(1ー01)村上探偵事務所
「うーっす、ただいまー」
夕方の事務所に、少し疲れた声が響いた。
村上探偵事務所のドアが開き、村上正也が入ってくる。
ジャケットを脱ぐこともなく、そのまま自分の机へ向かう。三十七歳。探偵という仕事柄、年齢よりも疲れて見えることが多い男だった。
「あ、所長。おかえりなさい」
パソコンに向かっていた近藤美香が顔を上げた。
椅子から立ち上がると、軽く頭を下げる。
「コーヒー、淹れますか?」
「あぁ……たのむ」
村上は短く答え、そのまま自分のデスクに腰を下ろした。今日一日、車であちこち走り回っていたせいか肩が重い。そこへ、奥の机で作業をしていた岸田一平が近づいてきた。
「お疲れさまでした。結局、家出少女だったんですね?」
「あぁ……」
村上は椅子の背もたれに体を預けた。
「どうも訳ありみたいだったから、ナベに渡してきた」
「あぁ、渡辺さんですね」
「そう。今、署の方にいる」
渡辺孝太郎。
警部補。
村上とは大学時代からの付き合いで、卒業後は別々の道へ進んだものの妙に縁が切れずにいる。その渡辺が、たまたま人事異動でこの地域を管轄する警察署へやって来た。
おかげで村上にとっては何かと話のしやすい警察署になっていた。
「訳アリ少女ですか……でも、ひとまず見つかってよかったですね」
岸田が眉を上げる。
「まぁな」
村上は机の上に置かれた書類を眺めながら答えた。
行方不明者を探す。
それが、この事務所の主な仕事だった。といっても、テレビドラマに出てくるような華々しい事件ばかりではない。
家出した息子を探してほしい。
突然連絡が取れなくなった夫を探してほしい。
昔の恋人の消息を調べてほしい。
そういう依頼がほとんどだ。
今回の少女も最初はその一つだと思っていた。
――中学生の女の子が家に帰ってこない。
両親からの依頼を受けて学校や友人関係を調べ足取りを追った。そして今日の昼過ぎ、ようやく本人を見つけた。
ところが。
少女は、家に帰ることを嫌がった。
ただの反抗期、という雰囲気ではなかった。
村上には、それが妙に引っかかっていた。
「最近、なんか多いですよね。訳アリみたいな……普通の家出じゃないやつ」
村上はすぐには答えなかった。
ここ数年、行方不明者の捜索をしていると以前とは違う種類の案件に出くわすことが増えていた。
ネットで知り合った人間に連れ出されていたケース。
本人が知らないうちに、犯罪に巻き込まれていたケース。
暴力団や半グレと呼ばれるような組織が絡んでいるケース。
中には、国外へ連れ出されていたことが判明した例さえある。
そう考えれば、今日見つけた少女が無事だったことはそれだけで幸運だった。
「まぁ、早く見つかっただけでもよかったよ」
村上がそう言ったところへ、
「はい、どうぞ」
美香がコーヒーを運んできた。
「おっ、ありがとう」
村上がカップを受け取る。
立ち上る湯気から、香ばしい匂いが広がった。
「所長、最近コーヒーばっかりじゃないですか?」
岸田が笑う。
「うるせぇな。探偵はコーヒー飲むもんなんだよ」
「そんな決まりありましたっけ?」
「今できた」
「じゃあ、俺も」
岸田が冗談めかしてカップを差し出す。
美香が吹き出した。
「じゃあ岸田くんにも淹れたげようかな」
「ありがとうございます!」
岸田が嬉しそうに笑った。




