第25話
差し込む光、無残に吹き飛んだドア、そのドアに潰された、哀れなる俺のカラーボックス……。
その部屋の惨状を目にした母さんは、舌打ちと共に小さく呟いた。
「……おい晴太、ドア、壊れてるよ?」
「たった今アンタが壊したんでしょうに……」
母さんだ。
紛れもなく、否が応でも母さんだ。
長期出張はどこに行った。確か北の果てに行くとか言ってなかったか?
その後母さんは、東道院と四条を手厚く家から追い出し……もとい、学校へと向かわせた。
バカ息子のために来てくれてありがと――。
そんな似合わない言葉と共に。
そして始まる、尋問。
査問官は、当然母さん――空閑葵。
そんな母さんの前に座らされるのは、被告たる俺、空閑晴太。
「……で? アンタは何してんの?」
スパァーっと、白い煙が俺の顔に当たる。
何という虐待。全国の嫌煙家からバッシングされて大炎上しても知らんぞ。
「いや、その……ちょっと腹痛が……」
「ほぉ、腹痛と来たか。今週丸ごと学校をサボるような腹痛ねぇ。今すぐオムツ、買ってこようか?」
「いやいや、お母様にそんなお手数をおかけするわけには……」
すると母さんは、前座はこれで終わりと言わんばかりに、ポケットから取り出した携帯灰皿にタバコを押し込んだ。
「……まあ、アタシも悪かったよ。アンタにも昴にも、何も言ってなかったしね」
それが何を指すのか、聞くまでもない。
無論、ハルカのことだろう。
「最初、鏡花ちゃんからアンタの世話をするって電話があった時、驚いたけどさ。それでこの子の罪悪感が薄れるならーって思って、軽くお願いしちゃったんだよね」
(軽くお願いして、アレなのか?)
……と、違う違う。
そこじゃないよ、俺。
目の前の暴君は、今とんでもないことを口にしたんだよ、俺。
「えっ……もしかして母さん、最初から全部知ってたの? ハル――遥日宮鏡花のこと」
「ああ。ぜーんぶ知ってたよ」
「…………」
こいつ……マジかよ。
「そんでまあ、そのうち鏡花ちゃんが満足して、しがらみを切り離して、晴太だけがフラれて嘆いて終わるんなら万々歳かなぁって思ってたんだけどさ」
……をい。
「……でも、次に電話があった時、鏡花ちゃん、随分と可愛いお嬢さんになってて驚いたよ」
母さんは、見たことがないくらい優しい表情で微笑んでいた。
「晴太さんの好きな食べ物はなんですかとか、勉強は何が苦手ですかとか……。何が好きで、何が苦手かを、そりゃもうしつこいくらい根掘り葉掘り聞いて来てさ。それを聞いてるうちに、なんていうか、昔を思い出しちゃったね。そう言えばアタシも、旦那と付き合ってた時、いつもそんなことが気になってたなぁって」
「ハルカが……」
つい口からこぼした“ハルカ”という名前。俺とハルカだけの、2人だけの呼び方――。
それを聞いた母さんは、思い出したように笑い始めた。
「ハハハ、アンタ、鏡花ちゃんのこと“ハルカ”って呼んでんの?」
うぐっ、愛称呼びをバカにされたみたいで、なんだかクソ恥ずかしいんだが。
「む、向こうがそう呼んでほしいって言ってきたんだよ。だから、その……」
語尾の首を締める俺に、母さんは「へぇ……」と意味深に呟く。
「アンタは忘れてるだろうけどね、実はあの事故の日、病院で、アンタ、あの子と――鏡花ちゃんと会ってるんだよ」
「へぇ……――って、はぁっ!?」
またもや重大事項が飛んできて衝突した。
「まあ、アンタもまだ小さくてバカだったからね。覚えてないのも仕方ないんだけどさ」
幼い愛息子に向かってバカはないだろ、バカは。
「でも鏡花ちゃんは、ただ泣きじゃくるアンタとは全然違ってたね。自分も怖かっただろうし、それ以上にあの子にとって悲しいことまであったのに……それなのに、まだ年少さんなのに言ったんだよ。あなたのお父さんが亡くなったのは私のせいです。ごめんなさい……ってね。感心……うん、感心もしたけど、それ以上にちょっと引いちゃったね。この子はこんな年齢なのに、どんな生活を送ってるんだろうって」
すると母さんは、ずいっと身を乗り出した。
「そん時にさ、あの子、律儀にも“遥日宮鏡花です”って名乗ったんだよ。でも、アンタはバカだったからさぁ、フルネームなんて覚えられなくて、彼女のこと、“ハルカちゃん”なんて言ってさ」
「え? 俺が?」
「そうそう。でも泣きじゃくってたくせに、ピタッと泣きやんでさ、言ったんだよ。ハルカちゃんが元気なら、お父さんもきっと喜んでる――って。そこで鏡花ちゃん、泣き出しちゃってさ。おまけにアンタもまた泣き出して、病院ん中で子供2人がワンワン泣いて、大合唱したんだよね」
「…………」
言葉を、失った。
やはりハルカは、俺のことを知っていたらしい。
もちろん向こうも小さくて忘れてる可能性もあるが……いや、ない。それはない。
遥日宮鏡花は何歳だろうが遥日宮鏡花だっただろうし、そんな奴が、あの事故の日のことを忘れるわけがない。
「……え、ちょい待ち。待って。それなら今の俺が、ハルカに最初に声をかけたあの時のも……?」
偶然ではなかったということか?
