第20話
気が付いたら、保健室のベッドの上だった。
むくりと上体を起こす。
ほっぺたに鈍い痛みが広がり、口の中が血の味でざらつく。頭がぐわんぐわんと重く蠢き、痛いよりも苦しい、キツイが先立っていた。
「……普通、淑女がグーパンチしますかね」
頬には大袈裟なドデカいガーゼ。
喋りにくいので、それをビリビリと剥がした。
時計を見てみると、既に午後を回っている。
実に数時間に渡り意識が旅行に出かけていたらしいが、それは俺のせいじゃない。だからこれはサボりではない。ラッキーなんて思ってないからな、マジで。
すると、保健室のドアが開いた。
「――あら、気が付きましたの?」
入ってきたのは美桜ヶ丘三馬鹿が一人、金髪クルクル馬鹿こと、四条麗子だった。
「……今、何か失礼なことを考えませんでした?」
「いえいえ、そんなそんな……」
鋭いではないか、三馬鹿のくせに。
「っていうか、なんで四条がここに?」
「ワタクシ、保健委員ですの。保健の先生が用件があるので、代わりに、あなたの様子を見ていたんですの」
四条は少し離れた椅子に座った。
そして、じぃーっと俺を見てきた。
「……なんすか」
「あなたもつくづく、無茶をしますわね。天童寺秋良さんと言えば、女子ボクシング部の特待生として有名ですのよ? 無論暴力を振るおうとした彼女は批判されて然るべきですが、そんな方の全力の拳を代わりに受けるなど、まったく、無茶ですわね」
「ははは……ボクシング特待生、ね」
そりゃ一撃必殺なわけだ。
それはそうと、凄く気になるのは、やはりアイツのことだ。
どうやら保健室にはいないらしい。
となると、教室か?
「遥日宮さんなら、教室に戻られましたの」
四条は、キョロつく俺の心を読んだらしい。
「え? ああ、そうなんだ」
「あなたも罪な人ですの。つい先ほどまで、あの遥日宮さんが、午前中の授業を全て欠席にしてあなたに付き添っていたんですのよ。……まあ、最後は保健の先生に説得されて戻ったのですが」
「そっか……。心配かけちゃったな」
すると四条は、これ見よがしにクソデカ溜め息をして立ち上がった。
「……その程度の認識では、遥日宮さんも報われませんわね。あなたはもう少し、乙女心というものを学ぶべきですの」
そして四条は出口へと向かう。
「ワタクシ、先生を呼んできますの。天童寺さんとの一件で、話を聞きたいそうです。どうやら大事になりそうですわね」
「あー……まあ、そうだろうなぁ」
生徒同士の暴力事件で、しかも加害者はボクシング特待生で、そのうえ、本来殴ろうとしたのはあの遥日宮鏡花……。
うむ、間違いなく大事だ。新聞部による今月の一面記事はこれで決まりだな。この学校に新聞部があるかは知らんが。
「では空閑さん、お大事になさってください」
「ああ、ありがとう四条。お前もいいところあるんだな。普段より魅力が3倍増しだぞ」
「…………ッ!」
四条は恥ずかしそうに顔を逸らす。
「あ、あなたにそのようなことを言われる謂れはありませんのよ! ……まったく、本当に乙女心をわかっていない人ですわね」
そして四条は保健室を出る。
その扉を閉め切る直前、ドアは止まり、四条の声が微かに聞こえた。
「……でも、無事のようで安心しましたの。あまり心配を、かけさせないでくださいまし」
ピシャリと、強めに扉は閉められたのである。
「心配をって……オカンかよ」
金髪クルクル娘がいつもよりお淑やかに見えるのは、ケガによる後遺症なのだろうか。
しかしあいつにすら心配されるくらいに、俺は綺麗なKO負けを喫したということか。
その後、四条が話した通り、生徒指導の先生達が保健室へとなだれ込んで来た。
やはり事態は、俺の想像を遥かに超えるほどにドエラいことになっていたらしい。
しかし、大事になるのは俺も本意ではない。
そこで俺は、ボクシング特待生必殺ブローの後遺症に苦しむ体に鞭を投げ込んでごった煮し、あの手この手、口八丁手八丁、なんなら足まで追加して、天童寺秋良の弁護に走ることにしたのだった。
――あれはそう、ちょうど天童寺秋良と遥日宮鏡花が雑談をしていた時である。
その内容が気になった野次馬根性丸出しの俺が、うっかりバランスを崩し転びそうになった。
それにいち早く気付いたのは、天童寺秋良という天才ボクシング選手。その並外れた反射神経が瞬時に反応を示し、アホの権化たる俺の体を慈愛の心を以て支えようとした。
しかし普段の過酷なトレーニングにより条件反射的に拳を握ってしまった彼女は、うっかりグーパンチのまま手を差し伸べていたことに気付かず、天文学的な確率の壁を超えて、綺麗な右ストレートを俺の顎にぶち込んだ形になってしまったのだ。
つまりはあれは偶然が重なっただけの、全ての者を不幸にする悲劇の事故であるため、暴力事件というものはフィクションであり、実際の人物、出来事とは一切関係がないものである。
そもそも休み明けの校内で暴力事件が起きたとなれば、美桜ヶ丘高校が超進学校ではなく、拳で会話する世紀末的なデストロイ高校であることが全国に広く轟くことにも繋がるわけであり、今この場こそが、この学校の存亡を決定付ける重大な場である――と。
まるでミュージカルの如く駆けずり回り、生徒指導の先生達に熱く、そして喜怒哀楽たっぷりに説明したのである。
俺の熱意が通じたのか、はたまた先生達が呆れ果てて疲れたのかは定かではない。
結果として、この件は、事故として処理されたのだった。




