(1-34)大石家
純恋の自宅は、郊外の住宅地にある一軒家だった。
父親の隆文は会社勤めのサラリーマン、母親の伸江は近所のスーパーでパートとして働いている。子どもは一人娘の純恋だけだった。
その一人娘は短大卒業後は小さな劇団に所属してアルバイトをしながら稽古に通う日々。両親としては、もう少し安定した仕事に就いてほしいという気持ちがないわけではなかったが、二人は純恋のやりたいことを否定はしていなかった。
「好きなことがあるならやれるところまでやってみればいい」
それが、隆文と伸江の基本的な考え方だった。
娘が舞台の話をするときの生き生きとした表情を見ると、無理にやめさせる気にはなれなかったのだ。
いつか大きな舞台に立つ日が来るかもしれない。
そんな期待も二人の心のどこかにはあった。
その日の夕方、伸江はパートを終えて帰宅するといつものように夕食の支度を始めた。まな板の上で野菜を切り、鍋に火をかける。食卓には二人分の箸を並べ、純恋の帰りを待ちながら時計に目をやった。
「そろそろ帰ってくる頃なんだけどねえ……」
今日は劇団の稽古があると言っていた。
稽古が終われば、まっすぐ帰ってくるはずだった。少なくとも伸江の記憶ではそうだった。
スマートフォンを手に取り純恋とのメッセージ画面を開く。
|今日、何時ごろ帰るの?
|ご飯は食べる?
短いメッセージを送ってみたが、しばらく待っても既読はつかなかった。
「まだ稽古中なのかな」
伸江はそうつぶやき、スマートフォンをテーブルの上に置いた。
劇団の稽古は、予定どおりに終わらないことも珍しくないらしい。純恋から聞かされる話では、演出家のこだわりで同じ場面を何度も繰り返したり出演者同士で動きを確認しているうちに、いつの間にか時間が過ぎていたりするのだという。
それに、純恋ももう二十二歳だ。
毎日、何時に帰るのかと細かく確認するような年齢でもない。伸江はそれほど気にすることもなく夕食の準備を続けた。
やがて時計の針が八時を回った頃、玄関のドアが開いた。
「ただいま」
「おかえりなさい。今日は遅かったわね」
帰ってきたのは仕事を終えた隆文だった。
隆文はネクタイを緩めながら台所をのぞき込んだ。
「純恋は?」
「まだなのよ。稽古が長引いているのかしらね」
「そうか。稽古でしごかれてるのかな」
「そうね、次はミュージカルだって言ってたし」
伸江はそう答えながら、もう一度スマートフォンを確認した。
相変わらずメッセージには既読がついていない。
さすがに少し気になってきた。




