(1-29)やばい
やばい。
これはやばい。
いや、ちょっと待って。
ひょっとしたら、人生で一番やばい状況かもしれない。
純恋は暗いロッカーの中で身を縮めたまま目の前の扉を見つめていた。正確には、見つめているというより暗闇の中にぼんやりと浮かぶ金属の壁を呆然と眺めているだけだった。
さっきから何度も扉を押している。取っ手を探している。何か引っ掛かりがないか指先で確かめている。それでも扉はびくともしなかった。
うそであってほしい。
ちょっとした間違いであってほしい。
もう一度よく探せば、どこかに開けるための仕掛けが見つかるかもしれない。そんな期待を捨てきれずにいた。けれど、考えれば考えるほど状況は悪くなるばかりだった。
あの二人はもう帰ってしまった。
部屋の鍵も閉めていった。
そして、自分は内側から開けられないロッカーの中にいる。
「……やばい」
思わずつぶやいた。
やばい。
やばい、やばい、やばい。
頭の中でその言葉ばかりがぐるぐると回る。
考えれば考えるほど胸の奥がざわざわしてきた。
どうしよう。
どうすればいい?
誰かに見つかるのが怖くて隠れたのに、今度は誰かに見つけてもらわなければ出られない。
そもそもここは何の部屋なのだろう。
誰が管理しているのだろう。
次に誰かが来るのはいつなのだろう。
明日?
それとも、何日も先?
そんなはずはない。だってここはビルの中だ。四階には歯医者だって入っている。人がまったく来ない場所というわけではない。そう自分に言い聞かせる。言い聞かせているのに不安は少しも消えてくれなかった。
「いや、だめだめ。焦っちゃだめ……」
純恋はぎゅっと目を閉じた。
「こういうときこそ冷静に……うん、冷静に考えよう」
自分の声が妙に頼りなく聞こえた。
普段、舞台の上ではどんなに緊張していても台詞を言わなければならない。観客の前で失敗しそうになっても何事もなかったように演技を続ける。そういう経験なら何度もしてきた。
だからきっと大丈夫。
落ち着いて考えれば何か方法があるはずだ。
純恋はゆっくりと息を吸った。そしてゆっくり吐く。
もう一度。
吸って、吐いて。
何度か繰り返すうちに、ほんの少しだけ気持ちが落ち着いてきた。
「よし……」
小さくうなずき、純恋は改めて扉に向き直った。
まずは、もう一度、内側を隅々まで調べてみよう。さっきは慌てていたから見落としたものがあるかもしれない。
純恋は両手を伸ばし、ロッカーの上部からゆっくりと扉の裏側を触り始めた。




