07_「同じ名前の国」
パトリア国、だって……!?
ど、どういうことだ……!? 俺が適当に付けた名字が、なんで国名になってるんだ……!?
頭の中が混乱したまま、俺はラケルトーススの顔を見上げた。
彼はしばらく俺の表情を確かめるように見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。肩を掴む手の力も、ほんのわずかに緩んだように感じる。
「……ふぅむ。その困惑した表情、ウソをついているようには見えんな……。ましてや、賞金首やスパイとも思えん……。世界史すら知らぬ蛮族の出か……? なんにせよ、詰め所で詳しい話を聞かせてもらおうかな」
ウソも何も、本当に困惑している。だが、詰め所に連れて行かれるのはもっと困る。
だが詳しい話をしたところで、この様子では到底信じてもらえるとは思えない。最悪……いや、確実に牢屋行きだろう。
それじゃ、娘たちを探すどころではなくなってしまう。
「ちょ、ちょっと待て! ここで詳しく話すから、一旦その手を離してくれ!」
俺は身をよじって、肩を掴む手を外そうとする。
けれど、ラケルトーススの両手はびくともしなかった。まるで頑丈な拘束具に押さえつけられているようだ。
「その程度の力では逃げられんな。我輩は国一番の戦士であると同時に、国一番の力自慢でもあるのでな」
ラケルトーススは、口ひげを揺らしてニヤリと笑った。
冗談でも誇張でもないことは、両肩を押さえられている俺が一番よく分かっていた。
ああ、もう。目覚めてからワケが分からないことだらけだ。
俺は死んだはずなのに、なんで生きているんだ?
俺が適当に付けた名字が、なんで国名になっているんだ?
俺の娘たちは、今どこにいるんだ……?
「ぐっ……うぐぐっ……!」
全身に力を込め、ラケルトーススの手を外そうとする。
だが、どれだけ両腕に力を入れても、必死に身体をひねっても、まるで動かない。大人と子どもほどの力の差があるように思えた。
「大人しくすることをオススメしますな。吾輩は無駄な暴力はキライですゆえ」
ラケルトーススは諭すように穏やかな笑みを浮かべていた。――だがそれとは裏腹に、俺を拘束する力が更に増していった。
「うぐっ……ぐええぇぇ……!」
まだ全力じゃなかったのかよ……! このバカ力が……!
このまま……捕まってたまるか……! 何が何でも抜け出してやる!
俺には……俺にはやらなきゃならないことがあるんだ!
「俺が生きていることを、娘たちに伝えるまで……! もう一度顔を合わせるまで、捕まってたまるかってんだ!!」
俺は死ぬ間際に見た、娘たちの顔を思い出していた。
大粒の涙を流しながら、悲しんでいた娘たち。
出逢った頃のように、泣きじゃくっていた娘たち。
その曇り顔を晴らすためなら、どんなことだってやってやる……!
娘たちのことを強く想った、その時――身体の奥から今までにない力が湧き上がってきた。
いや……正確に言うと違う。湧き上がるというより、どこからともなく流れ込んでくるような感覚だ。
身体が熱い。なんなんだ、この感覚は……?
いったい、どこから? これは……本当に俺の力なのか?
分からない。分からないのに、力が身体を満たすたび胸の鼓動が速くなっていく。
知らない力に戸惑う気持ちはある。それなのに――胸の奥では、抑えきれない高揚感が膨らんでいた。
俺に力を貸してくれるのは悪魔か? それとも神様か?
まあ……どっちでもいい。娘たちの元へ行けるのなら、とことん利用させてもらうだけだ!
