(1-23)地下階
電車を乗り継ぎ、駅から少し歩いたところにあるビルへ向かう。
歯科医院はそのビルの四階に入っていた。受付を済ませ、案内された診療室でホワイトニングの処置を受ける。施術中は大きく口を開けていなければならず、少々疲れたが終わってみれば気分は悪くなかった。
「これで少しはきれいになったかな」
帰り際、純恋は受付の鏡で自分の口元を確認し満足そうに笑った。
歯科医院を出たのは、夕方のことだった。
エレベーターに乗り込み一階のボタンを押したつもりだった。
ところが。
扉が開いたとき、目の前に広がっていたのは見慣れたビルのエントランスではなかった。
「……あれ?」
壁の表示には地下を示す文字。
どうやら、ボタンを押し間違えたらしい。
「うわ、地下じゃん」
純恋は小さく笑った。
別に急いでいるわけでもない。もう一度エレベーターに乗ればいいだけだ。
そう思いながら、ふとあることが気になった。
(……そういえば地下って何があるんだっけ?)
このビルには何度か来ているが、歯科医院以外の場所に用事があったことはない。エレベーターの階数表示を見ても、地下があることすら意識したことがなかった。
純恋は少しだけ首を傾げた。
好奇心というほど大げさなものではなかった。ただ、せっかく降りてしまったのだから、ちょっと見てみよう。そんな軽い気持ちだった。
エレベーターを降り周囲を見回す。
地下の通路は拍子抜けするほど簡素だった。照明は点いているものの人の気配はない。壁には案内板らしいものも見当たらず店舗の看板もなかった。
その先に一枚のスチールドアがあった。無機質な灰色の扉。表面には何の表示もなく、部屋の用途はおろか中に何があるのかさえ分からない。
「なんだろ、ここ」
純恋は近づいてドアの前に立った。
「関係者以外立入禁止」といった表示もない。鍵が掛かっているならそれで終わりだ。そう思いながら何気なくドアノブに手を掛ける。
そして、回した。
カチャリ。
「……え?」
拍子抜けするほど簡単にノブが動いた。
純恋は思わず手を止めた。
鍵が掛かっていない。
一瞬、どうしようかと迷った。勝手に開けていいものだろうか。いや、でも、もしかしたら誰でも入れる共用スペースなのかもしれない。ほんの数秒考えた末、純恋はドアを少しだけ押してみた。
ギイ……。
低い音を立てて扉が開く。
「!」
純恋は思わず目を見開いた。
中には何もなかった。
いや、正確には何もないに等しかった。
広々とした空間。床も壁もきれいに整えられている。窓はなく、天井には照明が取り付けられていた。部屋の壁際に、オフィスなどで見かけるスチール製のロッカーが三台、ぽつんと並んでいるだけだった。
机も椅子もない。
棚もない。
荷物もない。
まるで、誰かが部屋を空にしたまま忘れてしまったかのようだった。
「え? わっ、空き部屋だ!」
純恋の声が、思いがけず大きく響いた。
部屋の広さは十平方メートルほどだろうか。決して広大というわけではないが、少なくとも、いつも借りている稽古場よりはずっと使いやすそうだった。