「え? 最初? ……ハハハハ!!」
母さんは笑った。大いに笑った。高らかに、涙目になって笑いまくった。
「……なんだよ」
「ハハハ……あー、腹痛い。いやいや、そうなるよね。うん、わかるよ、言いたいこと。その年で再会したこと……それすらも、何かしらの意図があったんじゃないかってことだろ?」
いやまぁ、そうだけど。
「断言するよ。それは、絶対にない。アタシだって事故以来の電話だったし、何より、最初は知らない番号からの電話だから、詐欺か何かと思ったくらいだしね」
「え? じゃあ、なんで……」
「そんなに難しく考えなくていいよ。それってさ、たぶん凄くありふれてて、めちゃくちゃみんなに知られてて……それでも、本人達には、かなりわかりにくいやつだからさ」
なんだよ。何が言いたいんだよ、この人は。
そして母さんは、頬杖をついて微笑んだ。
「それはね――“運命の出会い”って言うんだよ?」
「――――」
世界は、色を思い出した。
アホみたいな話だろう。出来すぎた話だろう。
しかしそんなくだらなくて、嘘みたいな裏話が、間違いなくそこにあって、俺とハルカを見守っていたらしい。
そして母さんは、恥ずかしがることも、バカにすることもなく、平然と言い切る。
それはたぶん、母親としてではなく、父さんと出逢うことができた、“空閑葵”という女性の言葉に聞こえていた。
そんな俺の脳裏に浮かぶのは――最初に色鮮やかな額縁で飾られているものは、一つしかなかった。
「――……ハルカ」
その一言を聞いた母さんは、悪魔のような笑いを見せつける。
「……ってことで、行くよ」
母さんはおもむろに立ち上がる。
そして笑顔のまま、俺のシャツの後ろ襟を握り締め、ズルズルと引きずり始めた。
「え? え? ちょ、ちょっと……」
俺の混乱を放置し、母さんは玄関の扉を開くなり、力任せに外へと放り投げた。
地面を転び、頭の痛さに悶えつつ、当然の苦言を呈する。
「な、何すんだよ!」
「ああ? アンタがカビだらけだから、お日様に焼いてんだよ。文句あんの?」
「…………」
暴君、突然の復活。
さっきまでの慈母キャラはどこへ行った。
「グダグダ悩んでるフリしてるけど、ホントはどうしたいのか、とっくに決まってるんだろ?」
「え、いや……まぁ……」
「だったら、とっとと行ってきな。そんで、必ず鏡花ちゃんに届けてきな。アンタが抱えてる不満とか文句、全部ぶつけてきな。アンタ達の関係をどうするかは、そっから先の話さ」
なんだろうか、荒らすだけ荒らされて、一番肝心なところを放り投げられた気もせんでもない。
でも……そうだな。
こっから先は、俺とハルカの話だ。
だったら後は――。
「待ちな、晴太。1つだけ、忘れちゃいけないよ」
話の腰を折りまくった母さんは、ズンズン近付いてくる。
「な、なんだよ……」
「ふふふ……」
妖しくほくそ笑んだ後、母さんは、俺の体を優しく抱きしめた。
「えええっ!? え、あ、ちょっと……!」
「いいから聞きなさい、晴太。……アンタは私と旦那の、自慢の息子なんだ。しゃんと胸を張りな。アンタの言葉は、きっとあの子が――鏡花ちゃんが、今一番必要としてるもんなんだよ」
「…………ッ」
かと思いきや、雑に手放し、かなり強めにドンと背中を突き飛ばした。
「行ってきな、晴太! 今日はハンバーグだよ!」
何やら、してやられた感が強い。
……でも、悪くはない。
「……ハンバーグカレーで、ヨロシク」
そして俺は駆け出した。
振り返らず、前を向いて。
その先にいるであろう、ハルカの下まで――。
「――……うん? そういえば、ハルカの家って、どこだっけ?」
果たして俺は、ハルカの下まで、ホントにたどり着けるのだろうか……。




