05_「見知らぬ大国」
途方に暮れた俺は、とにかく歩くことにした。
目印にするのは、遠くに見える巨大な城だ。深い緑の森から、いくつもの尖塔や城壁がそびえている。
高く伸びた塔は空に届きそうで、森に隠れた城の全貌は、ここからでは見渡せなかった。
全国家の中心と称された『ケントルム城』には何度も行ったことがある。だが、あれはその何倍も大きく見えた。
あれは、どこの国の城だろうか……?
城を眺めながら歩いていると、遠くから馬車の車輪が軋む音が聞こえてきた。
やがて一台の馬車が、俺のそばで速度を落とす。
御者台に座った商人風の男が、俺の姿を値踏みするように眺めた。
すると一転して、にこやかな笑顔を浮かべて声をかけてくる。
「なぜこのような場所を歩いておられるのかは存じませんが、よろしければお乗りください。ええ、もちろん運賃など結構ですとも」
運賃はいらないと言いながらも、男の笑顔から隠しきれない期待がにじみ出ていた。
ずいぶんと昔だが、商人とは補給線を巡ってバチバチにやり合った事がある。
だからこそ、欲の塊な商人が無料なんてありえない。
いったい何が狙いだ……?
「ただまあ……もし城下にお着きになりましたら、私の店にもお立ち寄りいただければ……。いえいえ! もちろんお時間がある時でよろしいので! ええ!」
なるほど。無料で乗せる代わりに、店で買い物をしてもらうつもりか。
親切というより、恩を売って商売につなげたいだけらしい。
見ず知らずの俺を乗せようだなんて怪しいと思ったが、人さらいではなさそうだ。……それでも、あの笑顔は気になるな。
まあ、返り討ちにできるくらいの腕はある。歩き続けるよりは都合がいいし、乗せてもらうとしよう。
乗せてもらうことをお願いすると、男は商談がまとまったときのような笑顔を浮かべた。
文無しに寄ってもらいたいなら、いくらでも寄ってあげるとしよう。
※
馬車の中には四人分の座席があり、最後尾には商品らしい荷物が積まれていた。
分厚い布で覆われているので、外から中は見えない。防寒用もあるだろうが、盗賊たちから荷物が見えないようにする意味も強いのだろう。
俺は入口に近い席に腰を降ろしていた。席はただの板張りではなく、クッション付きの座席だ。ちょっと豪華な馬車のおかげで、お尻が痛くないのは嬉しい。
出発してから三十分ほど経っただろうか。
御者台の商人は、媚びた笑みを浮かべながら探るように尋ねてきた。
「これでも口は硬い方でして。……して、王族の方がなぜあのような場所をお散歩なされていたので?」
孤児の俺が王族だって? 思わず笑ってしまった。
だが、そう思われたのには理由があったようだ。それは、俺の着ている服だった。
デザイン自体は普通の寝間着に近いのだが、生地がまるで違う。
触り心地は雲に触れているかのようにふんわりしていて、それでいて命を宿しているかのような温もりがある。
服には無頓着な俺でも、とんでもない高級品だと分かった。
「公爵か王族の方でなければ、手に入れるのはとても難しい品でございますよ。このわたくしめも、目にしたのはたった一度きりでございます。――いえ、これで二度目でしたね」
そう言って商人は、羨むような目で服を眺めていた。
そんな高級品を、あの子たちは死装束にしてくれたのか?
