第13話
迫りくる美桜ヶ丘高校、第二回定期考査。
俺のバカさ加減に心を痛めた聖女ハルカは、たかだか1週間で、俺の枯渇した知識を太平洋並に潤すために即行動を開始した。
その舞台は、普段使っていない遥日宮家の別宅なのだとか。
「……別宅。別宅、ねえ」
まず根本的に、同じ町内になぜ別宅があるのか。
必要ねえだろうに。
おまけにその別宅っていうのが学校並にデカい。とにかくデカい。デカすぎる。
使ってないなら我が家にプレゼントして欲しい。
玄関でお出迎えしていたハルカは、スポーツバッグを提げる俺を見るなり、笑顔でもてなした。
「ようこそ晴太さん。狭いところですが、今日からよろしくお願いします」
よろしくお願いしなきゃならんのは俺の方なんだけど、それはこの際置いておこう。
(……っていうか、狭いところ? どこが? 俺の肩身の話?)
確かにめちゃくちゃ狭過ぎて、そろそろ四肢が千切れそうではある。
話もそこそこに、部屋へと案内された。
それはまるで高級ホテルのスイートルームかのようだった。
水清ければ魚棲まず――という言葉を借りるのなら、そこはまさに、綺麗過ぎて魚が夜逃げするレベルのゴージャスルームであった。
目に毒過ぎる部屋に荷物を放り込み、いざ向かうは勉強会場、会議室。
なぜ家に会議室があるのかは知らんが、庶民には想像も付かないような用途があるのだろう。
ガチ家族会議とかかな?
しかし考えてみれば、超絶美人の彼女とのほぼ同居ということになる。
映画とかアニメで見るメイドさんの姿もチラホラと見えたが、純一般人たる俺にとっては、リアルメイドさんなんぞ宇宙人に等しいような存在しない存在であるので、この際無視することにする。
超絶美人との同居、合宿。
多少胸を躍らせてもいいじゃないですか。
色々と期待したっていいじゃないですか。
若い男女がほぼ2人きり、何も起きないはずもなく……じゃないですか。
しかし憎き現実と呼ばれる奴は、そんな浮ついた俺に対し、明確な殺意を向けてきやがった。
「では始めましょう、晴太さん。まずは復習として、この参考書をやってください」
笑顔で机に並んだ書籍を披露するハルカ。
彼女の笑顔は可愛いが、その書籍の量は全く可愛くない。
かなりのクソデカ机を埋め尽くす、参考書という参考書の数々、数々、数々。
いくらなんでも多過ぎだろうに……。
「ええと……これ、復習ですか? それとも、アホ過ぎる俺への復讐ですか?」
「もちろん、復習ですけど?」
伝わっていないだろうが、今はそれでいい。
「ここにあるのは全て、私が厳選したものです」
厳選とは? とりあえず目についたもの全部ぶち込んだように見えるんですけど。
「様々な角度から詳しく、わかりやすく解説されているんですよ。この参考書さえしっかりマスターすれば、きっと大丈夫です」
そりゃこの量をマスターできるなら定期考査なんぞ怖くも何ともないだろうけども。
「ハルカ先生、参考書が多過ぎて参考になりそうにありません」
「大丈夫です。自分のペースでいいので、一つずつ確実にやっていきましょう」
何をどう転べば大丈夫なのかを知りたい。
しかしハルカは、善意120%の明るい笑顔を向けてくる。
その光は強過ぎた。これは逸らせない。問答無用に醜い俺のネガティブを焼却処分してきやがる。
「ハ、ハルカ先生! 俺、やっちゃいますよ! とにかく……うん! やっちゃいますよ!」
「はい。頑張りましょうね」
もはやヤケクソになるしかない俺。
涙目を決して見せず、シャーペンを力強くノックして参考書に飛びかかった。
人は“信用”を裏切れない――ピグマリオン効果や返報性の原理と呼ばれる心理現象である。
悪意を受け流すことは容易であるが、善意を受け流すには、相当な鋼の精神が必要なのだ。
俺にそんな精神はない。
チキン野郎で、ヘタレ雑魚。
そんなチキンでヘタレなりの意地、生き様。
ハルカに見せつけてやろうじゃないか。
◆
「――……なんて思っていた時期が、僕にもありました」
俺の精神は、開始3時間で、見事に粉砕骨折したのだった。
もうバラッバラ。1ピコも動けねえ。
「晴太さん。少し休憩しましょうか」
あくまでも優しく接してくるハルカ。
もしかしたら内心では「もうヘタレやがってショボい奴じゃのぉ!」的なことを思っているのかもしれんが、それを顔に出さない段階で神ですよ。
砂糖多めのコーヒーと、手作りであろう甘さスッキリクッキーが脳に染みる。
……って、誰の手作りだ?
たぶんメイドさんなんだろうが、心の処方箋としてハルカが作ったことにしておこう。ハルカありがとう、美味しいよ。
「……ハルカ先生、俺、間に合いますかね」
「大丈夫ですよ。勉強は誰でも苦しく感じることはありますし、落ち着いて少しずつ問題を解いていきましょう」
「うぅぅ……ハルカ先生ぇ……」
あくまでも微笑みを絶やさないハルカ先生の優しさが身に染みる。
内心では俺のことをクソバカにしてるとか考えた俺を許して欲しい。
俺は最低だ。ゴミクズだ。
自分のしょうもなさを心底恥ずかしく思う。
コーヒーがやけに塩っぱいのは、気のせいだと思いたい。
「では晴太さん、再開しましょう」
「……うん? もう?」
まだ5分程度しか休んでないが?
「大丈夫です。これから3時間ごとに5分の休憩を挟んで、食事時間、睡眠時間などを除き、早朝から夜まで毎日20時間ほど勉強すれば、きっと欠点を取ることはないですよ」
「…………ん?」
毎日20時間勉強すると、残りは4時間しかないのだが? その4時間に3食昼寝付きで睡眠、風呂までねじ込むってこと?
いや……無理ぢゃね?
「……あ、あのぉ、学校は?」
「学校なら色々申請して私も晴太さんも休学届を出しているので問題ありません。でも安心してください。試験前に休学する生徒は他にもけっこういるんですよ。試験前1週間は、ほとんどの授業が自習になりますから、そういう申請が通りやすいんです」
「…………」
今、わかった。
ハルカは俺を殺しに来ている。
善意という名の刃物を構え、全力で脳を目掛けて突き刺しに来ている。いや、既にもう刺さってるんだと思う。半分以上は、確実に。
「晴太さん、今日から1週間、一緒に頑張りましょう。わからないところがあったら、遠慮せずに言ってくださいね」
ハルカ先生。
俺、こんな生活で1週間、生き残れるかわかんないっす。
「……ッス」
それは色んな感情を込めた、短い呻きであった。




