第24話
「――晴太! アンタいい加減にしなよ! いつまで部屋に引きこもってるつもり!?」
鍵をかけた扉の向こうから、昴姉の怒声が聞こえてくる。
心配を通り越して、呆れと怒りが滲んでいた。
「……うるせえな」
ぶっきらぼうに、そんなことを口にする。
「何があったか知んないけど……鏡花ちゃん、たぶん心配してるよ!? 後で絶対学校に行きなさい! わかった!?」
怒り心頭のまま、けたたましい足音を響かせつつ昴姉は過ぎ去っていた。
「……心配、するわけねえだろ」
あれから――あの公園の出来事から、既に3日が経過し、俺は部屋に引きこもっていた。
それが何を意味するかなんて、わかってる。
美桜ヶ丘高校は、ただでさえ場違いなくらいの進学校。今ですらヤバいが、これ以上休めば確実に授業についていけなくなる。
……でも、とにかく怖い。
ハルカに会うのも……もちろん怖い。
でもそこで――もしも学校に行って席に座って、隣にいるハルカが、いつもと変わらず何食わぬ顔で授業を受けていたのなら――。
俺はもう、たぶん、耐えられない。
(……でも、あいつはちゃんとしてるんだろうな。なんてったって、遥日宮鏡花だし)
容易に想像できる。
綺麗な外見に、綺麗な外面。ぶっ飛んだ各種才能と、それを叩き上げる鋼の心と推進力。
そんなもの、俺じゃなくても知ってる。学校の奴全員が知ってる。全世界が知り尽くしている。
だから今の俺は、ハルカが――遥日宮鏡花という奴が、死ぬほど怖いんだ。
昼になり、夜になり、深夜にこっそり飯を食べ、簡単にシャワーを浴びて、また部屋に逃げ込む。
それをひたすら繰り返し、ただ、一日を浪費していく。
俺の世界は、この部屋と階段、台所、風呂だけになっていた。
(もういい……もう、色々疲れた……)
考えることすら怠くなり、頭が痛くなる。
青春? 恋愛? 人生?
なんてことはない。
元々灰色の、中身がスカスカなものだったんだ。
今更取り繕うつもりもなければ、鍍金を張り繋ぐ必要もない。
今はただ、嗅ぎ慣れた布団の匂いに包まれて、冬の終わりを待つ動物のように眠っていたい――。
「――空閑晴太、起きているか?」
ふと、懐かしい声が聞こえた。
時計を見ると、午後1時。
今日が何日で、何曜日かは知らない。
なんだよ、サボりか?
「僕だ――東道院正宗だ」
知ってる。知ってるよ。
だからいちいち言わなくていい。
「貴様は……何をしている?」
そんなこと、俺が聞きたいよ。
「こんなところに不様に潜り込んで、どうしようと言うのだ?」
知らねえよ。
何もしたくないんだよ。
「言いたくはないが……僕は、貴様をある程度評価していた。東道院家の跡取りである僕に対する不遜なる態度の数々。腹が立つ。頭に来る。何もかもが気に入らない。……だがそれは、僕がこれまで、経験したことがないものだ」
うるせえよ。
んなこと知るかよ。
「家柄もない一般人。学力も身体能力も並以下。類稀なる能力などなく……無論、外見も並以下」
……うるせえよ。
最後のやつはホントにうるせえよ。
「しかしそんな貴様が、何の遠慮もなく、僕に悪態をつく。小馬鹿にしてほくそ笑む。……平然と、話しかけてくる。これは……その、なんだ。おそらくは、一般的に、友と呼ばれるものなのだろう」
「…………」
なんだこいつ。
こいつ、いったい誰だよ。
「そんな貴様が、ここでいったい何をしている。貴様が何もしないのなら、遥日宮鏡花は、本当に僕が貰い受けるぞ。悔しくないのか? 気にならないのか? 貴様は、そんなにも堕ちてしまったのか? それならば、僕は貴様を、軽蔑する。東道院正宗として――貴様の、友として」
(東道院……)
そしてドアの向こうの声は少し止む。
かと思えば、今度は東道院とセットの人物が喋り始めた。
「――……空閑晴太、聞こえますの?」
(今度はお前かよ……)
声だけで誰かわかる。
キャラが濃すぎるんだよ、お前ら。
「東道院さんは傍から聞くのも恥ずかしいことをおっしゃいましたが……ワタクシからは、何も言うことはありませんの」
んなら何しに来たんだよ。
「ただ貴方に、伝えておかなければならないことがありますの。……貴方が学校に来なくなった日、その日を同じくして、遥日宮さん、一度も学校に来ていませんの」
「――――」
…………は?
「別に御二人に何があったかを聞くような無粋な真似はしませんのよ。……でもそれは、それだけは、貴方に知って欲しかったんですの。貴方が学校に来ないから……その、話せなかったので……ワタクシも、色々、貴方のことを考えて……」
四条の言葉、最後は口籠り過ぎて、何を言ってるのか全く分からなかった。
(あの遥日宮鏡花が……学校に来ていない?)
そう、そっちだ。
ビックリし過ぎて布団が足元に吹き飛んだ。
あいつは完璧じゃなかったのか。
何でもできるんじゃなかったのか。
俺なんかいなくても、今までも、これからも、遥日宮鏡花として過ごせてるんじゃなかったのか。
……ふと、机の上に目をやる。
ペン立ての横に置かれた、年季の入った茶色の万年筆――。
(……遥日宮鏡花は――ハルカは、今、何をしているんだ?)
ほんの少しだった。
ほんの少し、ほんの僅かだけ、真っ白な世界に色が差し込んだ。
まだ鈍く、くすんでいる。何色かもわからない。
――そしてその僅かな隙を、あの御方は見逃さなかった。
「いやいや、君達ありがと。もういいから、ちょっとどいててくれない?」
その大人びて、荒っぽい声を聞いた瞬間、背筋が凍り付いた。
(この声……ま、まさか……!!)
俺は、すっかり忘れていた。
俺の引き篭もりを絶対に、1ミクロンも許してくれないであろう、空閑家最強にして最恐、最凶の暴君を――。
ドゴォォン――ッ!
凄まじい衝撃音と共に、部屋のドアが吹き飛ぶ。
強制的に部屋には光が差し込んで、その光の奥から、その御方はぬるりと姿を現した。
口に咥えたタバコの煙を、スパァーっと吐き出しながら。
「――……よぉ、愛しの晴太。ずいぶん、ご機嫌そうじゃないの」
「げっ!? か、母さん!?」
母親、母さん、空閑葵――帰還であった。




