第19話
翌日、月曜日。
この日ハルカは、家まで迎えに来なかった。
何だろうな、この変な感じは。
これまで積み上げてきた関係が、根本から崩れ始めたみたいな……そんな不協和音が聞こえてくる。
(……ハルカは、何を言おうとしたんだろう)
昨日の夜からずっとこれだ。
考えてもわかるわけないくせに、無限リピートを連打しまくってる。
聞きたいような、聞きたくないような。
ビビってる……うん、そう。俺は、ビビってるんだと思う。
だって仕方ないだろ。
あの時のハルカは今まで見たことがないくらい、なんていうか、ツラそうに見えたから。
だからきっと、俺も、ツラかったんだ。
そんなこんなで、学校に着いた。
時間はホームルームまであとちょっと。いつもなら、ハルカもとっくに着いてる時間だ。
(……あー、なんかヤダな)
気が重い。
果てしなく重い。
大号泣中の子泣きジジイが背中にいるって言われても5秒は信じそうなくらい重い。
始まる前だが、仮病で早退しようか悩んでいた俺の耳に、その声は届いた。
「――いい加減にしなさいよ! 遥日宮鏡花!」
それは女子生徒の声だが、明らかに怒り心頭でハルカの名前を口にしているではないか。
これは珍しい。
ハルカといえば、この学校では天に煌めく太陽神、或いは暗黒の大地を統べる破壊神として扱われてるのが一般的。
しかしそんなハルカが、どうやら怒鳴られてるようだ。
これはホントに珍しい。
あいつが怒鳴られるなんぞ、朝の全国ニュースで速報されても微塵も驚かないレベルだ。
(……ってそんなこと考えてる場合じゃないよな、これは)
明らかに何かが起こっている。
小走りで、声の方へと向かってみた。
すぐに現場は判明した。
なんたって廊下を埋め尽くすくらいの人集りができてたし。人波を割って進み、先頭の奴の肩越しに様子を見る。
やはりハルカだ。
ピリッとして、ツーンとしている、対他人向け臨戦態勢状態のハルカだった。
相対するは……誰だ?
女子だが、あまり見たことがない。
短い黒髪、猫顔だが例のごとく美形。色黒で手足は引き締まり、何かしらのスポーツをしていそう。
そもそもだが、この学校って学力と並行して顔面の偏差値も高すぎるんだよ。なんて俺に優しくない学校なんだろうか。
「天童寺さん、また遥日宮様に張り合ってるな」
「いい加減に諦めたらいいのに……」
そんな生徒のヒソヒソ話が聞こえてきた。
(ふむ……張り合ってるとな?)
どうやらあの敵性女子は、天童寺という名前らしい。話を聞く限り、ハルカのことを良く思っていないようだ。
そう言えば、軍曹メイドさんが言ってたな。
ハルカを快く思わない輩はいるとかなんとか。
その一人ってことか?
(それはなんと……恐れ知らずな)
ある意味貴重な人材だろうし、そりゃ学校で有名なのも頷ける。
「天童寺さん、静かにしてください。他の生徒の迷惑ですよ?」
ハルカは冷淡に、すらりと語る。
まさに暖簾に腕押し、糠に釘、馬耳東風、ハルカに怒声……。
それが天童寺さんの眉間の皺を深くした。
それは、わかる。うん、なんとなくわかる。
こっちの怒りが相手に辿り着かないのって、すげえイライラすることだし。
「そうやって、いつもいつも人を見下して……!」
天童寺さんは握り拳を震わせた。
「今回の点数、全教科満点なんて明らかにおかしいじゃないの! そんなの不可能よ!」
「不可能かどうかはわかりませんが、結果が結果として発表されただけです。それ以上でもそれ以下でもありません」
「その結果がおかしいって言ってんのよ! どうせあの“お父様”にお願いして、テスト結果を不正したんでしょ! 遥日宮家なら、そんなことも簡単にできるだろうしね!」
天童寺さんはとんでもないことを言い出した。
周りもざわつきはするが止めようとしない。
この反応を見る限り、少なくとも、テストの不正を疑う奴は一定数いたのかもしれない。
それほどまでに、あの全教科満点というものは衝撃的だったのだろう。
しかし我らがハルカは、一切動揺を見せない。
「根も葉もない虚言は感心しませんね。それほど気になるのであれば、後で私の答案用紙を渡しましょうか?」
「いらないわよ! そんなの!」
「そうですか。そもそも、このような時間は無駄です。こんなことに労力を注ぐくらいなら、少しでも参考書を広げ、向き合うべきでは? 試験の結果を嘆くのなら、まずはやるべきことをしてはいかがですか?」
「ば、馬鹿にして……!」
ハルカの言葉には棘があった。
いや、むしろ棘しかない。棘そのものだった。
ハルカは基本他人に厳しいところはあるが、ここまで露骨に態度に出すことはしない。
この件だって、いつものハルカなら笑顔で華麗に躱して相手にもしないだろう。
それが正面立って、理詰めで相手を言い負かすなど、普段のハルカとはかけ離れている。
(……苛ついてる、のか?)
