第9話
「――では晴太さん、いただきましょう」
「お、おう……」
とある日の学校。
その中庭で、俺とハルカは昼メシを迎えていた。
あの日東道院正宗と四条麗子がエンカウントした日以降、ハルカは宣言通り、何の遠慮も常識もなく、俺の学校を侵略しやがっていた。
それも連日、連朝、連昼、連夕、たまに夜。隙あらば押しかけてくる始末である。
こいつの行動力はなんなんだ。推進力はなんなんだ。馬力が強すぎる。お馬さんが可哀想だろうに。
そんな中、今日の昼飯は、魚の尾頭付き活造り。
高校生の昼食で、活造り。またもや尾頭付き。
しかもこの魚、前にテレビで見たことがある。確か『クエ』とかいう、超が付くレベルの高級魚だったような気が……。
(……うん、そこはもう気にしないでおこう)
ハルカに強くオススメされ、おそるおそる一切れ食べる。
強い弾力があるが、決して噛み切れないわけではない。上品な魚の香りと旨味が舌先から鼻腔、脳天を貫いてきやがる。
クエを食べると他の魚が食えなくなる――とは言うが、なるほど、妙に納得してしまう。
もしかすれば、俺はチェーンの回転寿司では満足できない体になってしまったかもしれない。
どうしてくれるハルカ。
「……と、そうじゃなくて。ハルカさん、無駄に学校抜けたらダメって言ったでしょうに」
「その点は大丈夫です。私の学校では昼休み中の外出申請して、この学校にも来校許可を貰っています。全て合法的ですので、決して無断外出ではありませんよ」
「いやそうだろうけど、そうじゃなくて。無断かどうかと言うか、無駄かどうかと言うか……」
「無駄、ですか?」
ハルカは少しだけトーンを落とした。
「そりゃそうでしょ。僅かしかない昼休みを、こんな下賤な高校まで来なきゃいかん時間が勿体ないでしょうに」
「……そうですか。晴太さんにとって、お昼休みは短いんですね。私には、途方もなく長く感じていたので……」
ハルカは箸を持つ手をポトリと下に落とし、遠い目をしていた。
「え? 美桜ヶ丘って昼休み長いんですか?」
「ふふふ、何も具体的な時間のことじゃないですよ。……でも、そうですね。晴太さんと食事をするこの時間は、確かに短く感じます。こんな感覚は、とても久しぶりです」
「……そっか」
未だによくわからんが、悪くは思われてないってことでよさそうだ。
「でもなぁ、美桜ヶ丘って調べたけど、確か駅の3つ先くらいだったかな? そこから毎度毎度来るのも大変だろうに」
「そこは大丈夫です。車ですので」
車というかリムジンだけどな。
リムジン。英語で書くとLIMOUSINE。
「それはそうと、ハルカさん。この際ですから一つ提案があるんですけど」
「はい、何でしょうか」
「それがですね、俺、ぶっちゃけ距離感詰めるのがドヘタなんですよ。今とか敬語だったりタメ口だったりすげえ中途半端になってるんで、いっそのこと、これからはタメ口に統一してもいいですか?」
「え? ええ、別に構いませんが……」
「そっすか? じゃあさっそく――ハルカ」
「は、はい!」
ハルカはビクリと体を震わせた。
「ハルカはタメ口じゃなくていいの?」
「え、ええ、はい。私は幼少期からこういった口調ですので、今さら変えるのは少し抵抗があります。でも、晴太さんがそう望むのなら、頑張って……」
「いやいや、無理しなくていいよ。雑談くらい一番楽な感じでしたかっただけだから」
冷静に考えると、ハルカがタメ口使うと俺の名前を「晴太くん」、または「晴太」と呼ぶようになり、ワンチャン「晴ちゃん」、「晴くん」という可能性すらあったのか。
それは……うん、あかんな。
ダメだそれは。俺のハートがとてももたねえ。
一瞬でキューピットが矢を雨のように降らし滅多刺しされること間違いなし。
「それにしても、やっぱり毎度毎度来てもらうのは申し訳ないっていうか、別に放課後でもいいような気が……」
「あの……ご迷惑、でしたか?」
それを上目遣いで聞いてくるのは、流石にあざといぞハルカ。これで「迷惑です」だなんて言える奴がどこにいるんだよ。
しかもこいつの場合、それを計算しての行動の可能性があるから油断できねえ。
「いやいや、こんだけ美味い飯を食わせてもらっておいて、それを迷惑だなんて言ったら、たぶん全人類にフルボッコされるから。迷惑とかじゃなくて、なんつーか、無理してないかなぁって心配なだけ」
「なるほど、晴太さんは私のことを按じてくれているんですね。ふふ、ありがとうございます」
この女神、いちいち可愛い。いちいち美しい。
目と胸がやられちまいそうだ。
するとハルカは、何かを思いついた。
「――あー! 私、いいことを思いつきました!」
「…………」
いいこと?
