(1-02)お砂糖は大事
村上探偵事務所は、もともと村上と岸田の二人だけでやっていた。仕事そのものはそれなりに回っていた。
問題は書類だった。
依頼を受ければ調査報告を書かなければならない。
電話をすれば記録を残す。
請求書を作り、領収書を整理し、依頼人とのやり取りを保存する。
調査が増えるほど、探偵二人ではどうにもならない仕事が増えていった。
そこで一週間ほど前、近藤美香を雇った。
基本的には事務員。ただ、村上としては仕事を覚えてきたら、そのうち簡単な調査くらいは外へ出てもらってもいいと思っている。
美香は以前、大手企業で総務の仕事をしていた。ただ、早くに結婚して数年で退職し、その後は長く専業主婦をしていた。
夫を一年ほど前に交通事故で亡くし、それからしばらくは何をする気にもなれなかった。そんなある日、近所を歩いていてこの事務所の窓に貼られた「事務員募集」の紙が目に入った。
なぜ応募したのか、自分でもよく分からなかった。
ただ、気づいたらドアを開けていた。
そして、採用された。
「美香さんが来てくれて、ホント事務所の雰囲気変わりましたよね」
岸田がコーヒーを受け取りながら言った。
「いや、マジで。美香さまさまですよ」
「そんな、大げさですよ」
美香が笑う。
「こちらこそ、中学生の子持ちのこんなおばさんを雇っていただいて感謝しています」
「いやいやいや」
岸田が慌てて手を振った。
「美香さん、全然おばさんじゃないですよ」
「そう?」
「マジで。俺、最初、年齢聞いてびっくりしましたもん。しかも中学生のお子さんが居るって聞いて二度びっくりです」
「……そういうこと言ってると、コーヒーに砂糖入れないよ?」
「すみませんでした」
即答だった。
村上が思わず吹き出す。
「んなもんどうでもいいだろ」
「いやいやいや、美香さんの入れてくれるお砂糖は大事ですから」
「何の話だよ」
事務所に笑い声が広がった。
わずか六畳ほどの小さな事務所だった。
壁際には書類棚。
窓際には古い観葉植物。
その横には、いつから置いてあるのか分からない小さなソファ。
決して洒落た事務所ではない。
それでも、以前より少しだけ明るくなった。
村上はコーヒーを一口飲み、背もたれに体を預けた。
こういう時間も悪くない。
探偵なんて仕事をしていると、どうしても人の嫌な部分を見ることが多い。
家族の嘘。
夫婦の隠し事。
金。
裏切り。
そして、時には犯罪。
だからこそ、何でもない会話をして笑える時間が妙にありがたく感じられる。
――ただ。
村上の頭の片隅には、まだ一件の依頼が残っていた。
今日見つけた少女のことではない。
少し前から抱えている別の行方不明者。依頼を受けてから既に何日も経っている。
手掛かりがない。
最後に目撃された場所も分かっている。
周辺も調べた。
関係者にも話を聞いた。
それでも、どこへ行ったのかどうしても分からない。
まるで――
この世界から消えてしまったかのように。
村上は無意識に机の端へ視線を向けた。
そこには、その依頼に関するバインダーが置かれていた。
何度も読み返した。
何度も考えた。
それでも、答えは出ない。
「……所長?」
岸田の声に村上が顔を上げた。
「ん?」
「どうしました? なんか考え事してました?」
「ああ……いや」
村上は一瞬だけ書類を見る。
そして、何でもないように笑った。
「ちょっと、まだ見つかってない奴のことを考えてただけだ」
その言葉を聞いた美香が、何気なく書類のほうを見る。
そこにはマジックで「大石純恋」と書かれていた。