俺のために、ここまでしてくれたなんて……。
俺が、こんなに大切に思われていたなんて……。
そう思うと、目頭が熱くなった。
それから俺は、余計なボロを出さないように寡黙な人を演じ続けた。王族じゃないとバレたら、馬車から放り出されかねないからだ。
問いかけに短く答えるだけでいると、商人は何度か話を続けようとしたものの、やがて口を閉ざしていった。
さすが商人と言うべきか。俺の機嫌を損ねないよう、引き際は心得ているらしい。
自称、口の硬い商人は、馬車の揺れる音にまぎれて静かになっていった。
※
荷馬車がゆっくりと速度を落し、やがて止まった。
どうやら、うたた寝をしている内に着いたようだ。
馬車を降りると、城の入口――城壁に設けられた巨大な門が俺を出迎えた。
遠くには、空を遮るほど高い城壁がそびえていた。厚い石を幾重にも積み上げた壁は、左右へどこまでも続いている。
壁の上には見張り台や塔が等間隔に並び、そこから伸びる旗が風にはためいていた。
城壁の周囲には、幅の広い水堀が巡らされていた。水面には石壁や塔の影が揺れている。
どうやら入城するために使える道は、城側からのかけ橋だけのようだ。
「城内には、せがれに任せた支店がございますので、ぜひお立ち寄り下さいませ。――ああ、わたくしは別の街に用事がありまして、ここでお別れとなります。――いえいえ、どうかお気になさらずに! ほんの少しだけ遠回りになっただけですので! ええ! 貴方様のお役に立てたことが何よりの幸せでございます! それでは!」
商人はそう口早に言った後、ニコニコした顔で全力で手を振って別れを告げる。
どうやら俺のことを、最後までお忍びで外出した王族だと信じ込んでいたようだ。
隠しきれない下心があったとはいえ、助けてもらったのは事実だし、親切心があったのも確かだ。
そうだな……金が出来たら店に寄ってみるか。
……あれ? そういえば、あの商人の名前ってなんだっけ? 店の名前も聞かされてないな。……いや、聞かされたような気もするが、本当にテキトーな相槌を打っていたせいで覚えていない。
まあ……縁があればまた会えるだろう。……多分。
※
遠くから見ても巨大だったが、近くで見ると首が痛くなるほどの城壁だ。積み上げられた石には、長い年月を感じさせる跡が刻まれている。
高い塔の上では門兵が周囲に目を配り、門の両脇にも兵士が立っていた。
難攻不落とは、まさにこのことだろう。
門の前には、荷馬車と人、それぞれの列ができていた。
馬車は荷物を改められているらしく、門兵たちが荷台を確認している。
人の列は、入城許可を待つ住人たちが大人しく並んでいた。
なるほど、人と違って馬車の検分は時間がかかる。だから列を分けているのか。実に合理的だ。
さて……どうしたものか。
行くあてもないから来てみたはいいが、果たして入れるのだろうか?
なにせ、俺は死んだことになっている。
孤児が死んでも誰も気にしないが、孤児院の院長が死んだとなれば、噂はあっという間に広がるだろう。
死人が現れたとなれば、まず偽物を疑われる。身分詐称で捕まる可能性も高い。
となれば……よし! 行くのは止めだ!
門の前まで来てなんだが、入城の審査は厳しそうだ。それに、今はまだ無理をする必要もないだろう。
城の近くには、必ず小さな村落があるはずだ。まずはそこで――。
「もし……そこの貴殿」
唐突に肩を叩かれ、俺は飛び上がるほど驚いた。
振り返ると、俺より頭ひとつ分は高い男が立っていた。
厚い胸板に、岩のように盛り上がった肩。袖からのぞく腕も太く、鍛え上げられた身体つきは並の兵士とは明らかに違っていた。
頭はきれいに剃り上げられ、口元には立派な口ひげが目立つ。厳めしい顔立ちに鋭い眼差し――その迫力に俺は一瞬言葉を失った。
いや、それよりも何よりも……こんな大男がいつの間に近づいてきたんだ……!? まったく気配を感じなかったぞ……!?
「わざわざ馬車でここまで来たというのに、なぜ帰ろうとするのだ? もしや、並ぶのがお嫌いかな? なに、すぐに順番は来ますからな」
男は、厳めしい顔に似合わぬ爽やかな笑顔を浮かべた。声はよく通り、言葉遣いも丁寧だ。だが、笑っていても鋭い目つきには隙がない。
門兵は下っ端の仕事のはずだ。だが、この男から漂う圧倒的な強者のオーラは、明らかに下っ端のものではない。
少なく見積もっても、兵士団長クラスの人間だろう。
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