14_「孤児の女神テテネ」
「はぁ……はぁ……すみません、お父様。900年以上ぶりに会えた感動で、つい取り乱してしまいました……。お父様成分が、もうとっくの昔に枯渇していたもので……」
テテネはコホンと咳払いして場を取り直す。満足したのか、顔がツヤツヤしている。
「だ、大丈夫だ……。こ、これも父親としての役目さ。うん、そうだとも……」
俺……あんなにもニオイを嗅がれちゃった……。
34歳にして、こんなにも汚された気持ちになるなんて……。
テテネはようやく腕の力を緩めた。やっと離れるのかと思ったら、俺の服の裾を両手でつまんだまま、潤んだ目でじっと見上げている。
どうやら離れる気はないらしい。
「お父様ならそう仰ってくれると思ってました♪ では、もう少しだけ――」
「ま、待て待て。今は話をするのが先だ」
「ええー……そんなぁ……」
しゅんと眉を下げるテテネ。俺は苦笑しながら、乱れた髪をそっと整えてやった。
指先に触れる黒髪は、記憶の中と同じようにさらさらしている。テテネは目を細め、猫のように俺の手へ頬を寄せた。
……900年以上経った今、またこうして撫でてやれる日が来るなんてな……。
「それにしても、この歳でここまで振り回されるとは思いもしなかったよ……」
「ふふ、お父様は昔から私に甘いですから♪」
「ん? そうだったっけ?」
「そうですよ。私がお願いすると、最後にはいつも許してくれました」
胸を張って言うテテネ。その言葉がきっかけで、昔の記憶がいくつもよみがえる。
ほかの子たちの世話を焼くテテネを、よく頑張ったなと褒めてやったこと。少し大人びた顔でみんなを気遣う一方、俺の前では年相応に甘えてきたこと。そして、俺は困ったように笑いながら、結局は願いを聞いてやったこと。
そのどれもが、つい昨日のことのようだ。
「それで……いったい何が起ったんだ? クーラから一瞬してテテネに変身したが……」
「変身ではありませんよ、お父様。『降臨』です」
「『降臨』……?」
テテネはようやく俺の左腕から離れ、ピッと姿勢を正した。見た目は幼い頃のままなのに、佇まいは年齢とは不相応な、洗練された気品さがある。
「ヨリマシの巫女には、大きな役目が2つあるのです。一番の役目は、お父様のお世話。それには、私たちの話を伝えることも含まれています。そしてもう1つは、私が現世に顕現する為の目印ですね」
「現世に顕現……? それは、つまり……?」
「私、神様になったんです! えっへん!」
「…………はぁーーー!?」
あまりの衝撃に、呼吸が止まりそうになった。
神様? テテネが? 俺の娘が、神様になった……?
はは、テテネ。俺をからかっているんだろう? それは、夢見る子どもがよく言う冗談だ。――危うくそんな言葉を口にしそうになった。
ここが天国でなければ、これが夢でなければ……普通の人間が900年という月日を超えて俺の前に姿を現せるだろうか?
テテネが幼い頃から俺は、成長したらきっと凄い事をやり遂げるだろうと信じていた。
事実、俺の夢でもあった魔王討伐を成し遂げてくれた。
そして、建国という偉業まで達成してくれた。
もはや、歴史に名を残す英雄であることは疑いようがない。だがまさか……まさか神様にまでなるなんて……。
歴史博物館で見た説明板が、頭の中によみがえる。
『孤児の女神』――あれは後世の人々がつけた、立派な二つ名だと思っていた。よもや、文字通りだったとは誰が想像出来るだろうか。
誇らしい。もちろん誇らしいに決まっている。だがそれ以上に驚きが大きすぎて、気持ちの整理がうまくできなかった。
聞きたいことが次々に浮かんでくる。けれど、どれから尋ねればいいのか分からず、俺はただテテネの顔を見つめていた。
「お父様? 嬉しく……ないのですか?」
テテネは俺の顔を覗き込みながら、不安そうに眉を下げた。
娘が神になったという話は、心のどこかで信じられないでいる。
だけど……それがどうした? 俺を見上げる顔は、昔のテテネそのままだ。
なら――俺のすべきことは最初から決まっている。
「嬉しいよ、心の底から。テテネは凄いな。よく頑張った。さすがは俺の自慢の娘だ」
「じゃ、じゃあ……頭を撫でてくれますか?」
「ああ、撫でてやるとも。煙が出るくらい、いっぱい撫でてやるとも」
「えへへ……お父様にいっぱい褒められちゃった♪ ふふ、頑張って神様になった甲斐があったかも♪」
テテネは身をよじらせながら、手を揉み合わせた。心の底から嬉しそうな笑顔に、俺の驚きも少しずつ和らいでいく。
神様になった娘。まだその言葉を受け止めきれない。それでも、今こうして頭を撫でてやれることが、たまらなく嬉しかった。
「その……お父様の、自慢の娘になれましたか?」