他の奴はわからないが、少なくとも俺にはそう見えた。
ハルカは、わかりやすく不機嫌だ。
あんだけ自分の感情に鍋蓋を置いてる奴が、その中身をこれだけの人の前でさらけ出すとは……。
珍しいを超えて、明らかに様子がおかしい。
(やっぱ、昨日の件か……?)
それもあるだろう。
だが今日は、そこに父親の要素も足されている。
父親の話はハルカの地雷らしい。それは以前に俺も垣間見た。
昨日の出来事、テストへの難癖、そして父親の関与への言及。
なるほどな。確実に地雷を踏み抜いてる。地雷原で華麗なリンボーダンスを踊ってやがる。
だが生憎、天童寺さんの話はことごとく想像の域を出ていない。
そんな言葉、ハルカに届くはずもない。
「では天童寺さん、ごきげんよう。私は次の授業の準備がありますので、これで……」
「…………ッ!!」
優雅に踵を返すハルカ。そして、鬼の形相で彼女の背中を睨みつける天童寺さん。
そんな視線なんて見向きもせず、モーゼの如く人波は道を作り、ハルカはウイニングロードを澄ました顔で歩いていく。
(決まりだな……)
ハルカVS天童寺の舌戦。
まあ、誰の目から見ても明らかだ。
圧勝だ。
ぐうの音も出ないくらいハルカの圧勝……だが、立ち去るハルカの背中に、敗北に近い哀愁を感じてしまうのはなぜだろうか。
「――ホンッット! 天才はいいわよね!」
突然天童寺さんは叫んだ。
その声に、ハルカは足を止める。
「何の苦労もなくて、平然と私ら凡人の上を歩いてさぁ! さぞ気持ちいいでしょうね! アンタにはわからないのよ! 才能がない奴の気持ちなんてのはさぁ! だからアンタは、いつも一人なのよ!」
「…………」
ハルカは何も言い返さず、背中で天童寺の言葉を聞いていた。
「いや、これは……」
何という暴言、妄言、僻みと妬みだろうか。
こんな不様なことを平然と叫ぶほど、天童寺という人間は追い込まれていたのだろうか。
しかし次の瞬間、ハルカはくるりと道を引き返し始め、ツカツカ歩き、瞬く間に天童寺さんに詰め寄った。
そして、声を震わせた。
「……いい加減にしてください。私のことが気に入らないのは、あなたの勝手。……ですが、全てを才能という不確かなもののせいにするのは、卑怯者のすることです!」
「――――ッ!?」
天童寺さんは顔を歪めたまま固める。
「私は知っています! 学力に秀でてなくても! 心が折れそうになっても! それでもひたむきに自分と向き合い、挑戦し! 自らを裏切ろうとしない人を! そんな人を、私は心から尊敬します! あなたも彼を見習うべきです! 自分を最後まで見捨てない、彼の姿を!」
「ハルカ……」
最大級の、史上最高の言葉を投げつけられた。
なんかもうグダグダ悩んでるのがアホらしくなるくらい、単純過ぎる俺は、一瞬で救われてしまっていた。
……が、天童寺さんは違う。
稀代の天才美少女に、面と向かってそこまで言われたのである。
もはや立つ瀬など、消失したのだった。
「こ、この――!!」
彼女は右手を思い切り振り上げた。
刹那、心臓が強く脈動した。
(ビンタはさすがにマズいでしょ!)
自然と足が動いてしまった。前にいた奴の体を押しのけて体をねじ込む。
……が、俺にはバランス感覚というものがなかったらしい。
駆け寄るつもりが体勢は崩れ、前屈みとなり、ほぼほぼ真横への自然落下で顔面をハルカの前に差し出したのである。
「――――ッ!?」
「あっ」
天童寺さんと目が合うが、時すでに遅し。
振り下ろされた彼女の手がスローモーションで顔面に迫る。
その手はよりにもよって、グーパンチ――。
――ドガッ!!
……いや、グシャリか? ズバァーンか?
いずれにしても、凄まじい衝撃が顔面顎付近に直撃した。
瞬間、意識が飛び始める。
(これが噂の……顎パンチ、か……――)
倒れる瞬間まで待つことなく、意識と体は暗黒面へと沈んでいった。
最後に見たのは、俺に手を伸ばすハルカ――。
その顔は真っ青で、涙目に見えた。




