第22話
「話、か……」
家に帰り、メッセージをガン見する。
疑う必要もない。
これは船の上で、ハルカが話そうとした“何か”ということだろう。
正直、聞くのは怖い。
あのハルカがここまで引っ張ったんだ。並大抵の話じゃないだろう。
でも、だからこそ、逃げるわけにはいかない。逃げちゃいけない気がする。
ハルカだって怖いはずだ。それを乗り越えて、俺に話そうとしている。
……だったら俺は、全てを聞くだけだ。
服を着替え、夕飯の準備をして時計を見る。
午後6時40分。今から行けば、ちょうど7時前には着くだろう。
玄関に向かい、一度だけ立ち止まって、大きく深呼吸した。
「……よし」
気持ちを入れ替えて、靴を履き、外へと出る。
(待ってろよハルカ。今日という今日は、全部お前から聞いて――)
門を出たところ、そこには、男性が立っていた。
皺一つない茶色のスーツ。白髪混じりながらも整えられた髪。長身。勝ち組イケオジ。
その眼光は鋭く、確かに俺の顔を射抜いていた。
「えっと……どちら様、ですか?」
「……遥日宮、源一郎という」
(遥日宮? じゃあ、まさかこの人は――)
その人の正体を察すると同時に、その人は、言葉を繋げた。
「君も、実にしたたかだな」
「……はい?」
突然の言葉に、脳が固まった。
そんな俺に、遥日宮源一郎――ハルカの親父さんは続けた。
「確かに君の父君には、返しきれない恩がある。私も、鏡花も。その恩返しとして、君には、莫大な補償をしているはずだ。高校と大学の経費も全てこちらが負担する。一般的には考えられない程に好条件だろう」
(……この人は、何を言ってるんだ?)
俺の父さん? 恩? 遥日宮父娘が? 恩返し? 補償? 高校の経費?
……ハルカが言い出した?
言葉は聞こえてるのに理解が追いつかない。理解したくない。
この人は、俺に何を言おうとしている?
何をぶちまけようとしている?
「だが、君はやり過ぎだ。鏡花には鏡花の人生がある。決して、君の玩具になるために助かったわけではないのだよ」
「え、いや……いったい、何を……」
「“罪滅ぼし”をする娘の気持ちに乗じ、交際を迫るなど……少々、限度を超えすぎではないか?」
「罪、滅ぼし?」
俺の復唱に、親父さんは、顔をしかめた。
「白々しい……。君の父君が鏡花を救い、その時に命を落としたことなど……息子の君が、知らないはずはないだろう?」
「…………え」
今、なんて言った?
「鏡花から君の支援をすると聞いて、これで鏡花の“罪悪感”が消えるならと捨て置いたが……ここしばらくの鏡花の沈みよう、やはり、そろそろ限界だろう。君も勘違いしないでもらおう。あの子は、鏡花は、優しいだけだ。そこにあるのは好意ではなく、憐憫。そして、贖罪。鏡花と君を繋ぐのは、ただ、それだけだ」
「――――」
目の前から、景色が消えた。
俺の視界に映るのは親父さんだけ。それ以外の景色も、音も、何もかもが消えた。
少しだけ、親父さんは困惑したようだ。
しかしすぐに目元を引き締めて、終わりの言葉を吐き捨てる。
「……いずれにしても、これ以上、鏡花に付き纏うな。鏡花の罪悪感を利用するな。君のその黒い欲望が、父君の栄誉を辱めていると知れ」
遥日宮源一郎は、その場を去っていった。
その背中に言いたいことが、頭で渦巻く。
ハルカは本当にそれを知っていたのか?
ハルカは最初から俺が恩人の息子だってわかってたのか?
ハルカの善意は全て贖罪からだったのか?
ハルカは今本当にあの公園に向かっているのか?
ハルカ、ハルカ、ハルカ、ハルカ……。
無限にも続いていく、彼女の名前、表情、仕草、声、言葉……それら全てにヒビが入り、ガラスのように割れ、砕け、足元に降り注ぐ。
天と地が逆転したみたいに、立つのがキツくなってきた。
あまりの情報量に脳はパンクして、膝から力を奪い去り、無意識のまま冷たい道路に座り込む。
そして俺は、遥日宮源一郎の背中が小さくなり、消えるのを、ただ黙って見つめることしかできなかったのだった。
その間も、親父さんの言葉は問答無用に胸を貫き、抉り、血を撒き散らす。
俺はハルカを、利用していたのか?
否定できない。何も否定できない。
なぜなら、俺はずっと、全てを、彼女に任せていたから。
昼飯も、転校も、勉強も、あの船も、何もかもがハルカが尽くしてくれて、俺はそれを雑に受け取っていただけだ。
……そして、ほら、まただ。
また俺は、ハルカのせいにしている。
「……なぁ、おい……俺は、なんなんだよ……」
絶望に色があるとすれば、こういうことだ。
黒じゃない。灰色でもない。
真っ白。綺麗な、白色。
何もかもを塗り潰し、掻き消して、心の内側から外までを見事に染め上げていく。
……いや、違う。
全部、吸い取ってしまうんだ。
怒りも、悲しみも、動揺も、その奥に隠された喜びや温もりまで、空閑晴太という人間を作り出している、ありとあらゆるものから、綺麗な色から汚れた色まで、全ての色を吸い取ってしまう。
決して逃れることのできない、絶対的な、白色なんだろう――。
(……あぁ、時間。何時だ……)
薄っすら残る意識で腕時計を見る。
時刻は、午後7時12分だった。




