重然は馬の側に立ち、手綱を握った。
革の冷たさが手に伝わり、
その感触が体の奥まで静かに広がった。
家の者が戸口に並び、
言葉を発さずに見送っている。
光がその顔に細く落ち、
影が長く伸びていた。
父が馬に乗り、重然も続いた。
馬の足が土を踏み、
その音が家から離れていく距離を刻んでいく。
重然は振り返らなかった。
風が弱く吹き、草の先が細く揺れる。
列はゆっくりと動き出し、
古田家の屋根が背後に沈んでいく。
田の端の刈り残しが、朝の光の中で白く光っていた。