テテネは遠慮がちに尋ねた。嬉しそうに笑っていた顔が、少しだけ曇る。
魔王を倒し、国を築き、神様にまでなった娘が、今もこんなふうに俺の返事を待っている。
その姿が、どうしようもなく愛おしかった。
「ああ、なったとも。今すぐ大声で自慢したいくらいだ」
「ほ、本当ですか……?」
「ああ、本当だとも。お前がどれだけ立派なことを成し遂げたか、出会う人みんなに聞かせて回りたいよ。俺の娘はこんなにすごいんだぞ、ってな」
テテネの目に、また涙が浮かぶ。それを見て、俺はいつものように頭を撫でる。テテネは目を細め、俺の手に頬をすり寄せた。
「お父様の手は、900年前と何も変わらないですね……」
「それを言うなら、テテネも900年前とほとんど変わってないな。正直、神様って感じがしないよ。昔も今も、俺の娘のままだ」
「じゃあ……これからもお父様に甘えていいですか? その……昔と同じように」
「もちろんだ。むしろ、900年以上我慢させた分まで甘えてくれ」
「えへへ……お父様、だーいすきです♡」
テテネは、ぱっと顔を輝かせて俺の左腕に抱きついた。頬を押しつけ、猫のようにすりすりと身を寄せてくる。さっきまでの不安が嘘のように、嬉しさが全身からあふれていた。
俺は笑いながら、彼女の頭を何度も撫でる。撫でるたびにテテネの肩が小さく揺れ、頬がますます緩んでいった。
「もっと撫でてください、お父様♪」
「はいはい。いくらでも撫でてやるよ」
「えへへ♪ とろけそうなぐらい幸せですぅ……♪」
そういえば昔から、テテネは俺の左腕に抱きつくのが好きだったな。他の娘たちにも、右腕だったり背中だったり、それぞれお気に入りの場所があった。あの頃と同じ場所に、同じように甘えてくる。そのことが嬉しくて、俺は腕を回し、テテネをそっと抱き寄せた。
「はふぅ……。やっぱりお父様の左腕が、この世で一番落ち着く場所ですね……」
「そうか。なら、好きなだけくっついていなさい」
「本当ですか? じゃあ、遠慮なく♪」
遠慮する気は最初からなさそうだ。テテネは腕に頬を寄せたまま、満足げに目を閉じる。
神様になっても、娘は娘。こうして甘やかしてやれるのが、父親としてたまらなく嬉しい。
「……あっ、そうそう。言い忘れていましたが、ほかの4人も神様になってますよ」
「………………はあああぁぁぁーーー!!?」
頭を撫でていた手が止まった。ついでに心臓も止まりそうになった。
「ま、待て待て待て! 今、さらっとすごいことを言わなかったか!? ほかの4人も神様になったのか!?」
「ええ、そうなんです」
「いやいやいや! そんな大事なことを、どうして今まで言わなかったんだ!?」
「お父様に会えたのが嬉しくて、つい……。それに、今は久しぶりのスキンシップの方が大事ですもの♪」
そう言うと、テテネは俺の左腕にいっそう強くしがみついた。伝説に残る偉業を伝えることも、父親に甘える方を優先したいらしい。
「ちょ、ちょっと待ってくれ……。一旦話を整理させてくれ……」
パニックにパニックが重なり、俺は過呼吸になっていた。正直、気絶しないだけでも凄いと思う。
死んだはずの俺がよみがえり、娘たちは魔王を討伐し、国を作り、そして神様にまでなっていた。
目覚めてからまだ数時間しか経っていないというのに、生涯かけても味わえないような奇跡を、これでもかというほど立て続けに浴びているのだから。
「その……神様になんて成れるもんなのか……? それも、5人全員が」
「案外成れるみたいですねぇ、これが。最初は英霊だったんですけど、莫大な信仰心が集まったことで全員が神様に昇格したみたいです」
「はぁー……そんな事があるなんて……。なんていうか、それは……本当に凄いな」
俺はもう絶句に近い状態で、凄いとしか言えなくなっていた。
いや、だってさぁ……俺の娘たち、本当に凄すぎないか……?
「ほかの4人とは、後で会う予定ですが……それまでは私がお父様を独占です♪」
「独占って……お前、神様なんだろ?」
「神様の前に、お父様の娘ですから♪」
胸を張るテテネに、俺はまた笑ってしまった。そこまで言い切られたら、もう仕方がない。
「分かった。今日は好きなだけ独占していいぞ」
「本当ですか!? じゃあ、日が暮れるまで、このままで……」
「ああ。何時間でも、何日でもいいぞ」
テテネは安心しきった様子で俺の左腕に頬を寄せ、幸せそうに目を細める。
考えることも、知らなければならないこともまだまだ山積みだ。
けれど……今は、今だけは全てを忘れておこう。
俺だって、娘との再会を全力で喜びたいのだから。
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