「うおおおぉぉぉっ!!」
俺は全身に力を込め、ラケルトーススの拘束を――力ずくで破った。
「な、なんと……!? 吾輩必勝の『獅子の顎』を破られるとは……!?」
両肩を押さえていた手が離れ、ラケルトーススはその反動で大きくよろめいた。地面に尻もちをついた彼を見て、俺自身も驚いていた。
外れた……。あの万力のような拘束を、本当に俺が外せたなんて……。
俺の全力って、こんなに凄かったのか? それとも――。
驚きは徐々に、国一番の力自慢を破った喜びに変わっていった。
身体には、まだ力の余韻が残っている。指先まで熱く、今なら何でもできそうな気がした。
よし! 逃げるなら今だ! 俺は、踵を返して後方を見る。
しかし、周囲の門兵たちは一斉に武器を手に取り、迷いなく俺を取り囲んだ。
怯むどころか、すぐに包囲するとは……。悔しいが、練度の高さがうかがえる。だが――。
「団長の『獅子の顎』から逃れるなんて……!」
「ウソだろ……!? あの技を破ったヤツは、今まで一人もいなかったはずだぞ……!!」
俺を取り囲む門兵たちのあいだに、ざわめきと動揺が広がっていた。
武器を構えたまま、誰もがラケルトーススと俺を交互に見ている。すぐに飛びかかってくる気配はない。だが、槍を握る手には力がこもり、剣先はわずかに揺れていた。
それでも、包囲に乱れはない。動揺しながらも、門兵たちは訓練どおり俺を取り囲んでいる。
その視線には警戒だけでなく、信じられないものを見た驚きがあった。中には尻もちをついたラケルトーススを見て、絶句している者も居る。
「アレを受けて病院送りになった犯罪者は何十人も居るんだぞ……!」
「ただの不審者かと思っていたのに……。アイツは……いったい何者なんだ……?」
彼らは、ラケルトーススの強さを疑っているわけではなかった。むしろ、その実力を誰よりも知っているからこそ、俺の異端さが際立って見えるのだろう。
「……貴殿の正体は分からぬが、相当の実力者と見受ける。ならばこそ、我らが国に――パトリア国に入れさせるわけにはいかんな……!」
ラケルトーススはゆっくりと立ち上がった。先ほどまでの笑みは消え、その目は俺をまっすぐ見据えている。
今まで素手だった彼が、ついに武器を手に取った。
左手には身の丈ほどもある巨大な盾。右手には、俺の身長の倍近くもありそうな長剣を構えている。盾には深い傷が幾つも刻まれ、幾度もの戦いをくぐり抜けてきたことがうかがえた。
厳めしい顔に浮かぶのは、怒りでも焦りでもなかった。鋭い眼差しで俺を見据えながら、盾と剣を構える姿には微塵の揺らぎもない。
あの巨体で、これほど重そうな装備をまとっている。それなのに、盾を構える腕にも、剣を握る手にも力みが見えなかった。まるで鎧も武器も、自分の身体の一部であるかのように扱っている。
盾で攻撃を防ぎ、剣で斬る。
騎士らしい基本的な構えだ。だが、並外れた巨躯と重厚な鎧、そして一歩も退く気配のない立ち姿が合わさると、まるで動く要塞のようだった。
ラケルトーススはただ武器を構えているだけなのに、そこに立つだけで周囲を圧倒していた。国一番の戦士――その肩書きが今なら嫌というほど分かる。
どうする? どうしたらこの場を切り抜けられる?
正体不明の力を振るって、強行突破すべきなのか?
それとも、抵抗は止めて大人しく捕まるべきなのか?
俺は――。
ラケルトーススが盾と剣を構え、今にも動き出そうとしていた、その間に――誰かが声を上げるより早く、銀髪の少女がすっと割って入った。
俺とラケルトーススの間に立つ少女に、門兵たちのざわめきが途切れる。武器を構えたまま、誰もが彼女の姿に目を奪われていた。
「……お止めなさい……」
少女の声は、騒然としていた場によく通った。大声ではない。それなのに、澄んだ響きが広がると、門兵たちの動きまで止まったように感じた。
「『ヨリマシの巫女』様……!? な、なぜここにいらっしゃるのです!?」
つい先ほどまで揺るぎない構えを見せていたラケルトーススの手から、盾と剣が滑り落ちた。ぐわんぐわんと、重い金属音が周囲に響き渡る。
さっきまで俺を捕らえようとしていた騎士団長が、武器を落とすほど驚く相手――いったい、この少女は何者なんだ……?
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