1
(救いたかった、救いたかった、けれど救えなかった、救いきれなかった、自分の弱さのせいで、怯んだせいで。だから、無力なあたしがくやしかった、つらかった、ああ、ほんとに悲しかったんだ)
「う、あああぁ」
溢れた涙はすぐに炎に干上がっていく、けれども、それに負けまいとするように瑞穂は声を上げて泣いた。
夢の中の晃久のように。
泣けないまま、自分の心を見ないまま、出て行ってしまった長部のかわりに。
そのときだった。
がうん、とふいに壁が崩れた。
いや、壁ではない、何かが炎の幕を突破して瑞穂に走りよってきたのだ。
「おいっ! なんだ! こりゃ、なんてひでえことされて! 大丈夫か、しっかりしろよ、今助けてやるからな!」
(何? 誰?)
飛び込んできたオレンジ色と銀色の塊に抱えられ、瑞穂は声を止めた。
「!」
頭を走り抜けた痛みに体を強ばらせる。その瑞穂の口元に当てられたものから、刺激臭のある鋭い氷の固まりのような空気が入り込んでくる。
「外に出たら体の方も楽にしてやるからな! 頑張れよ、もう少しだぞ!」
(頑張れ、もう少し)
それは瑞穂の耳に、泉が上げた励ましの声のように聞こえた。
(もう少し、で終わる?)
泉が揺れて波を広げる。その波が一番遠い岸へと届いて、再びこちらへ戻ってくる。
そんなイメージが瑞穂の胸に染み込んでくる。
「頑張れよ!」
瑞穂を抱き上げた男は厳しい声で叫んで、すぐに向きを変えた。
「おーい! いた、いたぞー! やっぱりいたぞー!」
男は瑞穂を抱えて再び炎を潜ると、外に転がるように走り出ながら叫んだ。
激しく揺さぶられるせいで、頭に激痛が走って瑞穂が思わず呻く。それを男はかばうように気遣うように、瑞穂の頭をそっと押さえながら、
「頭部裂傷、他にも傷があるぞ!」
吠えた。
「おい、大丈夫か、大丈夫かっ。もう大丈夫だからな、助かるからな!」
駆け寄ってきた数人が、瑞穂の体を受け取ってくれる。担架だろうか、何かふわりとした台のようなものに乗せられ、両手足のロープが少しずつ解かれ、ぴりぴりした鋭い痛みがそこら中から走って、瑞穂は思わず体を強ばらせた。続いてだらだらと血に塗れ炎にあぶられた頭に布のようなものが当てられ固定される。
そのあたりから意識が急速に緩みだして、瑞穂は痛みを遠くに感じた。
「おい、さっきのにーちゃん! ほら、一緒に乗ってくんだろ!」
ばたばたと周囲に人が走り回る中、呼びかけられてゆらりと動いた人影がある。
瑞穂がそちらにのろのろと目を向けると、何かにおびえるように、いらだつように自分の体を抱いていた人影が、腕を解きながら無言で担架に寄り添ってきた。
瑞穂を上からのぞきこむ、その瞳は殺意に近い影を走らせてきらめいている。ジャングルかどこかにいるような野獣が、息をひそめて獲物に近寄ってきたようだ。
(ああ、やっぱり、怒ってる)
瑞穂はぼんやりと思って、わずかに苦笑した。
その怒りがどこから来るのか、今の瑞穂にはもうわかっている。
(心配、してくれてるんだ)
心配で、その状況に何もできない自分の無力さが腹立たしくてくやしくて。けれど、どこにもその怒りをぶつけようがなくて、押さえ切れずにあふれてしまう、晃久の心。
けれど、きっと、自分の無力さに怒っているとさえわかれば、何をすればいいのかは明白なこと、鍛えて強くなればいい、次の機会にひるまないように、全力を尽くせるように。
けど、そこにたどり着くには、失いたくないものを失わなかったという安心がいるから。
「『グリーン・…」
自分は大丈夫だと安心させようとして呼びかけた瑞穂の口を、相手はそっと人差し指で押さえて首を振った。
「救急車に乗るから。あんた、ひどいケガなんだ」
晃久の声は低く掠れている。目はずっと泣き続けていたみたいに真っ赤になって腫れている。
一緒に救急車に乗り込んで、瑞穂が熱で焼かれたロープで負ったやけどや、頭の傷の応急処置をされる間、晃久は食い入るように瑞穂を見ていた。
その体の中にどす黒くて荒々しいものが煮えたぎっている。それを吹き出させまいと晃久は粘っている。自分の精神力のすべてをかけて耐えている。
(頑張れよ、もう少しだ)
炎の中で聞いた声を、瑞穂は無意識に手繰り寄せてきた。
そうとも、方向さえ定まれば、怒りはとてつもないエネルギーに転換されて、能力を数倍に跳ね上げる。怒ることが悪いわけじゃない。その底に押さえ付けられた無力さを無視することがまずいのだ。歯を食いしばり、自分の無力さをまっすぐに見つめることができたなら、人は怒りのエネルギーをきっともっとうまく使える、十分な成長のエネルギーとして。
(ああ、きっと、そういうことなんだ)
瑞穂は目を閉じて、深い満足感が広がってくるのを味わった。
晃久の抱えた本当のテーマは、きっとそれを理解することだったのだ。
(まだまだ実際に使うためには、訓練がいるし、時間も必要だろうけど)
目を開け、もう一度晃久を見つめる。
晃久の中のどす黒い力は、まだ確かに荒れている。最後の部分がどうにも御し切れなさそうだ、そう瑞穂が思ったとき、晃久はそっと立ち上がった。厳しい切羽詰まった表情で、焼けただれた瑞穂の唇を親指で触れるか触れないかの軽さで、けれども断固とした意志をこめてぬぐう。
「今度会ったら、ただじゃおかない」
殺気立った声でつぶやく口元で、きり、と歯が鳴った。