何がいいこと? 都合?
「つまり晴太さんが、何の気兼ねもなく、何の遠慮もなく、堂々と私と昼食を食べられるようになればいいんですよね?」
「…………」
いやまあそうなんだけども。
なんだろうか、頭の中でエマージェンシーのアラームがハリウッド映画並みに鳴り響き始めた。
そもそも何の気兼ねも遠慮もなくってのを望むなら、まずは食材のチョイスから見直そうか。
玉子焼きでいいんだよ。タコさんウインナーでいいんだよ。唐揚げでいいんだよ。
そこに伊勢海老、クエ、A5ランク高級和牛シャトーブリアンなんてものを出されるから、遠慮も気兼ねも永久地縛霊化しちゃうんだよ。
しかしまあ、美味いからいい。許しちゃう。
それに、お前が何を企もうが、俺に油断はねえ。
これまでのお前とのむちゃくちゃな日々で、こちとら度胸も気持ちもメンタルも舌も多少なりとも鍛えられてるんだよ。
さあ来い、ハルカ。
この俺、空閑晴太が、お前から降り注ぐ全ての無理難題を軽やかなステップで躱してやるよ。
◆
それから3日経った教室の、朝のホームルーム。
そこで担任の先生は、開口一番に切り出した。
「――えー、突然ではありますが、今日から転校生がこのクラスに入りました」
にわかにざわつく教室。
噂話を続ける男子共と女子達。
そんな中……。
「…………」
呆れを果て尽くし、もはや精神と魂を虚無の領域に沈める、俺。
先生は顔色をうかがうように、“彼女”を見る。
「で、では遥日宮さん、ご紹介を……」
教壇に立つのは遥日宮鏡花――ハルカ。
彼女はニッコリと笑い、浅く一礼をする。
そして……――。
「みなさん、突然で驚かれたと思います。訳あって、今日からこの高校に転校することになりました――空閑晴太さんです。では晴太さん、ご挨拶を」
「……あ、ども。空閑、晴太っす……」
――……俺はなぜか、そんなハルカの隣に立っていた。
新品の、真っ白な学ランを着て。
鈍い拍手と終わらないざわつきが、目の前に広がってやがる。
そりゃ混乱するよな。わかるよ。わかるけども。
俺はもっと混乱してるんだよ。それもわかれよ。わかってくれよ。
(なぜだ? なぜなんだ?)
なぜかは知らん。
何をされたのかもわからん。
何もかもがひどく不透明ではあるが、どうやら俺は、ハルカの通う高校――私立美桜ヶ丘高校に転校することになった……らしい。
そしてハルカは先生を差し置いて、モンスターペアレントの如く教壇に立って俺を紹介し、生徒も先生も、誰一人顔を引き攣らせるだけで制止しない。
「……いや、おかしくね?」
そんな俺の呟きは、誰にも聞かれることはない。
ツチノコでも見るような生徒達の視線とパラついた拍手。
顔を引き攣らせる担任の先生。
そしてただ一人、満面の笑みで強めに拍手するハルカによって、そんな呟きなど、見事にかき消されたのだった。




